第48話 どれくらい

 妻の背中はこんなに小さかっただろうか。


 ソウイチロウはこちらに背を向けて正座するミネコを、ただ見守っていた。


 狭く、物の少ない空間だった。


 外とその部屋を区切るのは分厚い布地で、それを支える支柱は歪みのない細い金属棒だった。


その棒の先が鋭く尖り、地面に深く突き立っていることをソウイチロウは知っている。彼自身もこの空間――既に数ヶ月をその中で過ごしている――を作ることに携わったのだから。


 普通の部屋の大きさにして六畳ほどだろうか。


広くないその空間の南端に向かって、ミネコは一心に何かを唱えていた。独り言を呟いているようにしか見えないが、その言葉は誰かと会話する者が発する丁寧語だった。


 ミネコの会話相手は、彼女の手前の小さな絹布の切れ端の上に置かれている。

その物の上には、更に一枚の絹の切れ端がかけられているので、ソウイチロウが色や形を目視することはできなかった。


「ソウイチロウ」


 部屋の戸口、その向こう側から呼ばれて立ち上がった。


「ちょっと行ってくるな」


 ミネコの背中に声をかけると、彼女が片手を上げて応じた。

 彼女の言葉は途切れることなく紡がれていたが、それはソウイチロウに対するものではない。


 しかしちっとも気に病むことなく、彼は立ち上がって外へと出ていった。


それは彼ら夫婦にとって、よくある日常の一コマなのだ。



 一人きりになってしばらく経つと、ミネコはようやくその唇を閉ざした。


人の声が止まり無音になったはずのその空間に、彼女は風の音のような、外から聞こえてくる鳥の鳴き声、せせらぎの音のような数々の何かを感じる。


「どれくらい?」


 再び唇から滑り出したミネコの言葉は疑問形だった。


「どれくらいもつのかしら。私たちが残してきた力の名残は」


 彼女の問いかけに、目の前の会話相手は無言だった。小さな小さな絹布の下で、僅かに光が瞬いた。


「あの子は元気かしら。火傷はすぐに治ったかしら」


 その言葉を最後に、ミネコはそれを大切そうに絹布ごと手の中に掬い取る。


 小さな子猫でも抱きしめるように、その温もりを確かめるように胸にぎゅっと押し当てた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る