透明な魔力④

 ジロウはライブハウスを経営しているのだという。


 侑子は元いた世界でも訪れたことのない類の店だが、二つの世界でのライブハウスの定義に、大きな違いはなさそうだ。


 ただジロウのライブハウスは、通常のものとは少し違った使われ方をしているそうだ。

彼に言わせると『子供から老人まで全世代にオープンに』をモットーとして、音楽好きの客だけでなく、広く地域に開かれた場を目指しているのだという。


 夕方から明け方にかけては、バンドマン始め音楽家のパフォーマンスを行うライブハウスとして機能させる一方で、昼間は老人会や幼稚園のイベントに貸し出したり、地域住人の交流活動の場として提供しているのだという。


 そのため場所も商店街の中に位置しており、誰でも立ち寄りやすい工夫をしているのだそうだ。


「俺も時々歌わせてもらってるんだ」


 約束の時間まで余裕があったので、侑子はユウキと庭先で談笑していた。


 館の庭は広く、手入れが行き届いた花壇や小さな畑があった。

その一角に、心地よい日陰を作る東屋があり、そこで二人は向かい合って座っている。


「昨日の曲芸をやってるの?」


 青い鱗の衣装と、幾多の人の声に変化する、不思議な魔法が思い起こされる。


「いや」


 ユウキは薄く笑みを浮かべて、否定する。


「ライブハウスでは、あの“才は”使わないって決めてるんだ。あの魔法を使うのは、外で歌うときだけ。歌も伝統的な古いものは、外でだけ。ライブハウスでは自分で作った歌を歌うし、自分の声だけで歌うことにしてるんだ」


 ユウキは立ち上がった。


大きく息を吸い込んだかと思うと、突然発声した。


「あ」の音を、音階に乗せて順番に高くしていく。

地鳴りのような低い「あ」から、空を突き抜けるような高い「あ」まで。


何段もの音の階段が、ユウキの口の中から続いていくようだ。


 その長く細かい「あ」の階段に、侑子は思わず目を見開いてしまう。


それは確かにユウキ本来の声だと分かるが、高音と低音の極限に迫れば迫るほど、彼の要素が薄くなっていく。


 ユウキは自らの声を音の階段に乗せて、二往復させた。


「これが地声で出せる全部の音」


 ふうと息をついて、彼は今度は侑子の隣に腰掛ける。


「この声だけで稼ぐこと。それが目標なんだ。あの“才”は珍しいし、人の興味を引くのは確かだよ。だけど自分の素だけで認められたほうが、やっぱり気持ちいいから」


 今度は座ったまま息を吸い込んだユウキは、侑子の知らない歌を歌った。

ゆっくりしたテンポで、彼だけの声が気持ちよさそうに広がっていく。


「魔法のことはよくわからないけど」


 侑子は昨日からのことを思い出しながら、口にした。


「私は魔法で変えたユウキちゃんの歌声より、こっちのほうが好きだな」


 幾人もの人が歌いつなぐように聞こえる魔法の歌声には、確かに驚かされたし、純粋に面白いと感じた。


しかし、ただ聴いていたい。もっと歌を聞かせて欲しいと純粋に思わせるのは、間違いなく彼の本来の声だった。


「ありがとう」


 隣に座って二人とも前を向いていたので、そう返したユウキの表情は分からなかった。

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