船と石像

雨で浸水した街に、一隻の船が流れ着いた。その船には石像が乗っていた。石像は大まかに見ると人の姿をしていたが、人の像では無いようで、腕は四本あった。前列に伸びている二本は組みあい、背中から伸びている二本は自分の大きさを誇りに思うように、あるいは威嚇のように天に突き出されていた。頭からはヤギのような角が生え、修羅の表情をたたえて人々を見下ろしていた。髪は乱れていて、ところどころに白いものも混じっている。赤い全身の筋肉は体内の血の流れを外にまで吐き出そうとしているように見える。腰から尾が伸びて前方に突き出し、見るものをその鋭い先端で突き刺そうとする。それでも遠目に見れば確かに人のように見える。石像は重く、簡単に持ち上げることはできなかった。石像は重く、簡単に持ち上げることはできなかった。しかし水の流れは続き、町を流れて出口に向かう。どうにかして街の人々は石像を取り上げて、船を流しきってしまおうとした。それまでは船を街から出すわけにはいかない。日暮れまでには町を出ると予測されていた。ある人類学者はこの石像を一刻も早く一刻も早く街から追い出すべきだと主張した。彼によれば、石像には隠された第三、第四の目が存在し、それをまともに見たものは無事では済まず、かといって石像を破壊しようとすれば石像の意思によって街は崩壊するだろう、よってすぐに追い出すべきだというようなことを会議のたびに両手を振り回して説明していたが、それは実現可能性の低い望みだった。水の流れを調整できるような仕組みはこの街にはない。それはこの街の歴史に由来する伝承によって、いつか来る大洪水によって水の流れがもたらされようとも変えることは許されず、実際に水の流れを御するような愚者が出現しないようにという代々の言い伝えのため、あらゆる水門が作られるたびに壊されてきたことが原因だった。彼らはそういう浸水によって街が守られてきたと思っていたが、事実は石像を乗せた船を止める方法がない、という問題ただ一つにのみ収斂した。住人にとって石像のみが重要だったが、船が妨げとなっていた。学者たちはとにかく石像の重要性を説き、また街の住人達も賛同した。石像の姿はこの世のどの歴史書や神話にも存在しない水の神のもので、新しい神として村が祭るにふさわしい石像であるように思えた。しかし水流と船が意思を妨げている。古い偶像崇拝が支配する街で、船は粛々と進んでゆく。予想よりもはるかに進む速度が遅いが、それでも進んでいることに変わりはない。石像は街中の関心の対象となったが、具体的な進展はないままだった。水遊びをしていた子供たちが石像の乗った船に泳ぎ着いた。家が隣同士の、二人の男の子だった。石像を持ち帰れば村の人は喜ぶだろうという単純な期待に基づいて行動していた。石像には仮面が取り付けられていた。銀製の古い仮面だったが、錆びた様子がない。古いことは仮面の額に刻まれていた五方向に中心からスズランが伸びた構造から明らかになっていた。この街自体が随分前に外の歴史と隔絶された街ではあるものの、それゆえに根付いた独自の信仰と伝承を育む場所となっていた。五というのはかつて街に落ちた星の数であり、スズランは命を意味する。そしてそれらの伝承が有意義だったのは遥か昔の話であったが、子供たちはそうとは知らない。石像の置かれた船について仮面を見た子供たちは、水がもう流れなくなった街の小高い丘の木の根元の自分たちの秘密基地と、そこに置いてある数々の機械の破片のことを思い出した。必死に狭い町を駆け回って集めて作り上げられた、ガラクタを積んで作られた山の中心に、新しい宝があるさまを想像した。片方の子供が仮面に触れた。銀の仮面が猛獣も震える金切り声を上げ、自分が主のもとを離れることを拒絶した。子どもたちはびっくりして、その拍子に船から流れる水へと落ちた。辛うじて自分たちの家に泳ぎ着いて、それぞれの夕飯の前にこっぴどく叱られた。子どもたちはなぜ怒られたのか理解していないままで黙々と夜を過ごした。その出来事によって、町人たちはいよいよ怖気づいた。最近街に引っ越してきた司祭は、石像を粉々に砕いてまた新しい神話を一から創造しようと提案したが、その提案が街の人々の反感を買った。司祭は寝ている最中に服を脱がされて五角形の木製の枠組みに磔にされて、その次の日には全裸で街の濁流の底に呑まれて浮かび上がってこなくなった。神話とは存在するものであり創造するものではないという厳然たる事実を、司祭は誤認してしまっていた。石像は船を選んで乗っていて、人の手でどうにかできるわけではない、という意見はどこからも出なかった。なぜなら、石像は神聖なものとされていたが、船はそうではなかったからだ。神聖なものが神聖でないものに執着するというのは到底あり得ないことで、そう解釈することすらも人には許されない。司祭を沈めてすぐの会議で、ある屈強な男が仲間数人とその船に乗り込み、石像を持ち帰ろうと提案した。街はその活動を大いに支援し、できる限りのことはすべて男たちにしてやった。石像はそのままでは持ち上がらないと誰もが予想した。次善の策として、船の底を剥がして一度石像を沈め、水が干上がってから然るべき場所に石像を安置するのがよいと考えたので、町長は巨大なのこぎりを男たち一人ずつに持たせた。町長の家の二階から、男たちは船に縄を投げた。縄の先端についた鉤がうまく側板に刺さったので、水に押し流されながら船に辿り着く。石像の台座の周辺の木材をのこぎりで切り始めた。台座の正方形にあわせて大きく底を切り、徐々に船の中に水が入り込んでくる。しかし、船は安定性を欠くことなく浮き続け、石像も持ち上げるにはあまりにも重いはずなのにその場に浮き続けた。船が水浸しになったので。男たちは首をかしげて引き返し、起きたことをそのまま町長に伝えた。はじめは、町長は彼らがとんでもない噓をついているのではないかと思ったが、人をだまそうとついた嘘にしてはあまりにも荒唐無稽が過ぎると考え、男たちの言ったことを事実として受け止めるよりほかなかった。やがて、船と石像は加速し始めた。もはや誰も止めるすべを見出すことができないままで、ただ単に眺めていた。議論は石像を手に入れることではなく、石像の存在が果たしてどのようなものであるかということに主題を変えていた。しかしそれについて議論できる学者は既に石像に興味を示すことはなかった。夕日に照らされて石像を乗せた船が街から出てゆく。船と石像はつまり、誰にも求められることがなければ永久に街をさまよい続けていたに違いなかった。

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