中編

 森を歩き始めてから、先ほどのような黒い小人のようなものに襲われたりするようなこともなく、安心して歩いていた。


 相変わらず薄暗い森の中でジャックの持つランタンはアリシアに強い安心感を与え、不安な気持ちになりませんでした。


「ジャックっていつも何しているの? さっきの変な妖精みたいなのって何なの? ここはどこなの?」


「落ち着きなさい、アリシア。君の疑問はごもっともだけど、さっき言ったようにちゃんとわかりやすく説明するからね」


「えっと……。じゃあ、ここはどこなの? うちの近くの森じゃなさそうだけど」


「そうだね。ここは君の知っている森じゃないし、どこでもない場所。『辺獄へんごく』って呼ばれている世界。ここはその中でも厄介な『迷いの森』と呼ばれる場所さ」


「へ、辺獄……? 迷いの森?」


 聞いたことのない言葉の数々にアリシアは首をかしげる。


「そう。天国と地獄の境界にある世界。辺獄は生前に成仏しきれなかった者たちの魂が迷い込み彷徨う所。そして、現世に居場所を無くした妖精たちの最期の居場所でもある。君はどういうわけか、魂だけこっちの世界に迷い込んでしまったみたいだね」


「えっと……。魂だけってことは、わたし死んだりしたわけじゃないってこと? その言い方だと、本当は死んだ後に来るような場所な気がするけど……」


「おや。その年で理解力のあることだ。……そうだ。本当なら、ここには強い未練を残したまま肉体が死んで、魂が離れた人にしかここに来ない。なのに、君はまだ肉体が死んでいないのにも関わらず、魂だけにある。それはとても良くないことだ」


「どうして? ……でも、もしかしたら、わたしいつの間にか病気で死んでいてここに来たとかじゃないのかな……?」


「それは違う。肉体が死んだ魂はそれこそ幽霊のようになる。今の君はきちんと実体があるし、地に足をつけているし影もある。それは肉体がまだ死んでいない証拠だ。ほら、僕の足元をよく見てごらん」


「ジャックの足元を……? ――――――え?」


 ジャックに言われて、アリシアは彼の足元を見て声にならない声を上げた。


 何故なら、ジャックは確かに足をつけているが……影がなかった。


 さっきまでの彼の説明通りなら、彼は……。


「ジャックは……死んでいるの……?」


「ああ、そうだ。正確には死んでこの世界で妖精になった者。ただの亡霊だった僕がタチの悪い妖精に目をつけられたせいで立場を入れ替えられてしまった、“取り替えチェンジリング”さ」


「じゃ、じゃあ、ジャックは妖精なの?」


「まあね。純正のじゃない、元人間の妖精。こうして迷い人を導くカボチャの妖精さ」


「……」


 陽気に話すジャックとは対象的にアリシアは悲しそうな顔をした。それが一体どういう状況だったのか、常識を超えていて理解するのが難しいけれど、漠然とではあるが想像することは出来た。


「そんな顔をしないで。泣顔は君には似合わないよ」


 そんな彼女を励ますようにジャックは言った。


「う、うん……」


 複雑ながら、アリシアは精一杯ジャックに泣き顔を見せないようにした。


「話を戻すね。肉体が死んでいない状態で魂だけ離れている状態が続くと、肉体の方が死んでしまうってことだ。そうならないために、僕がいる。君を助けたのはそれが仕事みたいなものだからね」


「やっぱり、そうなんだ」


 このままでは自分が死ぬと言われても、アリシアは特に大きな反応は見せなかった。


 その様子にジャックは疑問を抱く。何故自分が死ぬのかもしれないというのにここまで冷静なのか。まだ10歳だというのに、妙に達観しているように感じたからだ。


 なので、ジャックは少し彼女を探ってみることにした。


「アリシアは妖精についてちょっと詳しそうだね。そういうのが趣味なのかい?」


 さっきから妖精が見えると言ったことや、病気で死んでいたのではないかとか、妙に引っかかるものを感じ、それに関係しそうなことを聞いてみる。


「マミーが遺してくれた、色んな絵本とかがあるんだ。そこには色んな妖精に関する物語があったり、時々マミーが書いた童話もあるんだ。糸紡ぎのハベトロットとか、創作家に才能を与えるリャナンシー、猫の王様のケット・シーとか。取り替え子のお話もあったよ」


 楽しそうにアリシアは自分の好きな本を語った。


 イギリスやスコットランド、アイルランドなどに広く伝わる妖精伝承。アリシアの母親が書いたのはそれらを基にした創作童話がほとんどだった。


 楽しい物語もあれば、悲しい物語もある。賑やかな物語もあれば、寂しい物語もある。


 全部が全部ハッピーエンドではないけれど、彼女の口から語られる童話はどれも素晴らしいものだった。


「でも、パパは興味ないからいちいち話しかけてくるなって言って、マミーの本を邪険に扱うの」


「それはどうして? 君のパパはアリシアの事をどう思っているのかな?」


「パパは、町の偉い人で後継者が必要なんだって。わたしが治らない病気になっちゃって、再婚した新しいマミーの子供を後継者にするって言ってから、全然構ってくれなくなったの。新しいマミーはわたしの事を鬱陶しがるし、この前なんてわたしのマミーの本一冊を『ガキくさいから』って捨てられちゃった。……今日だって、ハロウィンのパーティー会があるからって、一人お留守番になっちゃった」


「……そうかい。それは辛かったね」


 その言葉を聞いて、ジャックは仮面の下で嫌悪を込めた表情を浮かべる。


“反吐が出るな、全く”


 普通の妖精ではなく元人間だからこそ湧き上がる感情。自身も褒められるような人間ではなかったが、それでもこの幼い少女に対する同情心や良心を完全に無くしたわけじゃない。


「だから、わたしは物語が好きなの。物語は、わたしを嫌ったりなんてしないから」


「……そうか」


 次にそう言う彼女の言葉に、ジャックはなんて声をかけたらいいのかわからなくなった。


 ……きっと、今に至るまで、彼女は実の母親を亡くして愛情をまともに受けられなかったのだろう。


 治らない病気、自分に愛情を注いでくれない父親、邪険にする継母。


 まだ10歳という彼女が死に対して恐怖心をさほど抱かなくなるのも、無理はないのかもしれない。


「アリシア。君はどうしたいのかな?」


「? どうしたいってどういうこと?」


「君がやりたいことさ。病気でベッドにいても、やりたいこととか、たくさんあるだろう? 言ってごらん。それだけで気持ちは軽くなるかもしれないからね」


「わたしの……やりたいこと……」


 ジャックに言われて、アリシアは考える。


「わたし……マミーみたいな作家になりたいかな。でも、わたしは……」


「ううん。それは素晴らしい夢だ。やりたいことがあるというのなら、君はちゃんと生きないといけないよ」


「……でも」


 自信なさげに言う彼女。これまでの家庭環境から来る自身のない気持ちは容易ではない。


「どんなに現実が辛くても、人間は現実にしか生きられないのかもしれない。僕はもうこっちが現実だけど、君には君だけの現実がある。空想を糧に生きることだって悪いことじゃない。それを生き甲斐にするのも人間だからね。君なら、病気にでも何でも打ち勝ってハッピーエンドになれるさ」


「そういう、ものなのかな」


「もちろん。君が気づいていないだけだ。いっそのこと思い切って挑戦してしまえばいい。それが、君の今後の人生の糧になるかもしれないからね」


「……うん。もし、帰れたら少し考えてみる」


 アリシアは俯きながら言った。さっきまでの暗い感じではなく、どことなく前向きになったような、そんな声色だった。


 このまま帰っても、何が変わるのかわからない。まだ10歳の少女にどうしたらいいのかはわからないけど、それでも彼女の心には小さな変化が生まれたのだった。

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