歌声③
十九時過ぎから始まった演奏は、猛スピードで八曲を演奏し、二十時には終わっていた。
締め括りにユウキとリリーが、交互に観客たちにステージ上から何かを話しかけていたようだが、侑子にはよく分からなかった。
ただ、「ああ話し声はやはり普通の男の人だな」と思っただけだ。
ついさっきまでこの空間に響き渡っていたユウキの嵐のような歌声が、ずっと耳の中で渦を巻いて残っていた。
侑子がステージから目を逸らせたのは、ジロウに肩をぽんと叩かれたからだった。
「おい、どうした」
はっとして振り向いた侑子を見て、ジロウは唖然とした。
「どうした? 爆音すぎたか?」
「違います。す、すごくて」
言いながらポロリと涙が落ちた。侑子は自分が涙していた事実に驚いたが、ああそうだよな。涙くらい落ちるよな、と納得もした。
「私あんなの、初めて見ました……」
「そんなに感激した? けどまぁ確かに凄かったよ。ユウキの歌は勢いがあるし、あいつの書いた曲は自分の声をよく活かす。今日はリリーのピアノってのも良かった。そんなに良かったんなら、本人たちにも伝えてあげな。喜ぶぞ」
侑子の様子に笑いながら、ジロウはとても嬉しそうだった。
***
演奏を終え、椅子から立ち上がったリリーと共に、観客たちに挨拶をする。
本来この時間は、リリー単独のステージの予定だったので、彼女目当ての客が多かったはずだ。しかしそんな観客たちは、ユウキにも好意的な歓声と拍手を惜しみなく送っている。
ユウキは安堵の息を吐き出し、感謝の言葉を口にした。額にじわりと湧き出した汗が、こぼれ落ちていくのが分かった。
やはり“才”を使わず、自分の声だけで客を前に歌うのは、緊張する。
客達は本来の自分の歌声を受け入れてくれるのか、彼らの琴線に触れる歌を表現できているのか、それだけの実力が、そもそも自分に備わっているのだろうか。
“才”を使うときには、気にもならない些細なことが、大きな不安と自分への不信となり、歌っている間常にユウキを苦しませるのだ。喉を締め付けられ、声が出せなくなる幻想を振り切るように、歌っている時は、いつだって必死だった。
――大丈夫。ほら、ちゃんと笑ってる
ホールを満席にする観客たちの表情を確認しながら、ユウキは自分に言い聞かせた。
大丈夫、笑っている。皆笑顔だ。
『地の声を使わないで。私の前では、女の子の声を出しなさい』
ふと、そんな確信を無に返すような言葉が、不機嫌な女の声とともに脳裏に蘇った。
『出来るでしょう? あなたにはその“才”があるのだから。がっかりさせないで』
もう忘れてしまえ。
忘れていいんだと、念じれば念じるほど、どうやら逆効果だったその記憶。
客たちの前ではあくまで平静を装い、笑顔で対応した。
しかしいつもだ。いつもステージで“才”を使わずに自分の声だけで歌うと、必ずあの女の声が聞こえてくる。
――幻聴だ。消えてしまえ。幻聴だ
隣のリリーが、笑顔でこちらに話しかけている。すぐ隣にいるのは彼女のはずなのに、なぜかそんなリリーの声のほうが、遠く感じた。
「ユウキ、やっぱりあんたのステージ最高よ! 私も気持ちよかった」
『元の声をだしちゃ駄目よ』
「今度は他の楽器も入れて歌おうよ。バンド形式にしてさ」
『“才”で声を変えて』
「ね、皆ももっとユウキの歌聴きたいでしょ? 絶対見に来てね」
『男の子の声なんて、聴きたくないの』
――消えろ。消えろ。消えろ
『その声で話しかけないで! 歌わないで!』
――消えろ!
「あっ。ユーコちゃん! あらら?」
侑子の名と、先程までと調子の違うリリーの声音に、ユウキはようやく幻聴を振り切った。
リリーに顔を向けると、彼女が困惑したように、ホールの一角を指さしながら見返してくる。
「どうしたのかしら。泣いてるみたい」
その言葉に、ユウキは返事すらそこそこに、ステージからホールへ飛び降りていた。
ガラスの鱗がシャランと鳴る音が、楽器の音が止み、観客たちの話し声だけのその場所に静かに響いた。
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