第54話 世界ⅱ針穴の手紙
その音に最初に目を覚ましたのは、リエだった。程なく隣で眠っていたラウトも起き上がり、二人は暗闇の中でしばし見つめ合った。
ドン、ドン、と重く大きな音は、玄関からだ。
誰かがノック――にしては粗暴な叩き方だったが――しているようだ。
「誰かしら」
時計を確認すると、なんと夜中の三時である。外が暗闇であるわけだ。
「君はここに。私が出てくる」
ラウトは素早くマッチを擦って、ランタンに火を灯した。
その間にも、玄関からはドアを叩く音が続いている。
「私も行くわ」
部屋から出ていこうとする夫の背中に触れて、リエは慌てて布団から滑り出た。
十二月の冷たい空気が、全身を刺すように撫でていく。
室内から聞こえてくる足音と、近づいてくる灯りに気づいたのだろう。
ドアを叩く音が止んだ。
ドア一枚を隔てた向こう側に、確かに誰かの気配が感じられる。酷く荒い息遣いをしているようで、決して薄くはない玄関のドア越しにも、その音が漏れ聞こえてきた。
「どなた?」
その苦しげな息遣いに、もしや行き倒れそうになっている人が助けを求めているのかと思い至ったリエは、僅かに警戒心を解いて戸口に向かって問いかけた。
「あ、けてくれ……ここは、平彩……党の、ソノダ殿の、自宅、だろう」
呂律が回っていない。
そこまで言い終えると、ドアにもたれかかりながら崩れ落ちる物音が響いた。
仰天したラウトとリエは、素早く、しかしドアの向こうの人物を傷つけることのないように、慎重にドアを開けた。
「おい! どうした。大丈夫か」
降り積もった雪の上に、黒い外套姿の男が倒れていた。門から玄関にかけて、足を引きずりながら移動したことが分かった。男の足跡が、しっかり雪に残っていたのだ。
「救急隊を呼びましょう」
リエは指に嵌めた透証を口元に近づけた。しかし、それを阻止するように倒れた男が大きく腕を振って唸った。
「必要ない」
喘ぐように言葉にして、目を剥いてラウトを見る。
男は横たわったまま、外套の内側に片手を突っ込み、何やら内部を探っているようだった。
「おい」
一つ一つの挙動が酷く苦しそうなので、ラウトは男の動きを止めようと抱き起こした。
「こ、れ、を」
胸ポケットから引っ張り出したのだろう。何枚かの紙束を乱雑に折り曲げたものを、男はラウトの胸に押し付けるようにした。受け取るように促している。
「これは?」
白い紙束は、針で刺したような小さな穴が無数に開いているのが分かった。それはただの穴が開いただけの白紙で、何かが印刷されているわけでも、文字が書いてあるわけでもなさそうだ。
「は、はは……ははは……! ハハハ!」
その紙束がラウトの手に収まったのを見ると、突如男は声を上げて笑い出した。
その大声と、常軌を逸した狂気の表情に、ラウトとリエは固まる。
「お、お、お、お俺の勝ちだ……! ザマあ見ろっ! ミウネ……み、うね、ブンノウ!!」
妻の肩を抱いて、後方へ庇うように下がらせた。ラウトは此方を向いた男の目が、もはや何も映していない虚ろであることを聰った。
「一矢報いてやった……やったんだ……ソノダ・ラウ、トよ……それを、読め…………」
「おい。お前は」
ラウトは男に名を訊ねようとしたが、問いかける言葉は息を呑む音で途切れた。
背後でリエの悲鳴が上がる。
黒い外套だけを残して、男の身体は一瞬の後に黒い砂となって、崩れ落ちたのだった。
白い雪の上に黒い砂で、ぼんやりとした人形が描かれていた。
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