正解⑦
侑子の部屋からは、梅の木がよく見えた。広縁の椅子に座っていると、自然と目に入る位置にあって、その側で最近いつも紡久がスケッチをしていることも知っている。
『絵を描くのが好きなんだ』
そんな風に話を切り出されたのは、紡久の様子がおかしかったあの日から数日の後だった。
サンルームでギターの自主練習をしていた侑子の隣におもむろに腰を下ろした彼は、一冊のスケッチブックを侑子に手渡してきた。
表紙をめくると、花瓶に生けた花々や、屋敷の窓から見下ろした街路樹の絵の数々が目に飛び込んできた。
黒一色が様々に調節された濃淡で紙の上を走り、強弱をつけたタッチで無数の線が呼吸しているかのように並んでいる。
絵に詳しくない侑子でも、そのスケッチが素晴らしいものであることは分かった。
感嘆する侑子の横で、紡久はしばらく穏やかな笑顔を浮かべていた。
影のない彼の笑顔は久しぶりに見たような気がして、侑子はとても嬉しくなった。
『美術コースのある高校に行きたくて、目星もつけてたんだ。学校の……引っ越す前の学校の担任もいいんじゃないかって、勧めてくれていて。父親も特に反対はしてなかったんだけどね』
先日の話の続きに繋がるのかと、僅かに心を身構えた侑子だった。しかしそんな気持ちを察したのかは分からないが、紡久は今度は俯くことなく話を続けた。
『結局この世界に来てしまったから、高校のことはもういいんだ。俺達ってもう帰れないんだろう? ……正直、俺は良かったってホッとしてるんだ。この間は最後まで話すことが出来なかったけど……あの続き、まだ話せる気持ちにはなれないんだけどさ』
ごめんね、と呟く紡久を見ながら侑子は驚いた。
この話題をいつか紡久と話してみたいとは思っていたが、まさかこんなに早くに実現するとは。しかも彼はどこかすっきりした表情さえ浮かべている。
『この世界のこと、まだ分からないことばかりだ。具体的にどうやって生きるって計画は立てづらいけど、これからどうしていきたいのか考えるべきだって、ここ数日で考えがまとまってきたんだよ。まずは一番好きなことを続けてみようって思うんだ』
うん、うんと頷く侑子は、何故か鼻の奥がツンとする痛みを感じた。
涙腺が刺激された痛みだと気づいて、外側に出てこないように堪えながら大きく微笑んでみせる。
『絵、また見せてね』
『もちろん。俺も見てもらいたい。そうだ。今度侑子ちゃんのあみぐるみも描いてみたいな。貸してもらえる?』
『いいよ。けど、あの子たち、ちゃんと止まってモデルしてくれるのかな』
『確かに。いつも動き回ってるね』
楽しくて笑い出した二人の間に、同郷のよしみ以上の絆が生まれた瞬間だった
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