第9話 大人はみんな嘘を吐く

 初めて自転車に乗ったとき。その大人は言った。

「ずっと後ろで自転車を支えているから大丈夫だよ」

 自転車を漕ぎながら横目で自分と自転車とその大人の影を見ていた。こいつは手を離すぞ、手を離すぞ、手を離すぞ。

 ほら、やっぱり離した。その直後、石畳の上で自転車は派手に転び、膝を擦りむいた。

「すごいじゃないか。一人で走れたぞ」

 嘘を吐いたことを謝りもせずに顔を上気させてその大人はドヤ顔をした。

 このゴミ野郎は、石畳でケガをした私の足は見ないフリをした。自分のおかげでこの子は自転車に乗れるようになったんだと自画自賛しているのが見てとれた。


 プールに行ったとき、ここまで泳いでご覧と別の大人は言った。自分が泳ぎ始めたら、きっとこいつは後ろに後ずさりをするぞと思ったので念を押す。

「絶対にそこから動かないでね」

 わざと念を押す。約束を破ったときに少しでも自責の念にかられるようにだ。

「絶対に動かないよ」しらりと言ってのける大人。

 自分の行動がこんな子供に見透かされているとは露とも思わない愚かな大人。

 泳ぎながら水の中で目を開け、前方にいる大人の足を見つめる。やっぱり後ずさりをしている。

「凄いじゃないか。ここまで泳げたぞ」

 嘘つき大人が勝ち誇ったように言う。自分の手柄のつもりなのかい、この子供との約束一つ守れない人間のクズが。

 心底そう思った。


 ここのところ社内での幹部会議では私の部門が話題になっているらしい。何かどこか問題があるとうちのせいだとの大合唱をしているとの話だ。

「次の会議には私も出ますから」と課長に言った。

 システムの電源が火を噴いたのまでこちらのせいにされてたまるか。原因は電源の専門家という肩書で新しく入って来たハード屋のせいだ。温度極性が同じ抵抗を電源に使うという小学生でもやらない禁じ手をやったせいだというのは社内の噂で聞いている。

「ああ、うん、分かるんだけどね。君には会議に出ずに仕事に専念してもらいたいんだよ」

 昼狐課長が慌てて止める。会議のたびにすべての責任は私だと主張しているのは何を隠そうこの課長なのだ。誰かを悪者にして自分は悪くないと主張する良い例だ。

 結局、私が会社を辞める羽目にされた。単純計算でも三十人分働いていたのに。課を支えていたもの凄く太い大黒柱を自ら切り倒したのだ。この人は。

 その結果、私の下で楽をしていた連中と、私が辞めさせられたのを見て絶望した連中すべてが次々に辞めて、課員の総数がとうとう一人になってしまい、結局この課長も詰め腹を切らされて辞めることになった。

 うん、自業自得。でも一番被害を受けたのは私だ。


 大人はみんな息を吐くかのように嘘を吐く。そして私はあなた方が吐いた嘘をすべて覚えている。あの世に行ったとき、閻魔大王様にすべてを報告するために。

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