開かれたもの⑥

 舞台袖に引っ込んだばかりの侑子がジロウに事務所へ呼び出されたのは、彼女が変身館の表でリリーとエイマンを見送ってから、一週間が過ぎた日のことだった。


 あの日エイマンが言っていた通り、リリーが非番になった分の穴埋めは、ほぼユウキたちが引き受けることとなった。


まだバンドメンバー同士知り合って間もなかったが、彼らの演奏は少しの綻びも見せずに客からの評判も上々だった。


 侑子も昼間のステージで度々一緒に歌うので、すっかりこのメンバーで一緒に過ごす時間に馴染みきっていた。


「どうしたんですか」


 買い出しや雑用などの言伝ならば、わざわざ事務所に呼び出されることもない。


 あえて人払いしたと分かる静まり返った事務所に入ると、自然と声が小さくなった。普段だったらこの部屋には、ジロウの他にもライブハウスのスタッフが常駐していて賑やかなはずなのに。


「うん、ちょっとね。あまり人に聞かれないほうがいい話をしたくて」


 やはりそういう事情での呼び出しだったらしい。侑子がかしこまった表情になると、ジロウは僅かに首を振った。


「構えなくていいよ。俺もたまげたけど、嫌な話ではないから。むしろわくわくする話だぞ? 今日、もう少ししたらエイマンくんとリリーが帰ってくるよ。こっちに着いたら、まっすぐ屋敷の方に帰ってるって」


「そうなんですか」


 エイマンから聞いた話だと、年末まで留守にするとのことだったが、早めに帰ってくるらしい。


 それにしても、わくわくする話とはなんだろう。


「それでな。エイマンくんたち、どうやらお客さんを一緒に連れてくるらしいんだ。それがユーコちゃんと同郷の人だって言うんだ」


 侑子は驚愕した。言葉の意味を理解するのに、思考が追いつかない。


「私と同じ世界から来た人ってことですか?」


「そういうことらしい。いやあ、驚きだよな」


「……」


――同じ世界からやってきた人。どこから? リリーさんの家から? 私と同じドアを通って、やってきたのだろうか?


 言葉で追いつかない分の考えがぐるぐると頭の中を巡って、侑子は無言になってしまった。


 ジロウはそんな彼女の様子を見て、困ったように笑った。


「そりゃあ、そんな反応にもなるか。突拍子もないし」


 まあ座りなよ、と侑子をソファに座らせたジロウは、彼女にココアの入ったカップを持たせる。甘い香りが湯気と共に立ち上った。


 ジロウはローテブルを挟んで侑子の向かい側に座ると、いつものように気楽な調子で説明を始めた。


「リリーの家族が、五年前の政争の時から行方不明になっているのは知っているな? ずっと居場所が分からないままだったんだが、ようやくエイマンくんが足取りを掴んだんだよ。それでその場所へリリーを連れて向かったんだけど……」


 リリーの家族が暮らしていた場所は、火災で燃えた後だったという。焼け跡からリリーの家族の遺体は一つも見つからなかったことから、全員無事であることは分かったらしいが、再び行方は分からなくなってしまった。


「その火災現場近くで倒れているところを、発見されたらしい」


「えっと……じゃあ」


 侑子と同じ場所から、こちらの世界に出てきたわけではないらしい。


 エイマンとリリーが訪れた街というのは、この央里からかなり離れた場所であることは、侑子も確認済みだった。元いた世界の場所と合致するのは、鹿児島県だ。


「倒れていたって、火事に巻き込まれたってことですか。大丈夫だったんですか?」


「火傷や擦り傷があちこちにあったようだが、どれも大きな怪我ではなかったらしいよ。エイマンくんが面会した時には既に治癒済みだったって」


「そうですか……」


 同じ世界からやってきた人が他にもいたら。そんな風に思ったことは今までいくらでもあったのに、現実になった途端に実感が湧いてこない。


 ジロウは今話したこと以外にも、その人物に関して情報を持っているだろう。侑子は根掘り葉掘り聞き出したいという思いが頭のどこかにありつつ、なぜか言葉には出せずにいるのだった。


「どんな人だろう」


 そう口に出すのが精一杯だった。


 変なの。自分でもそう思った。


 もしかしたら、怖いのだろうか。

この世界にやってきて、想像を上回る現象ならいくらでも目の当たりにしてきたが、まだ自分の想像の上を行く出来事が起こるとは。予期していなかった。


そんな事態が、自分と同じ世界からやってきた人物によって、もたらされるだなんて。


 完全な不意打ちだ。


「会ってみれば分かるさ。俺もさ、早く会ってみたいんだよな」


 ジロウは大きく笑った。

 侑子のことを安心させよとしているわけではなく、本心から楽しみにしているのだろう。侑子は励まされるように頷いた。


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