第21話 渓流

「ユウコ!」


 豪快に尻もちをついたのと、後ろからコルの焦った声が耳に入ったのは、同時だった。


転ぶのは、今日何度目だろう。

特別ぬかるんでいるわけでも、足場が狭いわけでもない。少々下り坂だが、少しずつ山歩きに慣れてきた侑子にとって、尻込みする程の悪路ではないはずだった。


「大丈夫?」


「うん、平気」


 立ち上がって身体についた草を払い落としながら、侑子は笑った。


(ごめん、ユウコ。私の寝相のせいで……)


 眉毛をハの字にしたヤチヨが、タブレットを見せてくる。

今朝、彼女は兄から聞かされていたのだ。昨夜侑子がヤチヨの寝相が原因で、大分眠り損なったことを。


「ヤチヨちゃんのせいじゃないよ。あの後すぐに眠ろうとしなかったの、私だし」


 ヤヒコとの会話に夢中になったのと、その内容でかなり気持ちが高ぶったせいだろう。侑子はすっかり目が冴えて、話し終えて再び寝床に横になった後も、結局寝付けなかったのだ。


「睡眠不足は甘くみない方がいい。ユウコ、この先で長めの休憩を取ろう。一眠りしときな」


 先頭を行くヤヒコが、勝手知ったる様子で道を切り開いていく。


 一行が足を止めたのは、細い渓流が流れる水場だった。漬物石にちょうど良さそうな大きさの岩が、水の流れを整えるように並んでいた。草は茂っていたが、すぐにそれはメムの鎌によって取り除かれる。


「この辺を通る時の、休憩ポイントの一つだよ」


 ヤヒコの説明の通り、草がなくなったその場所は、テントを広げるのに十分な広さがあった。


「ユウコ! ハンモック吊ってあげる」


 コルが跳ねるような足取りで、自分のザックから取り出したロープを、近くの大木にくくり始めた。


「揺られながら眠るの、すっごく気持ち良いんだ」


「へえ。ハンモックかぁ。乗ったことないなぁ」


 興味深そうに侑子が見つめる前で、コルの小さな手が、慣れた手付きでロープを結んでいく。ヤチヨが仕上げに結び目を固く締め直すと、あっという間に設置は完了した。


「始めに横座りするんだよ。腰を乗せて、脚を入れたらそのまま身体をずらす」


「わあ! すごーい! 面白い!」


 初めてのハンモック体験に、侑子は擽られたような笑い声を上げた。

ゆらゆら揺れる不思議な浮遊感と、一枚布がぴったりと全身を包み込む安心感の、アンバランスさが癖になる。


「良いリアクションするなぁ」


 侑子の反応がよほどウケたのか、ヤヒコとヤチヨが面白がって揺らしてきた。

きゃあきゃあとはしゃぎ声を漏らしていると、自分の現状をつい忘れそうになった。まるで友人達とキャンプにでも来たような気分だ。


 ひとしきり笑い倒すと、侑子を乗せたハンモックの揺れが、ゆったりとしたものに変わってきた。


「そのまま目を瞑ってなよ。きっとすぐに眠っちゃうよ」


 上から覗き込みながら、コルが言った。


「気持ちいいでしょ?」


「うん。最高。ゆりかごに乗せられた赤ちゃんって、こんな気分なのかな」


 深呼吸すると、清らかな水の香りを含んだ、深い森の空気が身体中を満たしていく。


コルの言葉通りに瞼を閉じると、規則的な揺れが睡魔となって、侑子の意識を遠くへ誘おうとした。

その誘いに、あっという間に手を引かれそうになる。やはり自分は眠たかったのだと、侑子は気づくのだった。


「おやすみ。静かにしとくから」


「うん。お言葉に甘えるね。ありがとう……」


 ヤヒコの声を最後に、メムの三人の気配が、遠ざかったのが分かった。


 静寂が訪れる。


木の葉が程よく陽の光を遮っているおかげで、アイマスクは必要なさそうだ。

渓流が穏やかに流れる音と、鳥の声が聞こえる。自然音しか耳に入ってこないので、ヤチヨ達は一体どこに行ったのだろうかと、少しだけ不安に思う。子供のコルでさえ、気配を隠すのがうまかった。


 しかしそんな雑念や小さな疑問は、あっというまに消えていく。


心地よい浮遊感に揺さぶられながら、侑子は深い眠りへと落ちていった。

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