第53話 世界ⅰ変化

 天井の蓋を閉めると、侑子は一つ深く息を吐き出した。

いつもだったらすぐにクローゼットから出ていくが、天井裏を見上げたまま、しばらく動かずにいた。


――今正に、手紙はあっちの世界へ渡っている最中なのかな


 並行世界との不思議な文通が始まってから、四年目だった。


やり取りした手紙の数は、数えきれない程になっていたが、全て大切に保管している。


 再び手を伸ばし、天井裏へと続く点検口の蓋に触れた。

天井と同じクロスを貼ったそこは、ザラザラした触感を指先に伝えてくる。

 この数十ミリの板の向こう側が、一瞬でもあの世界へと繋がることがあるのだろうか。


――なぜ手紙だけなの。なぜ私はダメなの


 涙は出てこなかった。

何度も考え、嘆いたことだった。


 久しぶりに見たあの夢のことを、侑子はユウキへの手紙に書かなかった。


――半魚人がいなかった。確かにあの遊園地だと思ったけど……私は待ち合わせの場所を、間違えてしまったのかな


 一度そのように考えてしまうと、見知った場所だったはずのあの遊園地が、全く知らない場所のようにすら思える。


恐ろしい思い込みだった。


――もう二度と半魚人と会えない。そんな暗示だったらどうしよう


 言いようのない恐怖にいたたまれなくなって、大きく音を立てながらクローゼットの中から後退した。

 見えない恐怖の魔物を閉じ込めるように、荒っぽく扉を閉める。


「おい、どうした。大きな音立てて」


 ノックは聞こえなかったが、きっとされたはずだ。

朔也はその辺はちゃんと気遣える兄なのだから。


「お兄ちゃん」


 予想外の人物の登場に、侑子の声はひっくり返る。しかし先程までの恐怖心を一瞬で覆してしまう兄のとぼけた表情に、侑子は心のうちで感謝したのだった。


「どうしたの。今日来るって連絡あったっけ」


 朔也が妻と二人で住んでいるマンションは、この家から五駅離れた街にある。週の真ん中、平日の夕方に朔也が実家を訪れることは滅多にない。


「今日は仕事先から直帰でさ。マンション帰るより、こっちの方が近かったから。直接母さんと侑子に話したいこともあったし、寄ってこうかなと思って」


「話したいこと?」


 何だろう。侑子は身構える。


こんな感覚が久しぶりで、侑子は小学生の頃の自分を思い出した。変化が嫌いで、何でも無難で安心が一番だったあの頃。

 朔也と一緒にいると、長く二人で暮した日々の思考の癖のようなものが、時おり顔を見せるのだった。


 並行世界で過ごした一年の間に、そんな自分もすっかり変わったように思っていた。実際変わったのは事実なのだが、今の侑子は、以前の気弱な自分の扱いを持て余している。


久々に出てきた臆病な侑子。それは久々に見たあの夢――ただし半魚人が不在の――が、影響しているのだろう。


「何身構えてるんだよ。嫌な話しに来たわけじゃないよ」


 そんな妹の思いの内を予想できるはずもなく、朔也は硬い表情の侑子を見て笑った。


「海外に赴任することになったんだ。三月に引っ越すよ」

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