第11話 肉壁
満員電車の乗り方の中で一番疲れないのは、踏ん張らずに他人に寄りかかることだと言う。
電車が発進停止をするたびに人の波が揺れ、端にいる女性が他人の重みに悲鳴をあげる。そうならないように頑張る人間はつり革をしっかりと掴み、隣の乗客に体重をかけないように踏ん張っているのだ。それを電車が揺れるたびに寄りかかられたのでは溜まったものではない。それどころか中には肘を突っ張り他人のアバラに食い込ませて来る外道までいる始末である。
頭の上につり革があるだろう。それ掴んで自分で踏ん張れや。
そう思った。特にいま私の横にいるサラリーマンがそうだ。さも当然とばかりに体重を預けてくる。
ようし、そっちがその気ならこっちもやるぞ。
できる限り体に力を籠め、盤石の壁になる。そのまま電車の揺れに耐える。
寄りかかってきていたサラリーマンがこちらの胸板にぶつかる。ああ、こりゃいいやと全体重を載せてくる。顔は向こうを向いている。
揺れの一度目。さあどんと来い。ほら、丈夫な壁だろ。たっぷりと寄りかかってこい。
揺れの二度目。相当きつかったが受け取める。そうだよ、君の背後には丈夫な壁がある。たっぷりと油断したまえ。
さあ、次だ。体の中に次の動きを命令しておく。脊髄反射部位に次の反応を命じておくと、発火閾値が上がり、大脳の命令なく体は素早く動く。ちょっとした体制御のテクニックだ。疲れるので滅多にやらないが。
さあ来るぞ。タイミングと速さが命だ。
揺れの三度目。電車が揺れた。今だ!
体をできるだけ片側に寄せる。重心軸を力の流れから外し、そこを中心にコマのように体を回転させる。
背後にあるはずの肉壁がいきなり消えて、無防備にもたれかかったサラリーマンの男が真後ろに倒れ込む。頭上のつり革に手を伸ばす余裕もなく、驚愕の表情を顔に浮かべたまま、人々の海の中に仰向けに沈みこむ。
驚いたように見つめる周囲の人々の足の間で、床に横たわったサラリーマンは何が起こったか分からないという顔をして天井を見つめている。
後ろにあったはずの肉壁はどこへ?
みんなこいつは一体何をやっているのだという冷たい目で倒れた男を見ている。
笑いが漏れそうになるのを押し殺して、私も見つめる。ここで笑ったら台無しだ。犯人が誰だかわかってしまう。
本日のミッションは終了。
この世には見も知らぬ他人に寄りかかって良い人間など一人もいない。
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