透明な魔力⑤

「そうそう、ユーコちゃん。さっき伝え忘れてたけど、ジロウさんのライブハウスの名前、『変身館』って言うんだよ」


 そろそろ行くぞぉと呼ぶジロウの声が、ユウキの腕の透証から聞こえてきた。


 耳にしたライブハウスの名称は、意外な響きで、侑子は思わず聞き返してしまう。


「変身館?」


「変な名前だよね。けど面白いんだよ。ちょっとしたルールがあって……」


 『変身館』にはルールがある。


店の敷居を踏んだ者は、絶対に何かしらの“変身”をしないといけないのだ。


眼鏡一つ身に付けるだけでも構わないから、普段の自分とは違った姿になること。


「へえ。面白い」


 仮装大会みたいだ。


しかし侑子にとっては、昨日から目にしてきたこの世界の人々全てが、まるで壮大な仮装大会をしているようにも思える。

あそこまでの奇抜な格好をした人々は、どう装いを変えたところで、変身したという証明になるのだろう。


「だからユーコちゃんも、変身しないとね」


「私?」


「そうだよ。今から行くんでしょ? 変身館に。手伝ってあげよう」


 ユウキは侑子のお下げの片方を優しく持ち上げると、一瞬の後に明るい菫色に染めてしまった。


「ワンピースの色とお揃いにしてみたよ。それとこれも」


 いつの間にか出現させた黒縁の眼鏡を、唖然とする侑子の顔にかける。自分も同じような眼鏡をかけて、こらえきれずに吹き出した。


「なんて顔してるの、ユーコちゃん。魔法慣れしなさ過ぎだよ」


 侑子は抗議するような目を向けたが、ユウキは悪びれずに笑った。


「髪の色はすぐ元に戻せるよ」


「うーん。でも変じゃない……?」


 鏡がないので後ろまで見えないが、左右のお下げを確認すると、それぞれ黒髪と菫色の全く違う色をした自分の髪が目に入った。

かなり奇抜な頭になっているに違いない。


「こんな色の髪の毛、見たことないよ」


「こっちでは普通だよ。ユーコちゃんも、なんとなく分かってきているんじゃない?」


「……半分ずつなんて。おかしくない?」


「おかしくない。その黒髪、綺麗な色だから全部染めちゃうのはもったいない。それに、他人の髪色や格好を気にする人はいないよ。それより俺が気にしたほうがいいと思うのはね……」


 ユウキはふと真顔になり、侑子を見つめた。

どうしたのかと見上げてきた彼女に、こんな問が返ってくる。


「昨日身体に巻いてあげた布は、持ってる?」


 侑子はあっと声を上げた。

昨日入浴後に返そうと思って、忘れたまま部屋の片隅においてきてしまっていた。


「ごめん、返そうと思ってすっかり忘れてた。ブローチも。今持ってくるよ」


「うん、それは大丈夫。あとあの布とブローチは、ユーコちゃんにあげるよ。特に布の方は、君には必要な物だと思うから」


「え?」


 本意が分からず首をかしげると、ユウキはやはり侑子を見つめるようにして、困ったように説明した。


「魔法が使えると、他人の持ってる魔力の属性とか消耗分が、何となく見ることができるって話をしたよね? もちろん意識して見ようとしないと、見えないものなんだけど……」


 しばらく言葉を探すように視線を泳がせた後、再び侑子を見ながら口を開く。


「ユーコちゃんの持ってる魔力、色がないんだ。それって珍しいんだよ」


「色がない?」


「魔石にそれぞれ色がついていたように、魔力にも属性に対応した色がついているんだよ。その人の個性や性質によって、濃淡が違ったり色調も違ってくるんだけど、魔石と同じように炎は赤系、水は青系みたいに」


 侑子は体を見下ろしながら、意識して目を凝らしてみる。

ワンピースから伸びる足や腕の他に、特に目に入るものはない。透明と言われればその通りなのだが、きっとユウキの意図することとは違うのだろう。


「……今のユーコちゃんの魔力、ちょっとだけ青っぽいんだ。ほんのちょっとだけ。たった今君の髪の毛に魔法をかけたから、俺の魔力が混ざり込んでる」


 侑子の考えを見透かすように、ユウキが言った。


「俺の魔力は青なんだよ。それは俺の身体の中に流れている魔力の多くが、水属性だってことを意味してる。そういう人は、水の魔法を扱うのに特に長けてる。他の人が俺の魔力を見たときには、青が見えるはずだ」


「……私には何も見えないんだけどな」


 ユウキの顔をまじまじと見つめてみても、彼の褐色の肌と緑の瞳、灰色の毛髪しか確認できない。


青い色彩はどこにもなかった。


「他者の魔力が見えないのは、魔法を使うことができないからだよ。ユーコちゃんが何か小さくても魔法を使えたら――それは魔力を身体の外に、実体として出現させたことになるんだけど。それができたら、見ることは出来るようになるはずだよ。だけど俺が分からないのはね……」


 ユウキは独り考えこむように、静かな口調で疑問をとなえた。


「なぜ君の魔力には、色がないんだろう?」


「……さぁ。なんでかな」


 その問に答えることは、侑子には無理だろう。

魔法が使えるようになったとしても、分からないだろう。世界の真理が一瞬で理解できるようなる魔法でもかけられない限り、難しいと思う。


「あの布……昨日ユーコちゃんに巻いた布ね。あれは他の人から、自分の魔力を隠してくれる、便利グッズ」


 ユウキは考え込む顔から、ふっと表情を崩した。


「いつも曲芸する前は、あれでネタバレを直前まで隠してたんだ。あの布は“才”も隠すから……特別な魔法の才能のこと、“才”て呼ぶんだけど、見える人には普通の魔力の色とは少し違って見えるらしい。俺には見えないけど。“才”珍しさでばかりお客さんが集まってきても、つまらないなぁと思っててさ」


 ぽん、と侑子の頭に手を置く。


 菫色と黒に綺麗にニ色に分かれた頭頂の少し上から、ぼんやりと浮かぶ靄が見えた。


オーロラのようだった。


ごく僅かな青が混ざるそれは、魔石と同じような淡い光を帯びているが、全体的にはほぼ無色透明だ。

ユウキが日常的に目にする人々の魔力と、見え方は同じだが色にだけ違和感がある。


「ユーコちゃんの色……多分俺みたいに見たことない人ばかりだと思うけど、理由が分かる人もいるかもしれない。多分だけど、昨日追いかけられたって話してたスーツの男も、ユーコちゃんの色を見たのかもしれない」


 侑子はえっと顔を強張らせた。昨日の恐怖心が蘇ってくる。


「そういう煩わしさから遠ざかることは、便利グッズがあればできるんだよ。あの布は安物だし、身体をぐるって隠さないといけないんだけど、ストール型とかアクセサリー型とか色々あるんだ。魔力を他人に見られたくない、恥ずかしがり屋もいるからね」


「……布、借りてていい?」


「あげるよ。そんなに怖がらなくて大丈夫。赤の他人の魔力をわざわざ見ようとすることなんて、実際にはそんなにないし」



***



 侑子は部屋に戻り、畳んであった布を広げた。豊かにふわりと揺れるその布は、薄いのに透け感のない、不思議な布だった。


昨日ユウキがやってくれたように、肩からぐるりと二回ほど身体に巻き付け、ブローチで固定する。


「大丈夫。見えなくなったよ」


 後ろから部屋に入ってきたユウキが、姿見の背後から顔を覗かせた。


「でもワンピースが見えなくなっちゃったね。折角髪色も合わせて可愛かったのに、残念。やっぱり身体を隠さなくても大丈夫なやつを買おう。プレゼントするよ」


 にっこり笑うユウキが、非常に頼もしく思える。


「……私の魔力が変な色なのって、やっぱり私がこの世界の人間じゃないからかな?」


 鏡に映る自分の頭髪の色には、やはり違和感が拭えない。

しかしこの世界では、おかしくない感覚なのだ。その常識の差一つだけで、自分の存在の心許なさに不安になる。


 ユウキの両手が、肩にそっと触れる気配がした。


「そうだとしても、心配ない。ユーコちゃんは一人じゃない。珍しいってだけで、並行世界から来た前例はあるのだから。それに、俺やジロウさんが一緒にいる。大丈夫だよ」

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