第5話 飛竜
コン、ゴスっとなんか嫌な衝撃が頭に響く。
うっすらと目を開ければ、気まずそうな顔をしたリナがいた。
そしてその手には、見覚えのあるリボルバー。
「……銃で起こすのやめない?」
「だ、だって。そんな至近距離で目合うの怖いし」
「なんでだよ」
銃一つで開く距離なんてたかが知れていると思うのだが、リナ的にはそれでも離したいらしい。
「それより、早く出発するわよ」
「ん?もうどこか行くのか」
「あんたが時間ないって言ってたからね」
はて、と首を傾げつつ、しかしリナが行くというのでリベルはすぐに出かける準備をする。
「朝ごはんは道中で適当に食べてね」
「これは?」
「サンドイッチ。でも今は出しちゃダメよ?」
なぜ?と訊く前に、リナはにやっと笑いつつこちらを見る。
「餌持ってると食われるから」
よくわからないのに、そこには何か危険なものを感じた。
リナが住んでいる家はマンションである。
場所としては都会なので、そこそこお金がかかったりするのだが、リナの収入であればもっとグレードの高いところにだって住める。
まあそんな話はさておき、こんな街中のマンションの前に、何か巨大な生き物が寝そべっていた。
「……ドラゴン?」
「お、あったり〜。正確には中型飛竜。人を運搬することを目的に育てられたドラゴンよ」
昨日仲間に頼んでいたのはこのドラゴンだった。
中型がいるのだから小型、大型もいるが、小型は一人用、大型は五人以上を目安にされている。
二人とも小柄なので小型に乗り込むことも可能だったが、竜は大きさの分だけ速度も出るようになるので、中型を選んだわけだ。
「さ、行くわよ。時間ないんでしょ?」
「……そう、だな」
初めて見るドラゴンに圧倒されていたが、その竜の背からリナが手を伸ばしてくるので、その手を取ってリベルも竜に乗り込む。
竜の背中はかなり広く、取り付けられている鞍も相当なサイズ感だ。
その上に座椅子のような席があり、その一番先頭にリナは座っていた。
手には手綱のような何かを握っているので、そこが御者席の役割をしているのだろう。
「ていうか、街中にこんなのがいて平気なのか?」
「その辺は平気よ。仕掛けがあって、乗る人しか見えないようになってるから」
ちなみにこのドラゴンを他人が見た場合、大型トラックのように映るようになっている。
ただ翼を広げた場合そんな大きさでは済まないので、乗る場合は速やかな離陸が求められる。でないと、何かと衝突する可能性があるから。
リナは手綱越しに飛ぶように命令する。
この手綱を握り、強く命令を出すことでドラゴンへと指令を伝えることができるのだ。
バサッと大きく翼をはためかせると、ドラゴンは悠々と大空へ飛び出していく。
「落ちることはないけど、あんまり動き回らない方がいいわよ」
「そうなのか」
「竜の機嫌を損ねると落ちるより悲惨なことになるから」
「……」
リベルは大人しくその場に座り込んだが、リナはあまり気にしないで前方に何かを投げていく。
「何を?」
「餌やり。時間短縮ってやつよ」
「それでいいのか?」
「んー、まあどっちが上かってもうわかってる子だし、基本逆らわないわよ」
竜を乗りこなすとは、すなわち竜に上位者だと認められること。
人間だって、赤の他人の言うことを素直に聞いたりはしないだろう。それと同じことだ。
「リナはなんでもありだよな」
「ん、まあ積み重ねってやつよ。それより、ご飯食べるなら今のうちよ」
「わかった」
リナに渡されていたバスケットを開けると、中には様々な具材が使われたサンドイッチが詰まっていた。
「色々あるな」
「……どうせ食べるなら、飽きないようにしたいじゃない?」
「そうだな」
「……頑張ったのよ?」
どこか物欲しそうにこちらを振り返るリナに、リベルはとりあえず頭を撫でることで応えておいた。
本当はありがとうでもなんでも褒めてくれればよかったのに、でもこっちも悪くないな、とか思って、リナはらしくない考えに自分で驚き固まっていた。
そんなことは知らず、リベルはひたすらサンドイッチを頬張っていく。
知識も、経験も、実力も、何もかもリナが上のはずなのに、なぜかリベルの方が余裕があった。
「……近い」
「へっ、なに?」
リベルの緊張したような呟きに、リナはようやく我に帰る。
くるっくるっと視線を巡らせて、この辺りが目的地なんだと気づき、慌てて飛竜を止める。
その場でホバリングする竜の背から、リベルは遥か下の地上を見下ろす。
「……多分、この下だ。ここに、何かがいる」
随分とリベルに絆されていることにモヤモヤしたものを感じていたリナも、微妙な顔をしたまま地上を見下ろす。
「やっぱここか……どうする?直で行く?」
「やっぱ?まあ俺はどっちでも構わないが」
ここは人間の文明圏では珍しい、神の居場所が割れている領域だ。
二人が見下ろす場所には、いかにも禍々しい森が広がり、周囲の街には警備の人間と狩人しかいないという徹底のされ方をしている地区でもある。
「あそこにいるのは生命神。全ての生物の命を司る神よ」
「命……でもなんでそんな奴が……?」
「さあ。私には、ここからじゃ何もわからないわ」
リベルは相変わらず何かを感知しているようだが、リナがわかることはない。
ただ生命神は昔から組織の中でも危険視されていたので、この機に殴っておくのはありだろう。
「とりあえず森の入り口から行きましょう?直接行くのは、この子が嫌がってるから」
何度も手綱越しに降下するように命令しているが、飛竜は一向に下がろうとしない。
リナを上位者と認めているのに、だ。つまりリナ以上に危険な何かがこの下にいると、この竜もわかっているのだろう。
「わかった。でも力が強くなってるから、急いだ方がいいかもしれない」
「そう。じゃあ、さっさと行きましょうか」
飛竜も森の入り口であれば問題ないようで、悠々と、しかしかなりの速度で降下する。
地上に降り立つと、二人は竜の背から降りる。
ありがとね、と飛竜の首元を撫でれば、嬉しそうに喉を鳴らしてからもう一度大空へ羽ばたいて行った。
「さ、行きましょ」
「それは?」
歩きながら、リナは耳にイヤリングをつけていた。
リベルはそれが気になったらしい。
「これは認識変換器。対象者以外から見える自分の姿を変える道具よ」
「何も変わらないが」
「あんたは対象者よ。この対象は、正しく私を認識できる人って意味ね」
リベルには、緋色の髪に青の瞳、どこか幼さも残る可愛らしい華奢なリナが見えているが、他人が見た場合黒髪黒目の平凡な女の子に見えるようになっている。
ちょうどリベルも同じ色をしているし、黒という色はこの国では普通の色なので、怪しまれることはない。
「まああんたは気にしなくていいわ。ただ色についてはあんまり言っちゃダメよ?」
「わかった」
フードを被っていたことにも繋がるが、リナの髪色は人々にとっては忌むべきものとされている。
仕方ないことだが、人間社会に溶け込むリナとしては生きづらさを感じることもあった。
まあ、リナを一般人として評価するなら、不登校の引きこもり女子中学生なので、基本的に人の目につくことはないのだが。
森の中へ足を踏み入れると、この世のものとは思えない何か異様な気配が全身を包む。
これが神域と呼ばれる独特な領域なのだが、慣れない人にとっては致死の空気ともなる。
リベルも立ち止まってしまったので、叛逆者でも堪えるのかと思ったが、違う。
普段と変わらないように見えた顔は、恐怖によって強張り、指先も小刻みに震えていた。
「リベル?」
大丈夫?と聞こうとしたその目の前で、リベルの姿が掻き消された。地中から大量に伸びた巨大な木の根によって。
「リベル!!」
突然のことで対処が遅れたが、冷静に今見た記憶を確認する。
速度としてはリナのワイヤーに遠く及ばないが、その先端は鋭く尖り、簡単に人を刺し貫けそうな形状をしていた。
それがリベルを覆い隠し、蠢き、そして地中に消えていった。
一連の流れがあまりに自然で迅速なせいでつい見逃してしまったが、後に残ってわかるのは、
「……リベルが、攫われた?」
叛逆者という最強の切り札が、一瞬にして奪われたということだった。
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