プロローグ③
闇を取り込んだ少女は、見た目の上では特に大きな変化はない。
だがその内側には、今までの少女とは比べ物にならないほどのエネルギーが宿っていた。
「何、これ……」
到底自分の体に収まるとは思えない力。
自分も相当異質だが、それよりもっと異質で歪で、なぜ存在するのかが疑問になるレベルの馬鹿げた力。
それは、ただ一つ神に対抗するための力。
どこで生まれ今までどこに隠れていたかも定かではない、御伽噺の中の力。
誰も扱いなんて知らないはずなのに、それを受け入れた少女は、不思議な全能感と高揚感に包まれていた。
「これなら、やれる。これなら、勝てる!」
ワイヤー移動のような、地面を滑る動きで少女の体がずれる。
元いた足元から莫大な水が噴き上がるが、その影響を受ける場所にはもういない。
黒い風を纏った少女がただ手刀を繰り出しただけで、水の神の大木を思わせるほど巨大な足が弾け飛ぶ。
やっていることは、赤熱したワイヤーで切り裂いているのと変わらない。
だが得られる結果は、今までのそれを遥かに凌駕する。
「……ッッッ!!!」
「より危険を感じるって?あはっ、それはきっと正しいわ!」
ワイヤーもなしに、少女は数百メートルも跳躍する。
元の身体能力は高いが、絶対に不可能な領域。そこに、少女は片足どころか全身を突っ込んでいた。
「だって、私が一番そう思うもの!」
目の前にある顔面を、少女は思い切り殴り飛ばす。
普通なら受け流されるか衝撃を跳ね返されるはずなのだが、やはり水の神の
だが間欠泉によるエネルギー供給は止まっていないようで、首からボコボコと水が湧き上がるとすぐに元の形を取り戻してしまう。
それでも少女に絶望の色はない。むしろ戦いを楽しんでさえいる。
「再生力が高いなら、それを上回る速度で壊せばいい!」
落下の勢いを活かして踵落としを肩に喰らわせる。
それだけで腕ごと消滅するのだから、楽しくなるのも道理なのかもしれない。
少女は回転の勢いもそのままに、その軸を縦から横へとずらす。
そして落ちながら、絶壁を思わせる胴を滅茶苦茶に切って薙いで、その肉体を壊していく。
豆腐に腕を突っ込んだような、あまりに抵抗のない感触を感じながら、少女は水の神の足元まで辿り着いた。
地に足をつけてようやく見上げれば、もうどこにもその巨大な姿は残っていなかった。
「……改めて、馬鹿げてるわね」
大雨となって落ちてくる元水の神を眺めながら、少女は一人呟いた。
戦いの中で感じていたことだが、どうやら宿った力は時間と共に強くなっているらしい。
最初は触れた箇所に穴が開く程度だったものが、気づけば末端にかけて消滅させるに至っている。
最後に消し飛ばした脚なんて、肉体を構築していた水さえも消え去ってしまっていた。
つまり今降ってきている雨は全て、少女が触れることなく肉体が砕け散ったことで、自由を取り戻した水ということになる。
自分の中にあった全能感と高揚感は、今では達成感と疲労感に変わっていた。
ふ、と口元を緩めた少女は、満足気にその場に倒れる。
「よくわかんないけど、これでいいでしょ……。あとは、誰かに、任せるわ……」
いずれ復旧班がやってくる。
こんな場所で寝ていても、少女に傷をつけられる存在は限られているので、それまで待っていればいい。
ゆっくりと目を閉じる少女は、最後の最後に視界の端で、ゆっくりと歩く誰かを見た。
だがそれが誰かを考えるより先に、少女の意識は闇へと消えていった。
○ー●ー○
ゆっくりと瞼が開かれる。
寝ぼけ眼でまず目にしたのは、見覚えのある天井。
そっか一応勝ったんだっけ……とまだ眠気の残る頭で考えてから上体を起こす。
一日経ったのか変わらぬ日差しを届ける窓の向こうへ目を向けると、そこにはもう、凄惨な現場も悲惨な戦場も残酷さを物語る赤でさえ、何一つ残ってはいなかった。
『既に復旧済みだよ。一応君らの記憶は残るようになってるから、あんまり言いふらさないように』
少女が目覚めたことに気が付き、仲間の一人が声をかけてきた。
相変わらず姿はないが、仕事は完璧なので文句は言うまい。
「そう。ありがと。まあいつものことだし……って、君ら?」
そこで少女はようやくこの部屋に自分以外の存在がいたことに気づく。
その少年は少女が眠るベッドに頭だけ預けて眠りこけていた。
表情はどこか幼さも感じるが、なんとなく自分よりも年上だと思った。
「え、誰こいつ」
『それは本人に聞いてよ。ていうかそれ一応君の中から出てきたものだけど』
「え」
それじゃあまるで少女の一部みたいではないか。
いやそんなことよりも、と少女は頭をぶんぶん振る。
「なんでこんなの放置してるわけ?明らかに部外者でしょ」
『ルイナ曰く当事者だそうだよ。そのルイナもしばらくは起きないし、自分で解決した方が早いと思うな』
ルイナというのは、この復旧作業を一瞬で終わらせてしまった、少女以上の化け物である。
流れた血も、壊れた建物も、何もかも最初からなかったかのように元通りにしてしまったと言えば、その異常さは伝わるだろう。
少女は頭が痛そうにこめかみを押さえながら、今も尚眠っている少年に目をやる。
見れば見るほど、呑気な顔に腹が立ってくる。まあ、寝ているのだから仕方ないのだが。
『あ、そうそう。そんなルイナからの伝言だよ』
「何?」
『“一応言ったことはやりましたがあなたはやりすぎです。おかげで私はこれからしばらく休養を取らねばならくなりました。まああなたは強いので?死ぬような心配はないでしょうが、くれぐれも暴れすぎないように。壊したものの復旧はしばらくできませんし、自力でどうにかしてくださいね。あ、そうそう。あなたが暴れすぎたおかげで、随分と目をつけられたみたいですよ?私がいない間、どうにか持ち堪えてくださいね〜”って言ってたよ』
「あんのマイペース女がぁぁぁあああ!!」
どうせ寝るなら全部やってくれればいいのに。そしたら自分が苦労する必要なんてないのに、なんて少女は都合の良いように考える。
『僕一人じゃ特にできることもないし、じゃ、頑張ってね』
「え、待って待って、私こいつと二人きり?どう見たって男でしょ?」
『え、うん。でも君女の子ではないよね?男でもないけど。問題はないと思う』
「大有りなんだけど!?」
『人の感情なんてよくわからないよ。とにかく頑張ってね』
ぷつっと糸が切れるような音がした。
それは少女が怒ったわけではなく、通信相手が一方的に回線を切断した音だ。
息を殺して様子を窺うような静寂ではなく、本当に誰もいない静寂に包まれたことで、少女は現実に引き戻される。
まだ呆然とした顔で視線を彷徨わせるが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
この少年も今は寝ているからいいが、起きたらその対応に追われることになる。
ぎこちなくまた少年に目を向けると、試しにその頬をつついてみる。
くすぐったそうにより目を瞑ったが、その程度で特段強い反応は示さない。完全に寝ているらしい。
「……私の中から出てきたって言うけど」
思い出されるのは、あの全能感に満ち溢れる力。
既存のエネルギーでは説明ができないような性質もあったし、あれがオリジナルと考えるべきだろう。
もちろん、自分の力ではない。
なら、この少年が?こんな、剣を突き立てたらそのまま死んでしまいそうな少年が?
「……ありえない、とは言い切れない、か」
少女も華奢な見た目をしているが人間ではない。
なら、人型をした何か、という可能性は大いにあり得る。
だがそうだとすると、少女的にもっと認めたくはない。
人ならば、まだ勝ち目はある。殺さない方法だっていくつもある。
けれど自分の知らない何かなら?
勝てるかどうかも怪しい、勝てたとして情報を引き出せる状態にできるかも不明。
しかも無尽蔵とも言えるエネルギーを保有している。
本当に未知数の相手だ。
「でも……」
そっと、少女は少年の黒髪に手を置く。
案外指通りの良い髪に驚きつつも、頭を優しく撫でてみる。
「力をくれたからか知らないけど、他人には思えないのよね……」
面倒なことにはなってしまったが、そう不安になることもない気がしていた。
それに、なんとなくこの少年は味方だと思える。
もう一度だけ窓の外に目を向けると、少女はベッドから抜け出した。
「さて、まずは状況整理からかしらね。起きたら起きたで話聞かないとだし。あー忙しいわー」
当てつけのように忙しいと言ってみる。通話は繋がっていないが、どうせ片割れは聞いているのだ。これくらいの文句は言わせてほしい。
少年の寝顔にふっと微笑みつつ、少女は寝室を後にする。
ありがとね、という言葉だけを残して。
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