第5話 世界ⅰ新学期前夜
遼に誘われて軽音同好会に入ることに決めた報告をすると、やはり母と兄は予想通りの反応を示した。
「無理してない?」
「賢ちゃんに全く同じこと言われたよ。やっぱり姉弟って似るものなんだね」
皮肉交じりに返した侑子に、依子は黙る。
「心配してるんだよ」
朔也が控えめに挟んだ言葉にも、侑子は「大丈夫だから」とすぐに返した。
「やりたいって本当に思ってるの。それから私、ギターもやりたい」
「ギター」
妹の口から予想外の言葉ばかりが予想外の調子で飛び出してくるので、朔也は連日困惑しっぱなしだった。
内気で臆病だった妹が、こんな風になったら良いのにと思い描いた姿に近くなっていることは、素直に喜ぶべきなのかも知れない。
しかし朔也はその変化の急激さについていけていなかった。それは母も同じようだ。
「ギターっていくらくらいするんだろう。私の貯金で足りると思う?」
毎年のお年玉や毎月のお小遣いで使わなかった分をコツコツ貯めていたはずで、かき集めればなんとかなりそうな気がする。
考える娘の隣で、依子は困惑顔を正せないまま「そうねぇ……」と相槌だけはなんとか取ろうと努力しているようだった。
「父さんが買ってやる。軽音ってことはエレキか? アコギも両方買ってやろう。侑子が元気に帰ってきたお祝いだ」
それまで黙々と目の前の食事を注視していたはずの父――幹夫が突如声を出した。三人の視線が一斉に集まったが、彼が気にする素振りはない。
「もう父さんは飛行機に乗っちゃうけど、お金は母さんに預けておくから。心配しなくていい。遼くんはギター詳しいんだろ? 一緒に選んでもらえばいいさ」
「ありがとう」
驚き顔のまま礼を口にする侑子に、幹夫はしたり顔だ。娘の反応は始めから予想済みだったのだろう。
「そうだ――伝え忘れていたけど、侑子の部屋にノートパソコン置いてきたんだ。父さんのお下がりだけど、まだまだ使えるからね。設定は大体済ませているから、後で朔也に見てもらって。テレビ通話でいつでもこっちに繋がるからな」
そしてグラスに残った酒を一気にあおると、こう締めくくったのだった。
「話したいことがあれば、いつでも連絡してきなさい。時差なんて気にしなくていい」
幹夫は明確に言葉にしなかったが、侑子には分かった気がした。父が自分の話すことを、何でも受け入れる準備ができていることを。たとえそれが、魔法や並行世界に関する話だったとしても。
***
父を空港まで送ってから自宅に帰って来た頃には、すっかり空は暗くなっていた。しかし家の周囲の通りは明るく、人通りも多かった。隣に建ったマンションの影響なのだろう。街灯も新しいものに付け替えられた上に、マンションエントランスの灯りの存在感が大きい。
「侑子、先にお風呂入っちゃったら?」
「そうする」
母に促されて、玄関から自室に直行する。着替えを揃えようとクローゼットを開けた侑子は、ふと屋根裏へと繋がる点検口の方向へと目を向けた。
既に衣類に隠されて入り口は見えなくなっていたが、侑子は隙間に身体を滑り込ませた。取っ手を引っ張って、蓋を開ける。スマートフォンのライトを内部に向けた。
「あ」
小さく声が漏れたことに自分でも気づかずに、気持ちが昂ぶってくるのを感じる。背伸びして、更に奥を照らして周囲を見回してみた。
手紙が消えていた。
先日、ユウキ宛に書いた一通の手紙。
ジロウの屋敷の住所を書いて、普通郵便の封書料金の切手を貼った。
その手紙を、侑子はこの場所に入れておいたのだ。チカチカと点滅を繰り返す、ケーブルテレビのアンテナのすぐ隣に。
――ジロウさんの家のあの場所に、繋がっていそうな気がする
侑子は自分の直感に、頼りない僅かな期待を込めたのだった。
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