第5話 成り行き

 大学二年の、ちょうど今頃。夏休みになる直前だった。輝夜かぐやは、大矢おおやに向かって言った。


湘太郎しょうたろう。私、子供が出来た」


 嬉しそうに笑みを浮かべていた。言われて大矢は非常にびっくりした。いつのまに、そんな相手が出来たのだろう。相変わらず、一緒に行動することが多い大矢だが、全く気が付かなかった。


「え? 何だよ、それ。誰の子供だって?」

「あなたの子じゃないのは確かね」


 それはそうだ、と心の中で言うと、大矢は顔をしかめた。大矢は、輝夜を好きだったが、残念ながら彼女の方では、一年前と変わることなく、大矢に対して友情以上のものは感じていない。そして、当然、子供が出来るような行為に及んだこともない。


「ふざけてる場合かよ。で、誰なんだ、相手は」


 彼女は、大矢の耳元で、大矢もよく知っている人の名前を言った。大矢は驚いて、


「嘘だろ。それか、おまえの願望だ」

「願望じゃないわよ。あの人には、さっき言ってきた。認知するって言ってくれたわよ」


 大矢は、何も言えなくなった。


 その相手は、この大学に講師で来ている津島つしま真澄ますみ先生だった。奥さんと子供がいる人だと聞いたことがあったが、一体どうして輝夜と関係したのだろう。


「その人は、認めたのか。何でそんなことになってるんだよ、おまえたち」


 輝夜は首を傾げて、


「えっと、成り行き?」

「成り行き……」


 絶句した。


「あの人のことは、ずっと好きだった。だけど、最初はあの人が教えてくれているその講義の内容が好きだった。あの人そのものではなかったわ。

 でも、しょっちゅう質問して、話すことが多かったからかしら。徐々に先生その人を好きになっていった気がする。

 だから、いい雰囲気になった時、私は拒まなかったよ。だってね、私はあんな風になれて、嬉しかったんだよ。そうなりたかったんだよね。

 あの人に家族がいるのは知ってるけど、それでも今私は幸せ。あの人の子供が、ここにいるんだもの」


 彼女は、まだ全く大きくなっていないお腹を優しく撫でながら、


「湘太郎。私ね、名前を考えたの。女の子だったら、ひかりちゃん。男の子だったら、聖矢せいやくん。いい名前でしょ」


 随分気の早いことだ、と思った。


「ひかりちゃん。それとも、聖矢くんかな。元気に生まれておいで」


 優しい声で、お腹に向かって声を掛けている。その表情は、すでに母親のもののように見えた。


「会えるの、楽しみにしてるよ」


 そう言って微笑む彼女に、大矢は、


「輝夜……」

「なあに?」


 呼んでみたものの、言葉が続かない。


「私、生むからね。一人で、ちゃんと育てて見せるわ。頑張るからね」


 笑顔の中に、何か微妙なものが混ざっているように見えた。


「おまえ、これからどうするんだ」

「聞いてどうするのよ。私は、この子の親になるだけよ」

「おまえの親は知ってるのか」


 よけいなことと思いながら、口が止まらない。輝夜も、とうとう顔をしかめて、


「湘太郎には関係ない」


 怒らせてしまった。大矢は、俯きながら、


「ごめん。オレ、おまえが心配になっちゃってさ……」


 大矢の謝罪に、輝夜は表情を和らげた。


「私もごめん。湘太郎が心配してくれるのはありがたいよ。でも、これは私が頑張ることなの。今後のことは、これからちゃんと考える。だから、そっとしておいて」

「わかった。この件に関しては、もう何も言わないようにするよ」


 その後すぐに夏休みになった。彼女には、それ以来ずっと会っていない。彼女は休学し、そのまま退学してしまった。



 彼女がその後どんな人生を歩んでいるのか、全く知らない。が、その時の子供が、今シャワーを使っている彼だろうと、確信していた。


 彼女に育てられたのか、それとも父親に育てられたのか。

 彼は一体、どうして家出するに至ったのか。


(とりあえず、名前をもう一回、訊かなきゃな)


 教えてくれるだろうか、と不安に思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る