うたた寝
連喜
第1話
先日出張で新幹線に乗った。往復とも指定席を取った。帰りの電車はガラガラだったのに、二列シートの隣に四十代くらいのサラリーマンが座ってきた。ダークグレーのスーツを着て、飛行機の機内に持ち込みサイズくらいの茶色い布製のキャリーケースを持っていた。いかにも出張帰りという感じだった。
気持ち悪いのだが、俺は指定席の窓際なので移動することも難しかった。仕方ないから寝たふりをしてやり過ごした。この人と一時間半近く一緒かと思うと憂鬱だった。しかし、似たような年恰好だから、側から見たら、会社の同僚にしか見えなかっただろう。
俺は寝ようとしたが、さっきペットボトルのお茶を飲んだせいでトイレに行きたくなってしまった。「すいません」と声をかけてその人の前を通って通路に出た。
その時初めてその人をちゃんと見たが、ちょっとおどおどした感じで、メガネをかけた真面目そうな人だった。髪が整髪料でテカテカしていて、昔の銀行員みたいなイメージだ。「じゃあ」声が震えていた気がした。
俺はトイレに行ったが、手を洗って、その後は何もやることもないから席に戻った。自由席が空いてたら席を変更したいくらいだったが、自由席は一~三号車までで、ちょうど反対側の車両だったから、移動が大変で断念した。グリーン車の中を通りたくなかったからだ。多分、通り抜けはダメだと思う。
渋々、元の席に戻ると、荷物だけ残して、その人がいなくなっていた。その人もトイレかなと思った。俺たちは車両に二つか三つしかないトイレに連れションしていたらしい。
俺は前を通らなくて済んでよかったと思いながら、席に戻った。俺はしばらくLineをやって、次はネットニュースを見ていた。三十分ほど経っているが、気が付けば隣は空いたままだった。タバコを吸いに行ったとしても、長すぎるんじゃないか。
足元のスーツケースが気になった。四十代の人が使うにしては、古いデザインだった。
もしかして、不審物?爆弾かもしれない。俺は怖くなった。テロかもしれない。あの人の焦った表情からもそんな気がした。俺はその場から急いで立ち去った。十一号車から延々と歩いて、三号車の自由席車両に移ったが、やはりガラガラで二列シートに一人で座ることができた。俺はほっとして、目を閉じた。終点までぐっすり眠った。やっぱり、隣に人がいると気になって落ち着かないのだ。これは誰でも同じだろうと思うが。
***
出張から帰って、次の日曜日、俺は家でゆっくり過ごしていた。出張があると、その週はずっと疲れたままやり過ごすことになる。週末でリカバリーしないと翌週はきつい。年齢のせいか出張がきつくなっていた。家のソファーで小説を読んでいたら、いつの間にか寝てしまった。
インターホンが鳴った。カメラを見ると宅急便の人が立っていた。
若いお兄ちゃんで、前に何度かうちに来たことがある人のようだった。
俺は慌ててズボンを履いて玄関に出て行った。
「すいません。遅くなっちゃって」
「いえ」
その人は相変わらず感じがいい。
「江田聡史さんでお間違いないですか?
「はい」
今は印鑑不用だから、その人はそのまま立ち去った。
荷物はトランクだった。差出人は鉄道会社だ。茶色いトランク。俺ははっとした。
これは俺のじゃない。すぐ玄関のドアを開けて「すいません」と声を掛けようとしたが、その人はもういなくなっていた。何でうちに来るんだよ。受け取り拒否すればよかったのに・・・寝起きだから受け取ってしまったじゃないか。
俺はリビングに戻ってスマホを手に取った。ネットで調べて、近所の営業所に電話を掛けた。
「すいません。うちのじゃない荷物が届いてるんですが・・・いや、あの、誤配じゃなくて、身に覚えのない荷物なので、送り主に返却していただきたいんですが。さっき、届けていただいたばっかりで。気が付かなくてうっかり受け取ってしまったんですが」
俺は喋りながら歩いて玄関に戻った。すると、玄関にあったはずの荷物がなくなっていた。俺は頭がおかしくなったのかと思って、また電話すると言って、慌てて電話を切った。
「あれ~おかしいな。確かに宅急便届いたのに・・・」
俺がリビングに戻ると、ソファーに人が座っていた。
この間、新幹線で会った眼鏡をかけたサラリーマンだった。トランクが傍らにあった。
「え!どうしてうちに?」
俺は叫んだ。
「いえ・・・ただ、素敵な方だと思って」
「はぁ?」
俺は聞き返した。男は薄気味悪い目で俺をじっと見つめていた。
***
「着きましたよ」
俺が目を開けると新幹線の清掃をやってる男性だった。俺は慌てて周囲を見回すと、他の乗客は全員降りた後だった。終点で駅員さんに起こされるのはやっぱり恥ずかしい。俺は立ち上がって、降りようとすると、足元にトランクが置いてあった。
「お忘れものですよ」
俺は「違います」と叫んで、慌てて新幹線を降りた。変な夢を見たなと思ったが、半分は夢で半分は現実なのだ。あの人は何故トランクを忘れて行ったんだろうか。不可解だった。
俺は疲れた体を引きずって駅の構内を歩き、山手線に乗り換えた。電車の中でたまたまスーツのポケットに手を入れると、何やら紙が入っていた。取り出してみると、『11号車のトイレ付近で待ってます』と書いてあった。うわ、気持ち悪い。俺は電車の中なのに思い切り嫌な顔をしてしまった。腹立たしくて、ポケットの中でその紙を捻りつぶした。
次の朝のことだった。出勤の支度をしながらニュース番組を見ていると、新幹線のトイレで四十代の男性が自殺したという報道がされていた。
「昨日、午後八時四十五分。博多発東京行きの新幹線のぞみ〇〇〇号の車内で男性の首つり遺体が発見されました。男性は荷物用フックにネクタイを掛けて、首を吊った模様です。心配停止の状態で病院に搬送されましたが、今朝未明、死亡が確認されました。自殺とみられています」
俺ははっとした。
え!
まさか!
『11号車のトイレで待ってます』
男性はドキドキ・ハラハラしながら俺のポケットに手紙を入れた。そして、俺がトイレに立つ。彼は俺がOKしたと勘違いしたのかもしれない。彼は俺の後を追ってトイレに行ったが、俺は素通りして立ち去った。はっきり言って、通路に人がいたかどうかも覚えていない。そして、俺はそのまま席に座って、携帯を弄りながら起きていた。彼は荷物を取りに戻れなかったのだろう。
座席には、荷物がずっと置かれたままになった。
どうしよう・・・。
俺は知らなかったんだ。
ポケットの中なんて、そんなしょっちゅう見ないよ。
***
次の日曜日。俺がスマホで携帯小説を読みながらぼんやりしていると、インターホンが鳴った。俺は半分寝たような状態で玄関にたどり着いた。ふと気が付いたらトランクス姿のままドアを開けていた。宅急便の人が目を合わせないようにしていたので、俺は羞恥心で気が動転していた。
「お名前、江田聡史さんで間違いありませんか?」
「はい。ありがとうございました」
俺はせめて感じよくお礼を言った。
気が付くと、受け取ったのは、あの茶色の布製のトランクだった。
亡くなった人の荷物だ。
どうしてうちに・・・そうだ。俺が予約した席にあったからだ。
まさか・・・俺が恐る恐るリビングに戻ると、
やっぱりいた。
あの人が、
眼鏡越しに小心そうな目をして俺を上目遣いに見ていた。
口元にはうっすらと笑みがこぼれていた。
うたた寝 連喜 @toushikibu
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