第2話

 「いいから、とにかく、来い」

とおれは小菊こぎくを連れて学校を出た。学校に残っていても、どうせ目立つ女子たちのグループに連れ回されて不愉快な思いをするだけに決まってるんだから。

 公園まで連れてきて、ブランコに向かい合って座る。

 緑豊かな、広い公園だ。

 おれの家と小菊の家は、この広い公園をはさんで向かい合っている。

 「おまえなあ」

 一つため息をついてから、言う。

 「「将来の夢」とか言われて、クジラが泳いでいるところを見たい、とか言ったら、笑われるに決まってるだろうが」

 小菊は、緑がかったブレザーの制服に首をすっこめながら、不服そうにおれの顔を見た。

 「だって」

 とんがらせた唇で、小さい声で言い返す。

 「夢なんだから、現実味なくても、いいじゃん?」

 ああ、もう!

 「だから、そういう意味の「夢」を聞かれてるわけじゃないだろう? こういうばあいは、もっと実現性のある夢を、だなぁ」

 小菊は、そこまで聞いて、また、唇をとがらせる。

 頭はいいはずなのだ。

 ただ、いま知ってることばで言えば「空気が読めない」。しかも極端に読めない。

 そんな子だった。

 説教するのはやめにした。

 ふと、思い出したからだ。

 おれはふうっと息をついてから、小菊から目を離して、言う。

 「そういえば、「空飛ぶくじら」って曲があったな」

 「何それっ?」

 小菊はぱちぱちと目を瞬かせた。

 さっきまでの、しょげかえった、自己主張のできないみじめな女子ではない。

 目をぱっちりと見開いた、好奇心たっぷりの女子。

 頬はあかいけど、さっきの顔がまっ赤だったのとはまったく違う、健康そうな紅さだ。

 「いや」

 この変わりように、かえって、おれが面食らう。

 「大瀧おおたき詠一えいいちの昔の曲に、な」

 大瀧詠一は昭島の隣の福生ふっさにスタジオを構えている有名ミュージシャンだ。おれたちがまだごく小さいころには『ア・ロング・バケーション』がヒットしたというが。

 さて、小菊が知ってるかどうか。

 「そうかぁ」

 小菊が、目を細めて、唇を横に伸ばし、「にーっ」と笑った。

 あ、危ない、と思った。

 小菊は、大瀧詠一の曲について考えるかわりに、ぜんぜん違うほうへと想像力を発展させたらしい。

 そして、「空気が読めない」小菊は、こういうとき、突拍子とっぴょうしのないことを言い出す。

 しかも、実現が不可能ではないかわりに、実現のためにはとてつもなく手間とか何かがかかることを言い出すのだ。

 小さいころから、何度、それに振り回されたことか!

 「空を飛ばせばいいんだ!」

 おれは眉をひそめた。

 「何を?」

 「だから、クジラ!」

 「ああ」

 自分から「空飛ぶくじら」という曲名を出した以上、そう不景気に返しておくしかない。

 でも、小菊は熱に浮かされたように続けた。

 「昭島が海だとすれば、ここは海の底で、この上の空が海じゃない? だから、そこにクジラを飛ばすことができれば、昭島の海をクジラが泳いだことになるわけだよ!」

 「わけだよ」じゃない、って!

 おれは、一つ大きく息をつくと、その熱を冷ますように、言う。

 「飛ばすのはいいけど、そのクジラはどうするんだよ?」

 クジラを剥製はくせいにして飛ばす、なんてことはできるはずもないし……。

 くじら祭りの山車だしだって、やっぱり飛ばないだろう。

 「うーん」

 小菊はしばらく考えた。

 「飛行機は、クジラって感じじゃないしなぁ」

 「だいたい、飛行機なら、毎日ぐらい飛んでるだろ?」

 昭島あきしまは米軍基地が近いので、米軍の飛行機がとんでもない低さで飛んで行く。

 もう慣れたから、なんとも思わないけど。

 うーん、と、小菊はさらに考える。

 どうか、小菊がへんなことを思いつきませんように!

 「じゃ、飛行船とか、どう?」

 小菊はいきなり身を乗り出してきた。おれに何か言う隙も与えず

「飛行船だよ飛行船! かたちもクジラに似てるしさ」

 来た。

 「いや」

 おれは言う。小菊のやる気にできるだけ水を差すように。

 「飛行船なんて、一回飛ばすのにいくらかかると思ってるんだよ」

 たしか百万円単位のおカネが必要だったはずだ。

 「じゃあ、自分で作ればいいじゃん?」

 やってしまった……。

 水を差したら、その上を行くのが、この小菊の想像力なのだ。

 わかってはいたのだが。

 「飛行船って、水素かヘリウム詰めて浮かせないといけないし、エンジンもつけなきゃいけないんだぞ。浮力を稼ぐにはそれだけ大きくしないといけないし。どうするんだよ?」

 「できるできる」

 小菊はうきうきして言った。

 「昭島って、もともと飛行機会社の門前町でしょ? 空飛ぶものを作るのはお手の物じゃない? できるできる。できるって」

 いや、昭島駅のあたりが飛行機会社の労働者の街だったのは昔の話であって……。

 「だから、やろうよ! 何年かかるかわからないけど、やってみよう!」

 小菊は笑って、とまどうおれの手を向かい側からぎゅっと握りしめた。

 やわらかい、そして女にしては太くて短い指の感覚がおれの手から体にじわっと伝わって来る。

 「ああ」

 のどが詰まったような感覚で、おれにはそれしか言えなかった。それを小菊は肯定の返事だと思ったらしい。

 「やった! 約束だよっ」

 そのことばとともに小菊が腰を浮かせて、ブランコがきいきいと音を立てて不規則に揺れた。

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