第16話 歌声
侑子は薄暗いホールの片隅に、ジロウと共に立っていた。
照明はほとんど落とされている。グランドピアノが置かれたステージだけが、仄明るく浮かび上がっていた。
やがてその灯りも、ゆっくりフェードアウトしていき、客たちの話し声が静まっていく。
「そろそろだな」
ジロウがにっと、笑みを浮かべてつぶやいた。
「注目注目」
彼の太い指先が指し示す先――――ステージに視線を戻した侑子は、再びそこが明るくなるのを、静かに見守った。
ピアノの音が聴こえてきて、先程よりも光量を上げたライトの先に、赤いドレス姿のリリーがいた。
長い髪をアップスタイルに結い上げた細い首がわずかに揺れ、歌声が滑り出す。
彼女の話し声よりも深く、低い音だった。ドスが効いた特徴的な低音から、唐突に嬌声のような高い声に変わる。
鍵盤を叩きながら身体を揺らし、真紅に輝く唇から、歌が紡がれていく。
「リリーさん、綺麗……」
自然と口からこぼれ落ちた感想に、ジロウはうんうんと頷く。
「うちの稼ぎ頭だから。彼女目当てのお客さん、多いんだよ。エイマンくんみたいに……そろそろユウキも出てくるな」
侑子は再びステージに目を戻した。
***
夕方からリリーが変身館で演奏するのだと聞いたのは、カフェのテラス席で昼食を食べている最中だった。
歌歌いとして客を呼び、毎月決まった報酬をジロウから受け取る。これがリリーの仕事なのだという。
「沢山お客さんが来れば来るほど、給料上乗せしてもらうの」
「リリーは変身館で契約してる人の中で、一番稼いでるよ。基本給だけだったことなんてないでしょ? 憧れるなー」
ユウキはジロウの手伝いで、変身館の仕事もするのだという。雑務や事務の他、歌い手としてステージに立つことがあると聞いたのは、今朝のことだ。
「ユウキちゃんも契約してるの?」
「俺は空きが出たときの補欠みたいなものだよ」
曖昧に濁して笑ったユウキに、リリーは首を振った。
「謙遜しちゃって! ジロウさんは卒業後に正式に専属契約させたいつもりなんでしょう?」
自信持ちなさいよ、とリリーは強い口調で続けた。
「あんたのステージ、評判いいのよ」
「でも仕事までジローさんに甘えるのもなぁ」
「そんな個人的な感情、捨てなさい。使えるものは使えばいいの。運がいいのもコネがあるのも、才能のうちよ。それにユウキはちゃんと音楽的なセンスも持ってる。魔法の才能の方を抜きにして、しっかり勝負できるわよ」
ばんっと背中を叩かれ、気合をいれられたユウキは、苦笑いしている。
「リリーには敵わないな。ありがとう」
形の良い唇の端を上げたリリーは、今度は侑子の方を向いた。
「ユーコちゃんは昨日、ユウキの曲芸見たのよね?」
「はい」
「じゃあ今日は変身館でのユウキを見てあげてよ」
ね? っと自然にウインクをしたリリーは、くるりとユウキに向き直る。
「今夜一緒にやろう。決まりね。私始めに二曲歌うから、その後出てきて」
有無を言わせぬ勢いだ。ユウキをうなずかせた後、二人は何やら打ち合わせのようなことを始めた。時折聴こえてくる二人のハミングをBGMに、侑子はホットサンドをせっせと食べたのだった。
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