第7話 世界ⅰ新学期

「五十嵐侑子です。北中から編入してきました。事情があって一年間中学校に通えていなくて、もう一度一年生からやり直しになったんです。一年分の記憶が曖昧なので、おかしな行動をとることがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」


 ホームルームの始まりとともに紹介された編入生の挨拶に、生徒達は皆無言で唖然としていた。

担任はぎょっとした表情のまま「五十嵐さん、そこまで説明しなくてもいいのに」とつぶやく。


 淀みなく言い切った侑子だけが教室の中で清々しい顔をして立っていて、沈黙を破ったのは担任ではなく愛佳だった。


「ゆうちゃんって、呼んであげてね。私と蓮の従姉妹なの。しっかり者でいい子だから、仲良くしてあげて!」


 彼女の発言が口火を切ったように、教室の中はざわめき始めた。


「愛佳の従姉妹なんだ」


「確かにちょっと似てるかな?」


 愛佳と蓮が話していた通り、雰囲気の良さそうなクラスである。先程の侑子の驚くべき発言を聞いた直後にもかかわらず、既に彼女のことを受け入れようとする空気に変わっていた。


「ゆうちゃんの席、ここじゃない? 俺の隣!」


 一際大きな声で黒板の前の侑子を呼んだのは、一人の男子生徒だった。

一番後ろの窓際に、手を振る彼の姿があった。示されたのはその隣の席である。


「ありがとう」


 席に着くと、周囲の生徒たちに改めて「よろしく」と挨拶する。皆はにかみつつ笑顔で応えてくれた。

 侑子は胸を撫で下ろす。


「よろしくね。野本裕貴です」


 隣の席の男子生徒が、人懐っこい笑顔を向けて挨拶してきた。




***




 新学期初日の学校は始業式とホームルームだけで終わるが、教室から帰宅のために出ていく生徒は数えるほどだ。残りの生徒たちはほとんどが侑子の席の周囲へ集まってきていた。

 こうなることも想定しておいて良かったな、と侑子は心の中で苦笑いする。

 案の定、次々と質問が浴びせられた。


「記憶が曖昧って、本当?」


「事情ってどんなことがあったの? 病気か何か?」


 殆どがこの類の問である。思いの外ド直球な質問だなぁとおかしくなって侑子が笑い出したのを見て、止めに入ろうとしていた愛佳と蓮は顔を見合わせた。


「自分でもよく分かってないの。一年間失踪してたみたいなんだけど、その間の記憶がなくて」


「ええぇー!」


「そんなこと本当にあるんだ?」


「ドラマの話みたい」


 茶化したりあからさまに疑うような意地悪な発言をする者が一人もいないのは、たまたまついていたのだろう。そういうことを言われたとしても言い返す準備はできていたが、その必要がないならそれに越したことはない。


 侑子が一年前の失踪する直前の記憶や、こちらに戻ってきてからの話を所々創作も交えながら説明している間、生徒達は皆神妙な顔つきで頷いていた。


 全てではないが嘘をついていることに、罪悪感を覚えるほどに彼らは素直だった。


「ゆうちゃん、軽音入るんだって?」


 唐突に別の話題をつっこんできたのは、裕貴だった。隣の席に姿が見えなかったので既に教室からいなくなっていたと思っていたが、どうやらずっといたらしい。


「皆もういいだろ。部活あるやつら、もうすぐ始まっちゃうぞ」


 ほら、解散解散、とクラスメートたちが侑子の周りに作る人だかりを陽気な口調で散らしていく。

 

「私が入ること、知ってたの?」


 侑子の問いかけに、裕貴はうんと頷く。


「高橋先輩から聞いたよ。ついさっき」


 スマートフォンを振ってにこにこと笑った。


「裕貴、私もゆうちゃんと一緒に入ろうと思うんだけど」


「そうなの? いいじゃん。じゃあさっさと行こうぜ」


 愛佳と侑子を促すと、裕貴は教室を後にする。蓮は侑子たちが終わるのを図書室で時間を潰して待っていると言って、廊下の反対側へと消えていった。


「愛佳と従姉妹ってことは、高橋先輩ともいとこ?」


「そりゃそうだよ」


 廊下を歩きながら話し始めた裕貴の問に、侑子は笑った。


「先輩と似てるもんね」


「えぇ! どこがぁ?!」


 反論したのは愛佳である。


「あんなぽんこつヌケサク兄貴とゆうちゃんの、どの辺が似てるって言うの」


「お前自分の兄ちゃんのことディスりすぎ。似てるよ。さっき教室で自己紹介した時とか。初めての人の前であんなにスラスラ言葉が出ててさ。全然緊張してなさそうで、すげーなって思ったよ。高橋先輩もそういうとこあるじゃん」

 

 愛佳の発言に盛大に吹き出しつつ、侑子を振り返って話す裕貴の視線は、尊敬を帯びたものだった。率直に自分のことを褒めてくれたのだと分かって、侑子は途端に恥ずかしくなる。


「緊張はしたよ」


――――それに、本当のこと言ってないし


 舞台の上で誰かを演じる役者とは、ああいう心境でセリフを述べるのだろうか。それとも演じる対象になりきっているが故に、セリフは本心からの言葉になるのだろうか。


 侑子はあの時、演者になったつもりで自己紹介をしていたのだ。噴水広場でユウキが滑らかに口上を述べる姿を思い浮かべて、記憶の中の彼に倣っていただけだ。


「でもさ、やっぱ凄いものは凄いよ――着いたよ。ここで活動してるんだ」


 裕貴を先頭にした三人が足を止めたのは、第二音楽室の前だった。校舎三階の一番北奥に位置している。


「この学校って、音楽室二つもあるの?」


「あるけど授業では全然使ってなかったらしいよ。生徒数が今より多かった時代には使われてたけど、長らく吹奏楽部の物置状態だったんだって。同好会立ち上げの時に高橋先輩と顧問の佐藤先生が校長にかけあって、活動場所として使わせてもらえるようになったんだ」


「そうなんだ。遼くん、本当に立ち上げ頑張ったんだね」


「お兄ちゃんって一極集中型だからなぁ」


 三人は音楽室に足を踏み入れた。既に会員達が楽器をいじっていたらしく、ドアを開けると賑やかな音がボリュームをあげて侑子の耳に飛び込んできた。

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