第8話 神の領域
ギィィィン!と金属の悲鳴のような音が聞こえた。
それはリナの構えた剣と、生命神がどこからか取り出していた光沢のある木剣がぶつかった音だった。
そうとわかったのは、両者がもう一度距離を取ってから。
気づいた時には、一度の衝突はすでに終わっていた。
「速すぎるって?」
「……」
「でも、これが当たり前の世界よ」
もう一度、リナの姿が消える。
またも衝撃。
気づいた時には、リナは元の位置に戻ってきている。
リベルにはハイレベル過ぎるように映っているが、リナとてこれが普通なわけではない。
ワイヤーを全て足にして、思考の全リソースを割いて、ようやく届く範囲なのだ。
そのせいで攻撃手段は二本の腕でできることに限られるし、周りの被害など考えられないし、全く知らない第三者が近づいてきても気付けない。
それくらい、切迫している。
「できれば、見えなくても戦ってほしいもんだけど」
生命神へ斬りかかりながら、リナは願望を口にする。
また少し離れて、リベルの様子を見る。
呆然としているのを確認すると、もう一度攻撃する。
リベルには拮抗しているように見えるが、これだって生命神が守りに徹しているからどうにか保てているのだ。
もし向こうがこちらを本気で殺しに来れば、きっと反応できずに即死させられるだろう。
「あんたが舐めてる間に、ぶち殺す!」
「わかってるなら逃げればいいのに」
剣戟の音が響く。断続的だったものが、連続的に聞こえるようになっていた。
それだけ、戦闘が激化しているということだ。
それがわかっても、リベルにはどうすることもできない。
こんな速度域では、渾身の一撃だって軽く避けられてしまうだろう。
「はァ、きっつ。見てたら慣れてきたりしない?」
リベルの隣に立ったリナが、そんなことを訊いてくる。
相変わらず生命神は静観の構えのようだ。
最初こそ激昂しては暴力的なまでの攻撃を振るっていたが、リナがやってきてからは大人しい。いや、どちらかと言えば余裕を見せている。
そこにどんな思惑や事情があるのかは知らないが、今がチャンスなのはリベルにだってわかる。
だけどどうしようもない。
もう、リベルの攻撃は届かないと思ってしまったから。
「……無理だ」
「……そう」
寂しそうに、ともすれば諦めたように呟くと、リナはまた人智を超えた戦闘に身を投じる。
その、刹那。
リナが通った道に、赤い珠が飛んでいるのが見えた。
それは紛れもない、生命の赤色。
「リナ……?」
位置を変え、角度を変え、幾度となく斬りかかるリナを見たって、流血しているかどうかなんてわからない。
そもそも常に劣勢であることさえ、リベルにはわからないのだから。
だけど、もしリベルが動けないことで、リナが傷ついているのなら?
リベルは叛逆者なんていう神への対抗手段なのに、それが動かないせいで必要のない傷を受けているとしたら?
「……それは、ダメだ……」
リベルの中で、明確に何かが変わる。
「リナだけは、絶対に傷つけさせないッ!」
ズン、と神域全体が大きく揺れた。
それは神を否定する力。
神に対して絶対的優位性を得る力。
「「ま、ず……」」
二人の女性は同時に呟いていた。
「朽ち果てろ」
絶大な力の奔流が、リベルを中心に解き放たれた。
それはまるで完成した絵に真っ黒なペンキをぶちまけるような、乱雑で圧倒的で暴力的なやり方だった。
だが全てを塗り尽くすなら、最も手っ取り早く最もわかりやすい手法。
ただでさえ日差しが遮られて鬱屈としていた神域が、一縷の光も許さぬ闇へと変化する。
神の力で満たされた空間を飲み込んだ闇は、徹底的に神の残滓を喰らい尽くす。
誰にも侵せぬ神の居城が、一瞬にして崩壊した。
全てを駆逐した闇は、その役目を終えて虚空へと消える。
元通りの視界が得られた時には、刺すような神域特有の空気感は消え去っていた。
「……なんともない、か。本当に神だけを狙う力なのね」
リナは自分の体に異常がないことを確認すると、リベルに向かってそう声をかけた。
しかしリベルはどこか不満げな顔をしたままどこかを見つめている。
「どうしたの?」
「……逃げられた」
地面の一点をリベルが指差すので、そちらを見ると、枯れ葉の集まりがザザザザと移動して、人の顔のようなものを形作る。
それがニヤリとした笑みを浮かべると、一陣の風に吹かれて消えていった。
「……この森は、山を隔てた先にも広がっているわ。きっとそっちに逃げたんじゃないかしら」
リナが目線で方角を示せば、リベルは静かな怒りを表すように小さく舌打ちした。
「ま、とりあえず帰りましょ。なんとなくわかったしね」
「わかった……?」
「ええ。やるべきことと、あんたの力が」
リナは、リベルに気づかれない程度に自分の頬をなぞる。
そこは本来、薄く切り裂かれていた場所だった。
「はぁ〜危なかったわぁ」
先ほどの森よりもさらに死の気配が強い森の中、緑色の髪を地面につくほど伸ばした女性は、安堵のため息を吐いていた。
そこに、もう一つの気配が現れる。
「本当に地中移動が得意だよね。もういっそ土の神に名前変えた方がいいんじゃない?」
「……」
そこにいることに気づかない方がおかしいくらいの、巨大な竜がそこにはいた。
人間サイズでしかない生命神なら、一口で丸呑みにされてしまいそうな巨躯。
こんなものが歩けば森の木々は壊滅してもおかしくないのに、その竜は上手く風景に溶け込んでいる。
「また私を殺しにきたの?私はあなたの能力には固執しないのだけど」
「うんそうだろうね。ぼくのこれはぼく以外には使えないんだから」
「それで?」
うん?殺さないよ。それをするのはあの子、ひいては叛逆者の役割だ」
それを聞いて生命神は分かりやすく安堵する。
本気の叛逆者も恐怖の対象だったが、こちらは違う。本気を出さずとも、神と渡り合うほどの力を持っている。
だから、もっと警戒するべきだったのだ。
「でも”半減”はさせてもらうよ。せっかく叛逆者が切り開いたんだから」
「あがっ!?」
竜がそう言っただけで、生命神の体から力がごっそりと抜ける。
奪われたくらいなら可愛いものだ。神はすぐに回復するのだから。
だがこれは、総量が半分消滅している。まるで紙コップの上半分を切り取ったように、そこに注げる量自体が半分になっていた。
「君は弱い部類だよね。何せ神域からエネルギーをもらわなきゃいけないんだから」
「ぐ、クソが……」
「もうあの森は普通の森だよ。君の半分は削ぎ落とした。それでもできることは変わらないんだから、神ってのは十分理不尽なんだろうけどさ」
ばさり。竜は一度翼で空気を打つ。
「それじゃあ、制約の中で頑張ってね。いずれお迎えが来ると思うから」
すっと竜の体が空気に溶ける。
慣れているはずの死の空気が、今は突き刺さるほどに痛かった。
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