ジロウの屋敷⑤

 ノマと共に入ったダイニングルームは、屋敷の雰囲気とは様変わりして、侑子に馴染みのある洋間だった。


 床は白いフローリングで、中央に大きなダイニングテーブルがあり、六脚の椅子が囲んでいた。


テーブルの中央の少し上部には、天井から吊り下げられた、ガラスのペンダイトライトがオレンジ色の光を放っている。


そんな照明に照らされるのは、出来立てと分かる料理だったのだが、侑子はその料理を目にしておやと思った。


 ここにも馴染みのあるものが。


カレーライスだった。

楕円形の皿に、白米とカレーが半分に分けられて盛り付けてあった。緑色のレタスを添えたポテトサラダの皿まで並んでいる。


 この風景だけ切り取ると、魔法の存在するパラレルワールドにいるのが嘘のように、日本の一般家庭の食卓だ。


「やぁ、おまたせおまたせ!」


 ダイニングテーブルの向こう側。

カウンターキッチンの奥から、陽気そうな声と共にひょこっと顔を出したのは、恰幅の良い中年男性だった。


 目鼻立ちのはっきりした顔には無精髭がたくわえられ、日焼けした浅黒い肌をしている。黒いバンダナの下には白髪なのか――もしかしたら染めているのかもしれないが、銀色の髪が見える。


「君がユーコちゃんだね? こんばんは。どこでも好きなとこ座って待っててね。もうユウキも来ると思うから」


 どうやら侑子のことは、ユウキから既に聞いているようだ。

だとするとこの人がユウキが話していたこの屋敷の当主で、ユウキを引き取った人物なのだろうか。


――なんだか普通のおじさんっぽいな。何て言うか、元地主のお金持ちっていうより、山男みたいな……


 我ながら的を得た表現だと思った。

今すぐアウトドアに出掛けられそうなラフな格好をしているし、体つきも大きいが、決して肥満体ではなく、がっしりと筋肉がついていそうだ。普段から身体を動かしているのだろうと分かる。


 ノマの勧めるままに席につくと、そんな山男風の当主は、気の良い顔を向けて言った。


「ノマさんも座ってて。もう配膳するものないから」


 ノマは「そうですか。では」と笑顔を返して、侑子の斜向かいの席に座った。

そしてニコニコと笑みを浮かべたまま、侑子に当主についての説明を加えてくれる。


「あの方はこちらの屋敷の主、コハシ・ジロウ様です。お料理が得意なんですよ。お時間のあるときには、私の分もいつも食事を作って下さいます」


「そうなんですか。カレー、とっても美味しそうですもんね」


 こちらの世界にもカレーライスがあるんですね、と言いそうになって、口をつぐんだ。


ユウキがどこまで説明したのか分からないうちは、下手なことを口走らないほうが良いだろう。


「ユーコちゃん、もう来てたんだね。あ、そのワンピース似合ってる。可愛い」


 部屋に入ってきたユウキは、侑子の隣の席に着く。


彼も風呂上がりなのだろう。乾ききっていない髪が、束になっていた。ふんわりと石鹸の香りが漂ってくる。


「お風呂はどうだった? 使い方とか、分からないことはなかった?」


 侑子が魔法を知らない人間であることを、思慮したのだろう。気遣わしげに訊いてきたが、侑子は首を振った。


「大丈夫。とっても気持ちよかったよ。ドライヤーがコードレスなのが、ビックリしたかな」


 思い返しながら伝えると、ユウキはあぁと心得顔で頷く。


「あれは中に直接魔石が入ってるから、コードで繋がなくてもいいんだよ」


「そう、それも気になったの。なんでコードで繋がっているものもあるのかなって……ほら、この灯りだって」


 侑子はテーブルを照らすペンダントライトを指差した。このライトは行灯の炎のように宙に浮かぶことはなく、天井のソケットから電源を引いているようだ。黒いコードが天井まで伸びていた。


「あー、それはね。うん、後で家を案内するついでに、教えてあげる」


 にっこりとユウキが笑ったところに、ジロウが盆にのせたグラスを持ってきた。


「ユーコちゃんが並行世界から来たっていうのは、どうやら本当らしいな」


 ニッと歯を見せて笑うジロウは、既に侑子が魔法を知らないと事情を、知り及んでいる様子だった。

穏やかに頷いているノマも同じだろう。


「はい……そうなんです」


 静かに肯定して、さてどう言葉を繋げるべきか、侑子が思案し始めたところだった。


「まあ細かいことはいいさ。君だってこっちの細かいことは、分からないだろう。とりあえず今は飯だ。飯が食べられて言葉が通じれば、そんなに困ったことにはならないさ」


 大きく笑ってジロウは侑子にグラスを持たせた。


「ユーコちゃんとユウキのグラスはジュースだよ。細かいことは分からんが、君は多分まだ未成年だろう?――それでは! 記念すべき新しい友人との出会いに、乾杯!」


 侑子が持ち上げたグラスは、他三人のグラスと良い力加減でぶつかり合い、涼やかな音を奏でた。

 

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