第39話 〚過去の話〛世界ⅱ幸運

 その事件のあった日、シグラとブンノウは研究所を不在にしていた。


 沢山の命が失われ、惨劇が繰り広げらた。


同じ時間。


 朽ちかけた山小屋の中で、シグラは悦びに身を震わせていた。繰り返し与えられる大きな法悦に、身体が小さく痙攣する。

 喘ぎながら、縋るように、男の白い首に腕を回した。


 大きな溜息のような吐息が顔にかかる。


 行為の終わりの合図だった。


「服を着て下さい。行きましょう」


 先程まで小さく唸り、荒い呼吸を交わしていたはずの人物は、すっかりいつもの口調に変わっている。


 シグラは甘い痺れの余韻を惜しみつつ、上体を起こした。


本音は行為後の肌と肌を触れ合わせながら、微睡みの中に落ちていきたかった。しかしその願いが叶えられたことは、これまで一度もなかった。


「もう試さなくていいの?」


 ブラウスのボタンを留めながら、シグラの視線の先には、ボストンバッグがあった。

 中には今日の実験で使用した機材が入っていた。この場所に来てから既に一度行っていたが、それは失敗に終わっている。


「場所を移します。もう研究所には戻れない」


「え?」


 ブンノウの言葉の意味がよく分からなくて、シグラは手を止めた。


「あなたが失われなくて幸運だった――――今までの研究の積み重ねを、全て無に帰すところでした」


 こちらを見ているはずなのに、その瞳に自分は全く映っていない――シグラがそのことに気づいたのと同時に、ブンノウは再び口を開いた。


「カルミオは死にました。他の者も。来訪者たちも全て。研究所はありません」


 吹き込んできた風がシグラの髪を揺らし、今だ露わになったままの下肢を撫でた。


寒さに震えたのか、無表情の研究者から語られた言葉に震えたのか、シグラはよく分からなかった。

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