第18話 出立

「お世話になりました」


 出立は日の出前だった。

朝露が草木を濡らす香りが、辺りに立ち込めている。


 侑子はメムの長老に、深々と頭を下げた。


「こちらこそ。――頭をお上げなさいな、ユウコさん」


 ランの声は柔らかく、湿気を含んだランタンの柔らかい灯りに、よく似ていた。


「生涯かけて感謝を伝えなければならないのは、私達のほうです」


 ランの隣で頷くキノルを見て、侑子は首を振る。


「私はただ来ただけです。それに本当に役に立てるのか分からない。正直国の危機を救えるだなんて、そんなことが自分にできるとは思えない……」


 本音だった。


来訪者は選ばれてこの世界にやって来るのだと聞いたが、それが本当だとしたら、少なくとも人格者が選ばれるわけではないのだろう。


侑子は自覚している。自分勝手な感情で動いてきた、無責任な人間でしかない。


「気負うなよ」


 言葉を挟んだのはヤヒコだった。

柔らかい微笑を浮かべている。


「期待されてるって、意識する必要はない。ユウコはただ自分のやりたいように、この世界で立ち回ればいいんだ」


(そのために私達がついてる。ユウコが困ったら、いつだってメムが助ける)


 タブレット上の緑の文字が、仄かに光って侑子の顔を照らした。

コルに握られていた右手に、ぎゅっと力を込められたのが分かった。


「ヤチヨの言葉の通りだね。メムは導く民。いつかまた、会える時も来るかも知れない。どうか元気で。あなたが笑顔でいられるように、いつも祈っていますよ」


 ランはユウコの首に、藍染の手ぬぐいを掛けた。


「端にメムの文様を刺繍してあるの。私の趣味のようなものだよ。持って行って。あなたの旅の友として」


「ありがとうございます」


 微笑んだ侑子に、彼女を囲むように立っていた子供たちから、嬉しそうな声が漏れた。


「ねえユウコ。最後にもう一回だけ、一緒に歌ってよ」


 スサの申し出に、迷いなく頷く。


 夜明け前の小さな里の中に、鳥の鳴き声よりも楽しそうな、明るい歌声がこだました。




***




 メム人との行中は、侑子にとって大変楽しいものだった。

急勾配や極端に荒れた道を進むことは難儀だが、そうでもない場所を歩くことには、段々慣れてきた。

進みながら会話も弾む。余裕があると歌うこともできた。まるで遠足のようだと侑子は思った。


休憩の度にヤチヨが呼び寄せる獣や鳥たちに触るのも楽しみだったし、家族やメム人のことを誇らしげに話すコルが、微笑ましかった。


「ユウコもメムと一緒に暮せばいいのに」


 絶対楽しいよ、と何度も誘いをかける少年の言葉が嬉しかった。


「もしも王都で知り合いが見つからなかったら、その時は一緒に連れて行ってもらおうかな」


 侑子の言葉にうんうん、と顔を輝かせる息子を、ヤヒコはその度に「こら」と諌めたものだ。


「嫌な方に期待を掛けるもんじゃない。流れが乗っちまうだろう」


 こんな時ヤチヨは、決まってタブレットにこんな言葉を書く。


(会えるよ。ユウコはユウキちゃんに、絶対会える)


 画面いっぱいにこう書いた後、隅のほうに『言霊』と付け足すのだ。


 言霊は、侑子がメムの人々にその話を聞かせたわけではない。彼らも知っていたのだ。侑子が驚いたことの一つだ。


ユウキを始め、侑子がこれまで出会ったヒノクニの人々で、言霊のことを知る人はいなかった。説明を受けると皆、『素敵なおまじないだね』等と感想を言っていたものだ。


「ありがとう。コル、大丈夫だよ。コル達と一緒に暮らさなくたって、いつでも会えるんでしょう? メムは移動が上手なんだから。また会いに来てよ。これも言霊にしよう。私達はいつでもまた、会える」


 メムの少年は、嬉しそうに頷いて、侑子の手を握った。


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