後編

「アリシア、止まって」


「な、何?」


それからしばらく歩いた頃、何かの気配を察知したのか、ジャックはアリシアの手を引いて止まった。


すると、周囲に霧が何の前触れもなく発生した。


ジャックの持つランタンの灯では先の道を見通せなくなるほどの濃霧。ジャックが手に持っているランタンを銃に戻し、身構える。


「アリシア。僕の傍から離れたらダメだぞ」


「わ、わかった」


アリシアはジャックの邪魔にならないように一定の距離を保ちつつ、彼から離れないようにする。


「いるのはわかっている! 出てこい!」


ジャックはライフル銃を構えながら、濃霧の中の誰かに声をかける。


すると、とてつもない風が吹き荒れる。


「う――――――!」


ジャックの持つライフル銃の中の温かさ全てを吹き飛ばすほどの、冷たき嵐。その冷たさに二人は顔を覆う。


嵐が止む。冷たい空気だけが場に残る。


「ね、ねぇ。あそこに、誰かがいる……!」


アリシアが震えながら、濃霧の中に映る人影に指を指す。


「参ったな。これはちょっと相手が大物すぎる」


霧の中から現れた人影を見て、ジャックは重苦しい声を出す。


人影の正体は、女だった。


黒と灰色のローブに身を包み、金糸のような美しい長髪をなびかせており、顔立ちは少女のようなあどけなさがありながら、大人の妖しい雰囲気と淫蕩さを併せ持った美しさがあった。


手にはトネリコの樹から作られた黒曜石を埋め込んだ杖が握られている。


「ほう。その男より私の姿を認識したのか。やはり、その娘は高い素質を秘めているな」


女が声をかける。


「……なるほど。そういうことか」


「ど、どういうこと?」


「なに。君がこの世界に迷い込んだ理由がわかった気がしてね。恐らくだけど、目の前にいる女が君をこの世界に連れてきた」


「え……?」


ジャックの言葉にアリシアは目を見開く。


自分をこの世界に連れてきたのは、目の前にいる女性であることに、彼女は初めて恐怖心を感じた。


「よく気づいたな、案内人。貴様の邪魔さえなければ、その娘を私の下へと連れて来ることが出来たものを」


「貴方のそのやり口にはこっちも辟易へきえきしているのでしてね。そのようなことをするのはこちらとしてもすごく困るのですよ」


「ふん。そちらの言い分なぞどうでもよい。死にたくなければその小娘をこちらに引き渡せ。その娘は見どころある魔女のすえなのでな。人間どもの世界で生きるより、こちらの世界にいた方がよかろう?」


「え……? ま、魔女? どういうこと?」


女に言われ、アリシアは困惑する。


「それは貴方の都合でしょう。この子にはこの子の人生というものがあります。悪いですが、貴方はいつもののように楽園アヴァロンに引きこもっていてください。モルガン」


「も、モルガン……?」


ジャックの口から出た、女の名前にアリシアはモルガンと呼ばれた女性を見る。


「もしかして、あのアーサー王伝説の……?」


「如何にも。私こそ、キャメロットとアーサー王の円卓を崩壊させ、ブリテンの神秘の時代を終わらせた者である」


「……!」


モルガンの言葉にアリシアは戦慄した。


アリシアが読んできた数々の妖精伝承の中には、彼女の名前が多く出てきた。


モルガン・ル・フェ。


ブリテンの妖精伝承の中でも有名なお話である「湖の乙女」の内の一人「ヴィヴィアン」と同一視され、かのアーサー王伝説でキャメロット崩壊の要因となったアーサー王の姉である魔女。


もしも、目の前にいるのが本物のモルガンだとしたらと考えるだけで身震いが止まらない。


「安心しな、アリシア。必ず僕が君を元の世界に帰してあげるから」


「う、うん……!」


ジャックにそう言われ、アリシアは精一杯の笑顔を見せて言った。


「そうか。だが、お前如き我がしもべたちで十分だ」


そう言うと、モルガンは地面を杖でコンと叩いた。


すると、魔法陣が二つ展開され、そこから二体の全身鎧姿の黒い騎士が出現した。手には両手剣とハルバードをそれぞれ持っており、ジャックに明確な殺意を向けている


「悪いけど、こっちだって長いこと案内人をやっていないのさ!」


ジャックはそう言うと、一つのカボチャの人形をアリシアに渡し、指を鳴らす。


すると、カボチャの人形が灰色に光りだし、アリシアを囲うように結界が展開された。


「わぁ……!」


結界の構築にアリシアは驚きの表情を見せた。


「小癪な真似を……」


モルガンは忌々しそうに言うと、騎士に命令を出す。


騎士二人は武器を持ってジャックに接近する。


「おっと。二対一は分が悪いのでね!」


ジャックは腰のホルスターに納めていた瓶を取り出すと、それを足元に叩きつける。


すると、瓶の中から灰のようなものが巻き散らかされ、騎士二体に対して目くらましをした。


「!?」


騎士二体は突然巻き散らかされる灰によって視界が遮られ、顔を覆った。


手を振り払って灰を吹き飛ばすが、既にジャックは目の前からいなくなっていた。


「こっちだぞぅ、騎士様! 油断は大敵さ!」


だが、ジャックは騎士二体の真後ろにいて、銃口を大きく開かせ、魔力の炎をぶちまける。


「■■■■■――――――!!」


その凄まじい炎と巻かれた灰と魔力反応によって粉塵爆発を起こし、騎士二体は吹き飛ばされた。


「ほう……。中々やるな、案内人」


「どうしますか、魔女さん? なんだったら、貴方自身が出て来てやりあいますか?」


「減らず口を叩くな。貴様なぞ、我が指先一つで滅ぼすことが出来る。邪魔をするならここで死ぬが良い」


モルガンはそう言うと、杖をジャックに向ける。すると、杖の尖端が青く光り出し、魔力が収束し始める。


「ジャック!」


アリシアは心配からか、結界の中から叫ぶ。


「大丈夫だ! 待っていてくれ!」


ジャックはアリシアを心配させないように笑顔で答える。


“とは言っても、あの魔力量はちょっとヤバイかな。城壁一つ分は破壊出来そうな魔力だ”


だが、モルガンがジャックに向ける魔力は現代で言うなら戦車一両を容易く破壊することが出来るほどの強さだった。


そもそも伝説的な魔女であるモルガンと、案内人にしか過ぎない妖精のジャックとではその性能と実力に大きな差がある。故にモルガン本人と戦うとなったら勝ち筋が見えない


“元の肉体に帰すと言っておきながら、このザマか。……これは、もう潮時かな”


……そうして思い出すのは生前の行いと過ち。


何度も何度も嘘をついて、何度も何度も自分の行いを悔い改めなかった結果、天国にも地獄にも神様によって門前払い。魂はタチの悪い妖精によって辺獄に引きずり込まれて“取り替えチェンジリング”となった。


その後は、何度も辺獄に迷い込む魂を導いて、自分が行くことの出来ない天国と地獄に案内して送り込んで。迷い込んできたイギリス軍の兵士とやらに銃を渡されてからは改良して自分の仕事道具にして、また案内の繰り返し。


だけど、唯一ここにいる少女は死者ではなかった。


まだ死ぬべきではない少女を。まだ何の罪も犯しておらず、善行も成していない彼女を帰すことが出来る。


心残りと言えば、それが出来ないことが残念で――――――。


「それ以上はお止めになってもらおうか」


「――――――何?」


その瞬間、モルガンの方から驚くような声が出たのと同時に無数のカラスが鳴き声を上げて空を埋め尽くした。


「な、なんだ?」


ジャックも驚き、目を見開く。


すると、目の前に先ほどジャックが倒した騎士とは違う“何か”がそこにいた。


カラスをモチーフにしたと思われる兜に黒い羽毛をあしらった全身鎧。それだけなら全身フルプレートの鎧を着た騎士のようにも見えるが、その両手両足は人のものではなかった。


両手は鋭い爪と鱗に覆われており、両足はカラスの足のように三本の指と爪のある鋭い足があった。


「お前は……!」


「これ以上、この者たちに手出しをすることはこの私が許さぬ。モルガン・ル・フェ」


「おのれ……! 貴様は念入りに私がアヴァロンから出られないようにしたはず! なぜここに!?」


「それはもうわかっているはず。貴女が自分の別側面を端末にこうして動いているのであれば、私も語り継がれるもう一つの側面を持って顕現をしただけのことです。ちょうど、現世ではハロウィンがある時期。このようにが顕現しやすい環境下にあるからこそ出来た裏技です」


「チッ……! 忌々しいワイルドハントの王! どこまでも私の邪魔をするか!」


どうやらモルガンにとって、目の前の鴉の騎士は天敵のような存在らしい。杖に収束した魔力を霧散させ、殺意を解除した。


「今回は引いてやる。あのマーリンを閉じ込めたように、今度は貴様を封じてやる」


「出来るのであれば、お好きなように。そうした場合、私も出る所に出てきます。そうならないよう、大人しく楽園アヴァロンにてお静かにしていることをお祈りしよう、姉上」


そう言い残し、モルガンは霧の中へと消えた。


「……助かった、のか?」


ジャックは安堵し、もう一度指を鳴らして結界を解除した。


「ジャック!」


結界を解除されたアリシアはジャックに抱き着いた。


「お、おいおい。大丈夫だって、死んでないから!」


「良かった……。本当に良かった……!」


「う……」


アリシアはジャックが無事でいることが嬉しかったのか、抱き着いたまま離さない。ジャックは気まずくてどうしたらいいのかわからないでいる。


「案内人よ。その少女をよく守った。褒めて遣わす」


「あ、ああはい。まあいつものの仕事通りのことをしただけと言いますか、なんといいますか」


「十分だ。モルガンを相手にしてその少女を守り切ったのは見事。私が間に合ったとはいえ、彼女が貴公の技量を見誤ったおかげでもあるな」


「まあ、確かにあのままだったら僕は消滅していましたね……。あはは……」


ジャックもジャックで自分の技量はわかっているので、相手がモルガンとわかった時は本気で死を覚悟した。それだけに鴉の騎士が現れなければ、間違いなくジャックはモルガンによって殺されていただろう。


「では、貴方様もこのまま楽園アヴァロンに帰られるので?」


「ああ。だが少し、北欧のヴォーダンオーディンに顔を出してからアヴァロンに戻る。あまり離れすぎると姉上がまたちょっかいを出しかねないからな」


「あ、あの!」


二人の会話に、アリシアが割り込むように声をかけた。


「わ、わたしってなんでここに? モルガンがわたしをここに連れてきたってどういうことなんでしょう?」


「そのことか。恐らく、君の肉体が弱っている時に魔女の末裔である君の存在を偶然認識したモルガンが君をこの辺獄を通して、楽園アヴァロンに連れて行き弟子にしようとしたのかもしれん」


「……わたしって、魔女の末裔なのですか?」


「あくまで予想だ。だがモルガンが現に君の魂を連れて行こうとした。彼女は明確な目標を持たないと動かない性格だ。君が魔女の末裔の可能性は限りなく高い」


「そうなの、ですね。なるほど、理解しました」


鴉の騎士に言われ、アリシアは納得した。


「……え!? わたし、体が浮いている!?」


突然、アリシアの体が勝手に浮かび始めた。


「モルガンの魔術が解けたんだ。元の肉体に帰るのさ、アリシア」


ジャックは穏やかに彼女に言った。


これでこの薄暗い世界から元の肉体に、現実世界に帰るというちょっとした安心感があるが、アリシアはまだ未練があった。


「ま、待って、待って! わたし、わたし、まだ貴方にちゃんとお礼をしていない! 守ってくれたのに! 少しでも前を向けるようにしてくれたのに!」


彼女はジャックに、僅かな時間ながら多くのものをもらった。


いつも後ろ向きで将来のことなんて考えたことがなく、少しでも前を向けるようにしてくれたこと。自分の思い出を肯定してくれたこと。


ただそれだけであっても、彼女にとって、とても大切なことだった。


「その必要はないよ」


しかし、ジャックはそう言った。


「君はこれからの人生、色々と大変かもしれない。君には君の現実があって、その中で空想物語を紡ぎたいと願った。なら、その願いを叶えて自分の人生を全うするんだ」


「で、でも――――――」


アリシアは涙をふらりとこぼす。浮かびながら手を伸ばす。


「もう、野暮なことはなしさ。……僕は南瓜の案内人ジャック。迷い人の帰路を示す者。死者を送ることばかりしか出来なかった僕だけど、こうして君というまだ生きている人間を帰してやることが出来たことが嬉しい。そして―――――」


ジャックは南瓜の仮面を外し、素顔を露わにする。


優しそうな、傷のある顔。どこか安らぎに満ちたように見える、清々しい顔だった。


「君が最後まで頑張って走り抜けて、最後の最期まで、良い人生だったと胸を張って言えるようになってほしい。……さよなら、アリシア。どうか、君のこれからの人生に花のような祝福を」


彼は笑顔のまま手を振り、少女を見送る。


「――――――ありがとう! ありがとう……!」


薄っすらと消えていく視界。溢れる涙を拭い、精一杯の感謝を嗚咽おえつと共に叫んだ。


そしてひらりと。


温かい青白い火と共に、彼女は消えていった。

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