魔法②

 靴を作る魔法のおかげで、侑子はユウキの水を呼ぶ魔法に対しても、恐怖心を感じなくなっていた。


 指の長い彼の掌に集まる水の粒は、触れてみると、確かに水だった。

ひんやりとしていて、湧き水のような冷たさだ。

触れた侑子の指先も、しっとりと濡れていた。


「温度を変えることもできるよ。形状も。氷にしたり、沸騰させて水蒸気にしたり」


 説明しながら、右手に集まった冷水を一瞬の後に氷の塊に変え、その直後にボコボコと音を立てて沸騰させたかと思うと、一気に蒸発させて見せる。 


 手品のような光景だったが、手品ではないのだろう。


侑子はそれを魔法と呼ぶ目の前の男を、疑うことはなかった。

疑うにしては、ユウキと出会うまでの間に、色々と信じられない物を見すぎていたのだ。


 水を一瞬で手の上で沸騰させるなんて、恐ろしいことのように思えるのだが、ユウキがそれをやってみせる姿は美しかった。


侑子は素直にそんな感想を口にして、ユウキを微笑ませる。


「ありがとう。お礼にユーコちゃんの服も、キレイにしてあげる」


 首を傾げると、「そのままで」と一言告げたユウキが、侑子の両肩のあたりに、左右の手を翳した。


 ふわりと自分の周囲の空気が風を含んだように動くのを感じると、侑子は自分の着ている制服が、僅かに重たくなったのが分かった。


濡れている――と思ったのも一瞬、服が濡れた不快感を感じるより遥かに早く、乾いた布の質感が、肌に触れていた。

ひらりとスカートの裾が揺れた。


「はい、終わり」


「今何が起こったの?」


「洗濯だよ。便利でしょ」


 侑子は制服を見下ろした。

転んで所々土汚れがついたはずのセーラー服は、何もなかったかのように綺麗になっていた。皺も伸ばされ、プリーツの崩れまで直っている。


「ありがとう……すごいね。あの、ユウキさんは魔法使いなの?」


 驚きの表情を隠さないまま質問する。


初対面の年上の男に対して、魔法使いなの? なんて質問をしているこの状況は、なんてシュールなのだろう。

頭の隅で考えたが、それ以外の言葉は思い浮かばなかったのだ。


 ユウキは怪訝な顔もしなかったし、笑ったりもしなかった。


穏やかな微笑を崩さないまま首を振る。


「ユウキさんなんて呼ばなくていいよ。そうだな……ユウキちゃんでいい。そう呼ばれることが多い。本当は呼び捨てにされることが殆どだけど、ユーコちゃんは何となく、呼び捨てにはしてくれなさそう」


 素直に「分かった」と頷く侑子に頷きかえすと、ユウキは続けた。


「魔法使い……ね。確かに魔法を使うから、魔法使いって呼び方は正しいのかも知れないし、そう呼ぶシチュエーションもあるにはあるかな。だけどわざわざ誰かを指して、魔法使いとは呼ばないかも。だって魔法は誰もが使うものだから」


「誰もが使う?」


「そうさ。あそこのパン屋のおばさんも、さっき噴水の前で遊んでいた子供たちも。皆魔法を使う。それぞれ得意な魔法や、使い方の癖はあるけれど」


 侑子は目の前の広場を行き交う人々を、まじまじと眺めてしまう。


 ベンチに座って読書に耽る老婦人、クレープ屋の店員、仲睦まじく手を繋いで歩く恋人同士、母親にだっこされている小さな子供……皆ユウキのような魔法を使うということだろうか。


とても信じられなかった。


「さっき俺がここで魔法を使った時、誰もこちらを気にしていなかっただろう? それだけ身近で、当たり前のことだからだよ」


「そうなんだ……」


 衝撃を受けて暫し口をつぐんだが、あることに気づいて、侑子は思わず隣のユウキを見た。


「あ……っ! 私……」


 しかし続きの言葉が出てこない。

どう伝えたらいいのだろうか。


誰もが魔法を使える世界。

魔法が当たり前の世界。


 そんな常識も知らなかったし、知った今でも、素直に理解することが難しい。そんな人間を、ユウキはどんな風に見ていたのだろうか。


出会ってからの自分を振りかえると、明らかに不審だったに違いない。


そもそもあんなに傷だらけの格好で、ふらふら現れたのだ。

さぞかし怪しかっただろう。


 ユウキは狼狽える侑子を見ても、表情を崩さなかった。

むしろより気遣うように、眉根を下げる。


 少しだけ顔を近づけ、囁くように言った。


「大丈夫。ユーコちゃんが何か訳アリなのは、分かったから。無理して説明しなくていいよ」


 驚いた反面、心底安堵する。

それと同時に疑問も生まれた。


「なんで私にそんなに優しいの?」


 初対面の不審者に手厚くしすぎではないだろうか。


「そんなの当たり前でしょ?」


 逆に心底不思議そうに、ユウキは首を傾げる。


「怪我して今にも倒れそうな女の子がいたら、優しくしない訳ないよ」


 真剣に思いやってくれたのだと分かる飾らない声だった。

侑子は顔の奥が、ツンと熱くなるのが分かった。


それが両目から涙となって溢れ落ちる前に、ユウキはそっとハンカチを手渡したのだった。

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