第6話 世界ⅰ口裏合わせ
「うちって、ネズミとかいないよね?」
朝食の席で侑子が口にした質問に、依子も朔也も眉をしかめた。
「まさか!」
「見たのか?」
侑子は慌てて首を振る。
「ううん。違うの。この間屋根裏を初めて見たから。もしも動物が住み着くとしたら、ああいう場所にいるのかなぁと思っただけ」
胸をなでおろす母親の隣で、侑子はトーストを急いで食べ進めた。
冷たいカフェオレで流し込むようにして飲み込むと、椅子から立ち上がる。
「私、そろそろ行くね。愛ちゃん達と待ち合わせしてるんだ」
「気をつけてね」
「いってらっしゃい」
少しだけ心配そうにも聞こえる二人の声に送り出されながら、侑子は玄関のドアを開けた。
――――動物が動かしたんじゃないとしたら、あの手紙はどこに消えたのだろう
思い当たる望み通りの予想があたっているかどうか、部屋に戻って確認しようか考えた。しかし外れていた時の落胆を考えると怖いし、そもそもどうやって確認できるものなのか。まずそこが分からない。
待ち合わせの時間までもうあまりなかった。侑子は部屋へ戻ることを諦め、前に踏み出した。
***
新品の白いブラウスに、明るい朝の日差しが降り注ぐ。シミひとつない真っ白な生地が眩しかった。侑子は無意識に目を細めて歩きだす。足元を見れば、灰色のプリーツスカート。
今日から新しい学校で、新しいクラスメートたちとの生活が始まるのだった。
この世界へ戻ってきてから一ヶ月と少し。その間に周囲から『別人のように変わった』と何度も驚かれたし、侑子自身でも一年前の自分から変化があったことは認めている。
考え方、物事の捉え方――色々な方面で変化があったのは当然だ。あの並行世界の中で、侑子は確実に生きてきたのだから。
しかしそれでも大本の侑子は侑子のままなのだ。内気で臆病な自分だって、本来の自分であることは間違いない。こういう局面――新しい集団の中に一人飛び込む時には、どうしてもそんな自分が顔を出してくる。
――大丈夫。大丈夫
心の中で呪文のように唱える感覚は、向こうの世界で魔法を出すために念じていた時と同じだ。
スカートのポケットを外側がらぎゅっと掴んだ。そこには銀のブレスレットが入っている。
「大丈夫。うまくやる。心配しないで」
言霊の話をユウキにしたことがあった。
初めて彼と会った日だったはずだ。
侑子は目を細めて優しく笑う、あの日の彼を思い出しながら歩を進めた。
足取りは軽くなっていく。
それが言霊の力なのか侑子が念じた結果に出現した魔法の力なのかは、分からない。
***
「記憶障害?」
「そう。失踪していた間の記憶がなくなってる……そういうことにしておいてくれないかな」
愛佳と遼、蓮の三兄弟と通学路で合流した侑子は、従兄弟たちに口裏合わせを頼んでいた。
「きっとすぐに知れ渡ると思うんだよね。私が一年間失踪していたこと。それで前の学校から、こっちに編入してきたってことも」
転校したと言っても、小さな自治体の中の隣の学区なのだ。人の噂が広がる速さは侮れない。
「さすがに同級生に向かって魔法とか並行世界とか……今までと同じ様に説明したら、友達もできないかなと思って」
編入早々変人扱いされるのは流石にゴメンだった。
侑子の意図するところを理解したのだろう。三兄弟は頷いた。
「分かった。大丈夫だよ、何があっても私がゆうちゃんのこと守るから!」
侑子の腕をぐっと抱きしめながら愛佳は宣言する。その後ろで蓮は「転ぶなよ」と注意しながら、侑子に言葉をかける。
「変な絡み方してきそうな奴はいないから、きっと大丈夫だと思うよ。ゆうちゃんのいた中学よりも生徒数も少ないし、アットホームな空気」
「仲良しクラスなの!」
「そっか。ありがとう。安心してきた」
無意識に力が入っていたようだ。微笑むと頬の辺りが僅かに突っ張る感覚があった。
「そういえば軽音に入ってるやつ、お前たちのクラスにも一人いたよな」
頷いていただけだった遼が思い出したと声を上げた。愛佳と蓮も「あぁ」と相槌を打つ。思い当たる人物がいるのだろう。
「ギターやりたい! って言って入学式当日に入ってきてさ、練習も今のところ皆勤だし良い奴だよ。野本裕貴って名前だ」
「そうなんだ。野本くんね。クラスで会えたら、挨拶しておくよ」
ユウキちゃんと同じ名前だな、と侑子はぼんやり考えた。指先はスカートの上から鱗の形を探している。
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