第6話 狼と羊


人間にとっての1番の恐怖とはなんだろう。



病? 死? 戦争? 



「……最悪だ」


そのどれもが違う。人間にとっての最大の恐怖とはーー




「おいでなさいな! 人間、あたしの血の贄!」



知ってしまうことだ。


自分という存在が何なのかを、知ってしまうこと。



「めんどくさいけど、来たいなら来て良いよ、人間さん♪」



人間の立ち位置を、千海は知ってしまった、見てしまった。



「……あなたは誰を選ぶの? 私を選んでくれないの?」


餌の本質。


「フフ、みんなの血、欲しいわ。おいで。ほら、手の鳴る方へ」


自らが、人間は決して頂点捕食者ではないという気づき。



「ああ、来て、血の贄。みんなの欲望。僕が満たしてあげるから」



千海立人はその場に立ち尽くす。生まれて始めて感じる本物の恐怖を前にして。




「ああ、吸って、吸ってください、我が君……」

「信仰を捨てます、家族も友も捨てます、ですから、私の血を吸って……」

「ぼく、このために生まれてきた、気持ちいい……」

「もう、全部いらないから、全部、捧げますううう」



人々が、それに魅せられていく。



先ほどまで怯え、震えていた者たちが真顔で、自らを喰らう生き物の元へ集っていく。


「夜の貴族様……」

「なんて、綺麗な生き物……」

「夜を溶かした香りがする……」


人間が、自らの権利を手放していく姿がそこにある。



人間が気の遠くなる時間を耐え忍び、受け継ぎ、戦い、勝ち取ったその地位。



頂点捕食者としての地位を自ら投げ出して行く光景がそこにある。



「あは! 可愛い子ね、いいわ! 貴女も私の一部にしてあげる」



「めんどくさー! けど、うん、私に捧げるあなたの血は美味しいね。めんどくさいけど、飲んであげる」



「……フフ、妬ましくない。妬ましくないよ。人間は好きだ。可愛くて従順で、不憫で哀れ、美味しくて、可哀想で」



「あらあら、良い血ね。ほら、もっと委ねていいのよ? あなた達の血は私達に魅せられれば魅せられるほど芳醇になっていくのだから」




「人間は、いいですね。愛でてよし、揃えてよし、味わってよし。生まれてきてくれて、ありがとう」




ぢゅーーーーーーーーーーーーーーーーーー



美しい女が、贄達を魅了していく。


あるものは唇を奪われ、あるものは首筋を奪われ、あるものは肩を、あるものは頬に触れて。



「「「あああああああ」」」



吸われている。贄達が、それを悦んでいるように見える。



吸血鬼が人間の血を吸う。人間が吸血鬼に望んで血を吸われている。



千海立人の目の前に、地獄のような現実が拡がる。



被食者の屈辱ーー



「ああ、美味しいなあ。皆さまと味合う血のなんと芳醇なことでしょう。それで、魅了比べはーー」




10、10、10、10、10。



51人いた奴隷達は見事に綺麗にそれぞれ10人ずつその身を大いなる吸血鬼達に捧げた。悦楽の声を上げ、頬を桜色に、瞳を溶かして、悦んでいる。



「あら、50人、……1人余ってるわね」



ゲームはまだ終わっていない。



5人の吸血鬼に、51人の血の贄。それぞれの魅了の力が競合し、綺麗にそれぞれ10人に分かれて引き寄せられた。




その男を除いて。



「……妬ましい。まだ、勝負はついていないってこと?」


「えー? めんどー! 最後の1人がまだ残ってるんだ」


「あは! じゃあ、最後の1人を魅せた奴の勝ちってことね!」




魅了比べの決着を決める最後の1人の存在を、古い吸血鬼たちが楽しげに語り合う。



銀髪のショート、ボーイッシュな吸血鬼が、自らに集う美しい贄の首筋を舐めながら、前を見た。



「ああ、ほんとだ。1人、残ってますね」




赤い目が、一斉に、その場に立ち尽くしたままの千海へと向けられる。



憤怒の溌剌とした赤い目が。


怠惰の垂れ型の赤い目が。


嫉妬のハイライトのない赤い目が。


色欲のどろりとした赤い目が。



「君、もしかして耐えてるの?」



強欲のルビーのごとき赤い目が。



7つの貴血が、35歳独身男性を見つけた。



「あは! やるじゃない! あたし達の魅了に耐えたの? へえ、気に入った、アンタの血、このあたしが吸ってあげるわ!」



「えー、めんどくさいけど、それ、私も興味あるなあ。精神力の強い人間の血、好みなんだよね」



「妬ましい……なんなの? 私には魅力がないって言いたいの?」



「あら、フフ、いえ、あなた耐えているというよりは……」



「人間、さあ、僕達の目を見て。委ねて。君に人間としての最上級の幸せをあげよう」



強欲と呼ばれる銀髪ボーイッシュの女が笑う。手を差し出しながら。



「赤い血の生命よ、僕達、吸血鬼の贄よ。恐れることはないんだよ、君たちは僕達に愛される為に生まれてきたんだから」



人間を食べる存在、人間よりもヒエラルキーが上として生まれた存在。



夜の貴族の妖しい力、人間を狂わし、贄に変える魅了が、35歳独身男性に向けられる。



「ねえ! おじさん、あたしにしなさいよ! 知ってるかしら? 人間にとって吸血鬼に血を吸われるのって、スっゴく気持ちいいのよ?」


赤いツインテ。憤怒の席次の吸血鬼が元気に笑う。八重歯のような牙がちらりと。


きっと彼女に身を委ねれば気持ちいいのだろう。炎に溶かされるかのごとく暖かい快楽が約束される。



「えー、めんどくさいけどー。このまま素直に勝負に負けるのもねー。ねえ、わたしにしない? おじさん。めんどくさいけど、今回は、気持ち良いように頑張りますよー?」


机にだらりと上体を預けた白髪フード。

怠惰の席次がにひひと笑う。唇を小指で持ち上げた先からは白い牙が覗く。


きっと彼女に身を委ねれば気持ち良いのだろう。全てが怠く、温く溶かされるように優しい快楽が約束される。




「……妬ましい。自分の魅力を自覚している若く美しく、才能のある吸血鬼が妬ましい。……でも、キミは私と同じで古く醜く、才能もない。私とキミは同じだよ。だから、きっと気持ちいいよ? 人間」


黒い長髪の女の湿った声が、どろり。嫉妬の席次の彼女が長い髪の隙間から視線を送る。


きっと彼女に身を捧げればもうどうしようもない。その快楽は魂すらも堕落させることだろう。




「あら、ふふ。ジエラシーが積極的なのは珍しいわ。ねえ、人間さん。私はあなたにこの世の全てを引き換えにしても後悔しない悦楽を与えることを約束します。私を選んでくれませんか?」


金色の髪の彼女。聞いているだけで、眺めているだけで人間はその存在を捧げてしまいたくなる。


きっと、もうそれは触れたが最後の快楽。彼女に血を吸われたら最後。もうそれしか生きる理由を見いだせなくなる。





「おや、これは、皆さん予想以上に張り切ってらっしゃいますね。こほん、では、僕もあなたにアピールを、この強欲の席次ーー」



銀髪ボーイッシュが、微笑みを千海に向けてーー







「お、おえ……おえええええええ、おうえええええええ」



我慢出来なかった。



「「「「「は?」」」」」



吐いちゃった。



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