第2話 貴婦人

 キャサリンさんに連れられ向かったゲール村の、居心地の良さそうなことと言ったら! 

 漁師村と聞いていたので、よほどいい立地じゃない限りひどく閑散とした、潮風に何もかも擦り取られたような場所を想像していたのだが、とんでもない。なだらかな丘から浜辺まで真っ直ぐ伸びる街並みの、整然とした村だった。家々も小さいながらにしっかりしていて、それなりに経済力のある村なのだと分かった。

 移動中、娘は廃人のようになったグレアムくんの世話に付きっきりだった。この頃は車いすから離れて自分一人で歩けるようになったとはいえ、まだ魂の抜けた人形のような顔つきの彼だ。娘もひどく心配そうな顔で、彼の一挙手一投足に気を払っている……私はそこに一瞬、娘のかつての姿を見出したが、しかしあの頃は単にグレアムくんがまぶしく感じられていたからにすぎない。今は彼の鈍ってしまった、あるいは小さくなった蝋燭の灯の世話に夢中になっている。あのまま娘自身の炎も立ち消えにならなければいいのだが……いや、そんなことには私がさせない。しかし私のこの決意には、場合によってはグレアムくんを切り捨てる覚悟があることを忘れてはならない。娘には絶対、言えないことだけれど。

 連合国北の都市、クニアックから乗った機械馬車は二世代くらい型が落ちたもので、正直乗るのは不安だったが、手入れが行き届いているのだろう、道中で不安は安心に変わった。道の悪さも感じられないくらいの、丁寧で安全な運転だ。娘も同様なようで、ぼうっと足下に目を落とすグレアムくんから、ほんの少し目を離して車窓の景色を眺めていた。漁村の景色はよかった。小さな家がかわいらしく並んでいるのには、多少心を動かされたはずだ。

 果たしてマクファーラン家に到着した。その家は丘の上にある森の中に、ひっそりと佇む旧式の家屋だった。私が生きていた頃に流行ったタイプの家によく似ている。あの頃は国が成長している最中だったから、家も派手なものが多い。きっと中に入ると華美な応接間が……と思っていたら、意外にも中は質素だった。もしかしたら今風の改築が加えられた家なのかもしれない。

「皆様はこちらの部屋へ……」

 そう、案内された客室は、屋敷裏手の崖がよく見える、景色の綺麗な部屋だった。大きなバルコニーがあり、日光浴用の椅子が二脚並んでいた。ここにグレアムくんを座らせたら、多少は療養効果が期待できるのではないかと思った。

 娘も同じことを思ったようで、荷ほどきもそこそこに、彼を椅子の上に座らせた。グレアムくんは少しの間ぼうっと空を眺めていたが、やがて一言、つぶやいた。

「鳥……」

 娘が目を見開く。

「あ、あれは鳶です。猛禽類。肉食です。そろそろ南に渡ると思います。この時期までいるのは珍しい……」

「鳶……」

 噂をすれば、頭上の鳶が甲高い鳴き声を上げた。よく通る声。私は好き。

 しかしグレアムくんはそれっきり黙り込んでしまった。目を閉じ、体を馴染ませるように椅子に身を任せる。日光が彼を包んだ。白い衣服に身を包んだ彼は何だか眩しかった。

 だが……と、私でさえも気づく。長引く療養は彼の体から肉を奪った。かつてはあんなに逞しかった腕や肩や脚も、今はすっかり細くなっている。日差しの下、余計に体の線が強調されて見えた彼は、貧相と言うのは言い過ぎだが、かつての頼り甲斐はなかった。彼は病人らしい病人に変わり果てていた。

 娘も我が身が痛むかのような顔をしている。辛かった。娘にあんな顔はしてほしくない。

「ねぇ……ねぇ」

 たまらず、私は声をかけた。娘が私を見た。

「調査を始めましょう」

 娘が項垂れる。

「うん、でも……」

「できるだけ早く仕事を終わらせて、それから可能な限りここで療養したらいいわ。グレアムくんのためにもなるし、あなただって気持ちが落ち着くはずよ」

 娘の目に、僅かな光が灯る。

「……うん、そうだね」

 拳を握るのが見えた。

「私、頑張る」

「まずは何をする?」

 私の問いに娘が答えた。

「聞き込み」

 私はカバンの姿に化けると娘の肩にぶら下がった。娘はグレアムくんに一言、「寒くなるから、部屋に戻ってくださいね」と告げて彼を室内に連れ込んだ。明るい場所から室内に入ったからか、視界が一瞬ぼやけた。よく掃除された室内の空気は良かった。



「『喘ぎ泣く貴婦人』。貴婦人、と言うからには……」

 娘はキャサリンさんをつかまえると、食堂で話を聞いた。

「それなりに着飾ったバンシーということですか?」

「そうなんですの」

 キャサリンさんは自ら用意した紅茶を飲みながら頷いた。

「人が死ぬ時に姿を現すバンシーとは、少し様子が違うのです」

「具体的にはどのように?」

「まずドレスを着ています」

 それは珍しいことだった。バンシーがドレスを着ている。いや、そもそもバンシーは……。

 これは学生時代の男友達から聞いた極めて下品な話なのだが、男性の世界では「バンシーの乳をしゃぶれたら幸福になれる」というジンクスが存在するらしい。確かにバンシーはズタボロの衣服をまとって目撃されることが多く、また場合によってはあられもない姿であることもあるそうだが、しかしそれにしても乳を……妖精とは言え仮にも、女性の姿をしているのに。

「髪もよく梳かしてあるみたいで、艶のいい黒髪をしています。ご近所のマスグレイブさんのお婆様の言うところによると、彼女が若い頃に流行った髪飾りまでつけていたとかで……」

「……いくら何でも」

 と、言いかけた私を娘が制した。

「キャティちゃんでしたっけ? 今も行方不明に……?」

「ええ、今も」

 キャサリンさんはため息をついた。

「どこで何をしているのかしら。心配だわ」

「……失礼ですが」

 娘が意を決したようにつぶやいた。

「キャティちゃんの件について、キャサリンさんはあまり危機感を覚えていらっしゃらないように見受けられます。何か理由があるのでしょうか?」

 するとキャサリンさんは弾けたように笑った。

「ごめんなさい、この辺りには猫の集会所がいくつもあるんですの。猫とは言え、さすがに生まれ育ったこの村から離れることは考えにくいですわ。だから私の知っている猫の集会所をいくつか回れば、きっと見つかるかな、って楽観視しているところはあります」

「これまでもお調べにならなかったのですか?」

「調べましたわ。でもまぁ、数えるほどしか」

「調べた集会所とまだ調べていない集会所を教えてください」

 するとキャサリンさんは曖昧に微笑んでみせた。

「教える、というほどのこともないかもしれません。私が探した集会所は、村の井戸の傍、浜辺の廃船の中、森の木の洞の中、そんなところばかり……ええ、でも、この家にもありますの。猫の集会所」

「この家にも?」

「ええ。屋上から続く煙突の傍。屋根の上ですわ」

「この村には、もしかして……」

 娘が考えるような顔になった。

「そうした猫の集会所が、各家に?」

「各家、というほどのこともありませんが、旧家にはたいていありますわね」

「……この屋敷のご近所は?」

「旧家です」

 娘の目が一瞬、煌めくのが見えた。私は訊ねた。

「もしかして、あなた……」

 すると娘が答えた。

「まだ、仮説の域を出ないけどね」

「でも……」

 と私が訊き続けると、娘は……そう、本当にいつぶりかに……微笑んだ。

「だって、簡単だもん」

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