発動⑤

 満月は明るく、大きかった。

部屋の灯りを全て消しても、侑子の目は闇に迷わない。


「月は同じなのかな」


 パラレルワールドというのがどういう仕組なのかは、侑子には分からない。


 もしかしたら同じように見えるこの月も、侑子のかつていた世界の月とは、別物なのかもしれない。クレーターの形は、見たところ一致しているが。


 侑子は数日前にハルカが見せてくれた、この世界の地図を思い出していた。


 地図は侑子がよく見知っているものと同じで、見慣れた大陸と島々の形を描いていた。

地理は特別詳しいわけではなかったので、二つの世界の地図が正確に一致しているのか自信はないが、少なくともヒノクニと記された国土が、日本と同じであることは分かった。


 侑子が今いるのは首都であり、一般的には王都と呼ばれる央里(おうり)という町で、それは東京都西部にあたる場所だった。


 侑子が驚きつつ納得できた点としては、央里のリリーの家のあった地域と、侑子の自宅のあった街の位置が、ほぼ一致していたことだった。


 あの地図を目にして、侑子は今自分が存在しているのは、本当に別世界なのだと再確認したのだった。


 しかし、月は変わらない。

餅つきをしている兎の形を、クレーターは描き出している。間違いない。


――もしも同じ月なのだとしたら、数時間前にお兄ちゃんたちも同じ月を見たのかな

 

 最初にこの世界に来た日付を確認したところ、二つの世界には十二時間程の時差があり、かつて侑子がいた世界の方が進んでいることが分かった。 


「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」


 ぽつりぽつりと紡いだ言葉は、記憶の淵に浮かんできた和歌だった。


 侑子が生まれる遥か昔に生きた人が詠んだ歌で、おそらく今の侑子と同じ心境だったのではないだろうか。そんな風に思ったら、口をついて出たのだった。


「覚えてるもんだな」


 小学校で毎年冬になると、百人一首を使ってカルタ大会が開かれた。元々国語も歴史の授業も好きだった侑子は、ほぼ全ての歌を暗記するのが容易だった。


 思いの外冴えている自分の記憶力に、笑みを浮かべた侑子は、じわりと滲んだ涙で視界が曇って目を瞑った。涙が滑り落ちる、くすぐったい感触が頬に伝わる。


「ん?」


 そして、違和感に気づいた。


 閉じた瞼の黒い視界の隅で、何かが彈けたように星が散ったのだ。


 なんだろう。


 ぱっと目を見開いた侑子は、特に周囲が突然明るくなったわけでも、自分が目眩を覚えたわけでもないことを確認する。


 しかし手がじんじんと痺れるような感覚を覚える。逃れようと祈るような形で両手をぎゅっと組むと、二つの手が焼けるように熱を持っていることが分かり、驚愕した。


「何これ?」


 未知の感覚に恐ろしくなり、声が震える。その間にも侑子の両の手はどんどん痺れが強くなり、燃えるように熱くなった。視覚的には決して赤くなったり、燃え上がったりもしていないのに。


 左腕にはめたままのブレスレットが目に入り、侑子は叫んだ。


「ユウキちゃん!」


 助けを呼ぶ自分の声が耳に入った。


その一瞬だった。


 侑子は強い突風を正面から受けて、大きな物音と共に部屋の中程まで吹き飛んでいた。



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