第40話 君の色

「ユウキ!」


 楽屋のドアを開けるなり、大きな声で幼馴染の名前を呼んだのは、モジャモジャ頭の男だった。


「アオイ。こっち戻ってきてたのか」


 顔を上げたユウキは、久しぶりに見る友人に笑顔を浮かべた。


 央里から車で数時間かかる大学へと進学したアオイは、仲間の中で最も会う機会の減ってしまった人物だった。画像通話で連絡を取り合うことはあったが、実際に顔を見たのは謝恩会以来だった。


「来週親戚の結婚式があるんだよ。ちょっと早めに帰ってきた」


 こっちで会いたい人沢山いるしな、と言いながらアオイはユウキの隣に腰を下ろした。


「ユウキはほぼ毎日ここで歌ってるんだろ?すごいな、すっかり売れっ子だ」

「ありがたいことにね。楽しく歌わせてもらってるよ」


 今日も数時間後には舞台の上だ。アオイが来たなら、他の幼馴染たちにも声をかけてみようとユウキは考えた。

透証からメッセージを飛ばすユウキを、アオイはどこかニヤついた顔で眺めている。


「なんだよ。変な顔して」


 このもじゃもじゃ頭がこんな風に怪しい笑顔を浮かべている時には、大抵ろくなことを考えていない。分かりやすい男である。


「ここにくる前にさ、ジロウさんの家に寄ってきたんだよ。ユーコちゃんに挨拶してきたよ。あと、ツムグくんにも会ってきた」

「そっか。アオイはツムグくんに会うの、初めてだったな」


 他の幼馴染達は相変わらず侑子の家庭教師を勤めてくれていたので、彼女と一緒に屋敷で勉強する時間を取っている紡久とも会う機会が多かったのだ。


「うん。でもさ、ぱっと見ても分からなかったよ。黒髪じゃなかったし。元々あの子の髪も黒かったんだろ? ユーコちゃんとおんなじ」

「そうだけど」

「お前が染めてやったんだって?」

「そうだけど?」

「それってさぁー」

「なんだよ。何が言いたい」


 アオイの言いたいことは薄々予想がついて、ユウキは予め呆れ顔を作ってから先の言葉を促した。


「やっぱりユーコちゃんとツムグくん、二人が同じ髪色で並んでるのが、気に入らなかったんじゃないのぉ?」

「バカ」


 素っ気なく一言で罵倒すると、ユウキは大晦日の夜、紡久の髪を染めてやった経緯について短く説明を加えた。


アオイはふぅーんと納得のいかない顔をしている。


「でもさ、結果あの子の髪色変えといて良かったんじゃないか? だってあの二人顔は全然似てないし。そっくり同じ髪色なんじゃ、傍目から見て恋人にしか見えな……ぶふ」


 言葉の途中でユウキから口に突っ込まれたのは、差し入れのドーナツだった。


アオイは口を動かしてもぐもぐと咀嚼しながら、ひたすらユウキのことを茶化すような視線を送ってくる。


ユウキはため息をついた。あのドーナツが全て飲み込まれたら間髪入れずに次の一個を突っ込んでやるつもりだ。


 恋人や夫婦が自分の髪の一部を相手の髪色に染める行為は、広く知られる一般的な愛情表現だった。深くお互いを想い合っているカップルがその気持ちを主張する一つの手段として、二人の髪全てをそっくりそのまま同じ色に染める場合もあるが、個々の好みを尊重する風潮の強いヒノクニではあまり見られない。


「待て待て。ちょっと待てって。これだけは言わせて」


 新たなドーナツを構えたユウキを両手で牽制しながら、アオイは僅かに椅子から腰を浮かせた。


「お前さ、ユーコちゃんのこと好きだろう? ユーコちゃんだってお前のこと大好きじゃないか」


 俺、何か間違ったこと言ってる? という言葉を最後に、アオイは結局もう一個ドーナツをもぐもぐと咀嚼するはめになった。


「好きだよ。多分誰のことよりも」


 アオイを黙らせてからユウキはゆっくり返答をした。

嘘をつく必要はないし、本心である。しかし、期待する答えとはニュアンスが違うことを、目の前のもじゃもじゃ頭は理解していないだろう。明らかにニヤニヤしている。


 更に分かりやすい説明をしなければとユウキは口を開いた。


「恋じゃないけどな」

「ンンッ?!」

 

 あからさまに不満顔のアオイに遂にぷっと笑いを堪えきれなくなった。

ひとしきり大笑いしている間にドーナツはアオイの胃袋に収まる。


「何だよそれ。どういう感情なわけ。あれか? ユーコちゃんがまだ十三歳だから? そういうのは理屈じゃないだろ。お前がロリコンじゃないことは、キチンと俺が説明してやれる。今までユウキが手を出してきた女の子は、皆同い年以上だし……て、ふごっ」

「はは。お前隙ありすぎだろ。これで三個目だぞ」


 ユウキは立ち上がると、手についた砂糖を払い落とした。


「俺がユーコちゃんのことを、そういう目で見ることはないよ。年齢がどうとか、そういうのは関係ない」


 アオイから目線を外して鏡を見た。

灰色の髪の男が此方を見つめている。

褐色の肌。緑の瞳。今日の服には青も紫も紺もない。あの半魚人の要素は今の自分にはどこにもなかったし、これが本来のユウキである。


 しかし侑子が自分を見つめる目は、夢の中と少しも変わらない。ぼんやりとしか判別できなかったはずの夢の中の視界は、侑子と出会った後、記憶が書き換えられたかのように明瞭になっていた。


「ユーコちゃんに笑っていて欲しい。悲しませたくないし、楽しい気持ちで一緒に歌っていて欲しい。そう思うだけだ」

「彼女に好きな男ができて、そいつと結婚したいとか言い出したとしても? 笑顔で応援できるわけ?」


 急いで飲み込んだのだろう。若干むせこみながらアオイは訊ねた。


口の回りに砂糖が沢山ついている。ユウキはティッシュを箱ごと投げてやった。


「結婚て。何年先の話だよ……そうだな、応援ね。できると思うよ。ユーコちゃんが絶対に幸せになれるって分かったら」


 モジャモジャ頭から目線を外したままだったので、アオイの表情は見えなかった。彼は口周りを乱雑にティッシュで拭った後、それを丸めて屑籠に放り込んだようだった。


「頑なだな。まあいいや。分かったよ、取り敢えずそういうことで納得しといてやろう」

「何様だよ」

「アオイ様だ」


 大きく宣言して胸を張ったアオイは、声を上げて笑った。


こういう笑い方をする時、この幼馴染から見える魔力の様子がさながら彼そのままの人柄を表しているとユウキは感じるのだった。底抜けに明るく、暑苦しい程情熱的に燃える赤。そしてそんなアオイの笑い方がユウキは好きだった。自分には決して似合わない色だと感じるので、無意識に惹かれるのかもしれない。


「でもなー。うん。やっぱり最後の悪あがきでアオイ様が予言しといてやるよ。多分お前、あと三、四年くらいしたら絶対さっき言ったこと、撤回したくなるから。恋じゃないとか、そういう目でみてないとか、ユーコちゃんの恋を笑顔で応援できるとか諸々な!」


 人差し指で真っ直ぐユウキを指しながら、アオイは水差しから注いだ水を一気にグビグビと飲み干す。そして最後に妙な音で吐息を鳴らした。ユウキは水差しに入っているのは酒ではなくて水だったはずだ、と少しだけ疑った。

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