プロローグ②
赤熱したワイヤーで水の神を切り刻んだ少女は、油断はないが警戒心もあまりない表情で成り行きを見守る。
「さてどんなもんでしょう」
この程度で死ぬとは思っていない。というか死なれたら拍子抜けすぎるのだ。
少女が眺めていると、一つ一つが小さなスライムのようになっていた肉体が怪しく蠢き出す。
気味の悪い音を立てて震えると、バラバラだった体が元に戻っていく。
「……、えいっ」
再生されるなら好都合と小石程度の小さな何かを放り投げる。
阻害できるなら良し、できないのなら、と言った感覚だ。
「ふん、まあ想像通りって感じ?」
結果として水の神は何事もなかったように少女の前に立ち塞がり、最初よりも険しい顔をしている。気がする。
ただ一回り小さくなったようにも見えるので、弱体化はできたのかもしれない。
そう思ったのは、間違いだったのか。
「っ!?」
少女の脳内で警鐘が鳴り響き、直感のままに突き刺したままのワイヤーを思い切り巻き取る。
その直後、少女が先ほどまでいた場所を赤黒い槍が貫いた。
「あっぶな……刻まれたときに地面に逃がしてたってこと?半端もんのクセに……なかなか頭の回ることで」
地面から生えていた棘はゆっくりと地面の中に戻っていくと、水の神の肉体も少しずつ大きくなっていく。
見た目だけなら、ほとんど同じ大きさに戻っているようだ。
「つまり全て蒸発させなきゃ死なないと。だる」
心底嫌そうに呟いた少女は、しかし口元を楽しそうに歪める。
「まー何もしてないわけないのよね」
少女は頭の中で起動と念じる。
その瞬間、閃光が視界を埋め尽くした。
それは肌を灼くような熱を伴い、辺り一帯を焦土へと様変わりさせる。
ただし発動者の少女の周りだけは、元通りの街道が凄惨さを物語るかのように残されていた。
「私の予想では結構抑えられると思ってたんだけど……これってもしかしてやりすぎ?」
少女がやったことと言えば、水の神の修復時に紛れ込ませておいた爆弾を起爆しただけである。
ただその威力が桁違いで、地上で使って良いような代物ではなかったというだけで。
そしてもちろん地上において破壊活動は御法度である。このままではたとえ暴走した神を鎮めた英雄だとしても、なんのお咎めなしでは済まされないだろう。
「……どうにかなる?なるよね?ついでだもんね!?」
救援の呼びかけに応じてくれない非情な仲間に問いかける。
頭の奥で長い長いため息が聞こえたような気がするが、どうにかしてくれるならなんでも良い。
別の意味で焦燥に駆られていた少女は、煙が晴れてやっと明瞭になってきた視界の中で、水の神がぐちゃぐちゃになりながらも立ち続けていることに気がついた。
「いやまあ、予想はできてたけど」
強がってみたって面倒な事実は変わらない。
正直なところを言うと、人類には早すぎる火力を投入したのだからちゃんと死んでほしかった。
だが現実は捻じ曲がらないしさらにもっと面倒なことが起きる。
「何!?」
背後から異常な数の敵生体を感知した。
とりあえず振り返りついでに剣で薙ぎ払いつつ、相手の正体を確認する。
それは、今現在も街の住人を襲っているはずの、全身が水でできた魔物だった。
なぜここに?と思いつつ、ワイヤーで至近距離を通り過ぎようとした何体かを焼き切る。
しかし肉体が崩れてなお、水の魔物たちは走り続け、少女を通り過ぎていく。
「……、まさか」
もう一度、水の神の方を振り返る。
そこには、一回りなどという言葉では表せないほど肥大化した水の神がいた。
その体躯は天を覆うほどで、見下ろす瞳は赤黒く濁っている。
巨体によって日差しが遮られてできた暗闇の中、少女は表情を変える。
「こうなったら早期決着が最優先でしょ。どうせ何やったって元通りなんだし」
頭の奥でわーわー騒ぐ声が聞こえるが、そんなものは無視してやる。嫌なら前に出てこいという話だ。
六本のワイヤーを全て地面に刺した少女は、その人間性を捨てる。
「速攻で終わらせてあげる」
刺さっていたワイヤーが地面から少し浮き上がる。
その先端がブレて見えると、少女の姿が掻き消えた。
今までは体を固定する役割をしていたワイヤーが、まるで氷上にいるように滑り出したのだ。
一瞬にして水の神の背後に現れた少女は、体を回転させながら体勢を整える。
ワイヤーが背中から腰にかけて、体の中を移動していく様は、この戦いが化け物同士のものであることを如実に物語っているだろう。
本数は違うが蜘蛛の足のようにワイヤーを伸ばした少女は、その両手に巨大な砲塔を二門生み出す。
「撒き散らせ」
腕の代わりに生えた銃口が
「
真っ赤な光が二つ伸びる。
水の神の足に激突した光は、そのまま上を向いて遥か上空を目指す。
片足ずつ焼き切った光は胴を縦に薙ぎ、両腕を斬り落とし、やがて首のところで一点に収束される。
持てるエネルギーのほぼ全てを注ぎ込んだ威力は、たとえ神と言えど焼き滅ぼすに相応しいものだった。
だと言うのに。
「まだ、動くわけ……?」
それ一つで人の身長くらいある頭が、不気味に揺れ動いている。
肉体から分離されたはずの腕が、何かを探すように手を伸ばしている。
そしてその時がやってきた。
ドッパァァッン!と轟音をあげて立ち上ったのは、見る人によっては温泉とでも呼びそうな間欠泉。
地下水脈から溢れた莫大な水は、それを司る神にとって、まさしく力の源。
大量の水を浴びた水の神は、血の色の禍々しさこそなくなったものの、本来の強さを取り戻していた。
「まさか、こうなることを予測して回復手段を模索していたとでも?こっちは全部注ぎ込まなきゃまともにダメージにならないってのに……!」
認めたくはないが、これが彼我の実力差。
何千何万の人間を相手にしても負けないような力を持っていたとしても、たった一柱の神にも届かない。
そもそも、人の身を改造した程度で神に届くと思ったこと自体、間違いだったのかもしれない。
「それがなんだ」
たとえ届かなくても、やらなければいけない時はある。
被害は気にしなくて良いとしても、これを野放しにするわけにはいかない。
暴走した神が歩けば、それだけで世界の形は変わりかねない。
もちろん良い方向に動くのであれば、少女だってこんな無謀な戦いは挑まなかった。
何がどう転んでも絶対に碌なことにならないから、少女はまだここにいるのだ。
「壊れたら後でどうにかしろッ!今はこいつを滅ぼすッ!!」
どこかで、誰かの悲鳴じみた声が聞こえた。
だがもう少女には届かない。聞く余裕が無い。
「正真正銘全力だ!それでこいつを吹き飛ばすッ!」
すっと息を吸い込んで、力の限りの叫びをあげる、まさにその直前。
世界が、闇に包まれた。
それはまるで、あまりの速度で移動する光が、その通過地点において一瞬だけ弱い光を掻き消してしまうような、そんな瞬きにも似た暗闇。
この星の上のほぼ全ての地点において、その闇が認識されることはなかっただろう。
だがこの場所だけは違う。
水の神に覆われていただけの影ではない、完全なる闇が世界を閉ざし、そしてその黒は一点に収束される。
「何!?」
綿雲のように黒がまとまり、それがさらに圧縮されて、柱のようになって地上へと降り注ぐ。
一直線に天と地を繋ぐ柱の中心には、今まさに全力を解放しようとしていた少女がいた。
異次元の黒に呑まれ、焦りと困惑の表情を浮かべ、どうにか対応策を探そうとする少女に、不思議な声が聞こえた。
『使え』
それは大人になりたての少年のような、男らしくも優しさのある声だ、と少女は思った。
その瞬間、少女の中にあった疑念はどこかへ消えていく。
闇の中で何も見えなかったのもあるかもしれない。
ただ少女は純粋に、縋りたいと思ってしまった。
この強大な力に。
「ありがたく受け取るわ」
もう人間とは思えない付属品は全て消えていた。
完全な人の身において、少女は神の力を越える。
『ありがとう』
なぜ感謝を?と思う間も無く、全ての闇が少女に吸収された。
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