第5話 7つの貴血と晩餐会
「……う、あ……」
頭のモヤが脳を蝕むような不快感。
ようやく眠りにつけた深夜1時、唐突にかかる会社からの電話で叩き起こされた時と同じくはいに不愉快だった。
「「「「……………………」」」」
ぞろ、ぞろ。
千海は集団の中にいる。長く暗い廊下のような空間を無意識に歩いていたらしい。
「私……は」
じゃら。気付けばまた手錠がつなぎ直されている。
同じように手錠をし、簡素なチュニックを着せられた虚な目をした男女達と共に歩き続ける。
「クソッタレ、なんなんだ、本当に」
千海が、立ち止まる。ふらつきながらもしっかり自分の足で立つ。
ゾロゾロ、歩き続ける虚な集団は、千海を抜き去っていき、あっという間に最後尾に取り残されて。
「……私の、刀」
どこにも、もうあの刀は見当たらない。なぜ、あの刀が牢屋にあったのか、疑問はしかしいくら考えても見つからない。
「ああ、すごいな人間さん。もう術が解けてしまったのか」
ふわり。夜の闇の中、竪琴を鳴らしたような声。
「君は、確かウェステンラ……さん。私は、ここまで自分で歩いてきたのか? 彼らと同じように?」
ふわり、月光を編んだかのような白金の挑発に、夜に溶け込む黒いワンピースの少女がすぐ背後に。
「ぴゅ」
もちろん、あの馬鹿でかいアメフラシも一緒だ。なんなんだ、この生き物は。
「うん、私の力で歩いて貰った。でも、本当に驚いた。キミは吸血鬼の力に強いんだな。くんくん。でも、神様の匂いはしない。ということは教会の人ではないんだな」
鼻をすんすんと動かして、首をかしげる彼女。
千海が声を低くして。
「……この廊下を進むとどうなるんだ?」
「晩餐会の入り口につく。……ごめん、ごめんね、もう一度眠ってもらうよ」
「待て、ウェスーー」
すっと、顔に影を落とす少女、また眠らされてはたまらない。千海が、静止しようとした瞬間ーー。
「おいおいおいおい! 新入りどもが歩いてるぜ! この時間にそこを歩いてるってことは、餌の連中か! 歓迎するぜえ! 運の悪い同胞よ!」
「おーい! 末妹様の催眠か!? 眠ったままは面白くねえぜ! 起きろ起きろ!」
粗野な声。
気づく。廊下の右左の壁は、牢屋となっている。
牢屋に挟まれる形で伸びる回廊を、千海たちは歩かされていた。
「う」
「あ……」
「こ、ここは? パパ? ママ?」
「なんで、俺、確か水汲みに……」
「は? は? ど、どこだよ、ここ」
「起きた! ようこそ! ようこそおおお! 血の餌の同胞! 吸血鬼にさらわれた間抜けども! あ、俺らも同じかあ!」
「祈っとくぜ! お前らが吸い殺されずにあのお方達の奴隷になれることを!」
「人生お終いだが、大丈夫! 運が悪けりゃ死にゃしねえよ!」
ガシャガシャガシャガシャ、鉄格子をにぎりそれを揺らす牢屋の住人たちが一斉に喚き始める。
「……ショーシャンク刑務所にでも迷い込んだのか、私は」
異様な光景に、千海はうんざりとする。こういう輩は昔から嫌いだ。だが、同時に慣れてもいた。
「ひ、ひい……」
「な、んで、身体が勝手に」
「やだ、やだあ、パパあ、ママあ、どこ?」
「き、吸血鬼? う、嘘だろ、まさか、ここ」
粗野な連中の声で、他の虚だった人々も目が覚めたらしい。
「ああ、みんな起きてしまったか。こら、ダメだぞ、奴隷さんたち。あまり人間さんたちを怖がらせてはダメだ。みんな友達になるかもしれないんだから、いけないぞ」
「末妹サマだあ! 我らが麗しのウェステンラ家の3姉妹!」
「月光の白髪舐めさせてえ!」
「俺を食べてくれよおおおお! アメフラシじゃなくて末妹様に食べられてえ!」
下卑た笑い声が、檻のそこかしこから響き渡る。
困ったように笑う少女の動きに口笛や、声援が飛び交う。
「……悪夢だ」
ファン層の悪いアイドルのライブ会場はこのような感じなのだろうか。
野次を浴びさせながら、暗い回廊を進む。その歩みが、唐突に終わる。
「なんで、なんで止まるんだ?」
「ついたぞ。ここだ、人間さん達」
大きな観音開きの扉。車がそのまま入れそうなほどに広い扉。
人間たちを先導していたトルテが、その門の前に膝をついて首を垂れる。
「お待たせ致しました、お姉様。今宵の晩餐会の新たな"血の贄"をお届けにあがります」
『うん、入って。手間をかけましたね。ありがとうございます。トルテ』
大扉、それに付いている悪魔像のような装飾からガラスを歌わせたような美しい声が響いて。
「もったいないお言葉です。お姉様」
ぎ、ぎいいいいい。
大扉が開く。
明かりが、回廊に差し込んで。
「……なんだ、これは」
そこには、光景があった。
「あーー」
「うーん、美味しい……この濃厚でクリーミー、しかし決してしつこくないお味……わかったわ、南方の国、リーダスの若い男の血ね?」
大広間だ。見渡す、そう表現できるほどに大扉の向こう側の空間は広い。
温かな空気が、広間から回廊へ広がる。
「あら! 正解ですね! さすがスーラ! 効き血の名人!」
「ああああああ、やめ、てえええ、も、吸わないで、えええええ」
煌びやかなシャンデリア、真っ赤な絨毯、赤々と燃える大きな暖炉。
蝋燭や宝飾品が飾られる大きな丸い机。
円卓を彼女たちが囲んでいる。
「……イキがいいね。坊や。もう、そんなに暴れられると、もっと吸いたくなる……」
「ああああああああ」
彼女たちが宴を愉しんでいる。笑顔と嬌声と笑い声の中。
「あ、ああ。もっと、もっと、吸って、吸ってください、あなたの一部に、なりたいんです」
「ダメですよ、これ以上吸ったら貴女が死んでしまいますもの。あら、でも、もしかしてそれを望んでいるの?」
「あああああああ、お願いしますうううう、吸って、吸ってええええ、血を吸ってくださいいいいい」
宴の主菜を、美しい女たちが嗜んでいる。
円卓に乗せられているのは、美しい白いローブを血に染めた人。人、ひと、ヒト、人間。
首筋を舐められ、頬を撫でられ、頭に触れられ。ある者は恐怖し、ある者は魅了される。
「……最悪だ」
「ああああ、吸って、すってえええ」
「撫でて、もっと。吸血鬼様……貴女に全てを捧げます……」
「ぜんぶ、ぜんぶ、うばってえええ」
そこは、吸血鬼の晩餐会。高位生物が、人間を餌として弄ばれていた。
「今宵の晩餐会にお越しの皆様、楽しんで頂けていますでしょうか? 今、可愛い末の妹が追加の贄を運んでくださいました。どうか今宵は遠慮なく、我らウェステンラ家が厳選した血の贄をお楽しみください」
円卓からわずかに外れた場所に立つ女性が微笑む。
肩までのくせっけ気味のショートボブ、月の光を宿す白銀の髪の毛。
新雪のような肌に、赤い瞳。すらりとした体を執事服をさらに暗くした衣装で包んでいる。
「レート! アンタ中々良い奴ね! 私の国の貴族にも宣伝しといあげるわ!」
「ありがとう、スーラ。足りないものがあったらなんでも言って欲しいな。貴女の怒りを買いたくないもの」
「はっ! あたしの"憤怒"はそんな簡単なことじゃ起きないから心配しないでいいわよ! んー、次は何にしようかなー、聖国の人間はみんな血が美味しいから迷っちゃう」
赤い髪をサイドの長いテールにまとめた美少女が頬を緩ませながら笑う。炎のようにゆらめく橙色の瞳が、円卓に並べられた人間を愉快げに写していた。
「レート、ありがとうございます! 久しぶりにスーラの笑顔が見れました! 今代の"強欲"はとても見どころがありますね! 私でしたらこんな面倒臭い《怠惰》晩餐会などとても開く気はありませんもの!」
垂れ目の白髪、フード付きの衣装の女が空元気に声を張り上げる。机にだらけたまま、しかし、ねっとりとした視線を餌に向け続けて。
「スロウも、楽しんでくれてるようで何よりだよ。ゆっくり、貴女のペースでいいから楽しんでね。足りないものがあったらなんでも言って」
「ああ、……妬ましいなあ、今代の"強欲"は教会にバレずにこんな大規模な晩餐会を開ける力があるんだ……この国の人間の宮廷も手に入れてるんだぁ、いいなあ……妬ましいなあ」
黒髪の女。手入れされていない長髪は腰どころか、足元にまで伸びている。前髪で隠れがちの小さな顔、しかし、その造りは他の美女たちに負けず劣らずの芸術品のごとく整って。
「貴女こそが真の強大な夜の貴族です。ジエラシー。7つの貴血の中で、最も古き吸血鬼よ。光栄です、貴女様をここにお呼び立てできたこと」
「フフー、お上手ね、強欲さん。ジエラシーも手懐けたの? お姉さん、気になるわ、貴女がこんな晩餐会を開いてまで、私達のご機嫌を取ろうとしている理由。ウェステンラ家なら今更こんなことしなくても夜の覇権はもう手に入れているも同然でしょう?」
豪華な金髪をひとまとめにポニーテールにまとめた女性。闇を溶かしたドレスに黒い手袋、ぷっくりと膨らんだ涙袋に、泣きぼくろ。
女性的な魅力に満ちた身体は例え女でもあって目線を寄せられてしまうだろう。
「意地悪ですね。ステラ。僕たちは臆病なんですよ。前代の強欲のように貴女達を相手に争うなんて真似、出来そうにありませんから。最も恐ろしき吸血鬼、人間を愛する夜の冷たい空気の貴女よ」
魅力。
それはある一定の所までいくと恐ろしさに繋がっていくのかもしれない。
「はははは! ウェステンラ! 挨拶周りなんかアンタにされたら、あたし達の立つ瀬がなくなるじゃないの! んー、でもご好意を無下にするのは、夜の貴族としての格に影響するわ! でしょ? スロウ?」
「んー! そうですねー! ぶっちゃけ面倒臭いのでスーラの言葉には適当に反応したいのですが、ここはまあ、素直に頷いておきますね! 面倒臭いですが!」
赤髪と白髪の女たちは仲睦まじくコロコロ笑う。若干白髪のフード女は引っ張られる気味ではあったが。
「……妬ましい。席についた途端にこんな晩餐会を開ける権力も、"憤怒"や"怠惰"と上手くやってるコミュ力も、何もかもが妬ましい……」
「まあまあジエラシー、そんなに妬かないの。ほら、こんなにもたくさんの新鮮な血袋さん、いえ、人間を連れてきてくれてるのよ? 強欲さん、でもこんなにたくさん本当に大丈夫なの? "教会"を表立って敵に回すのはいくら、私たちでも少し面倒なのよ?」
黒髪と金髪の女もまた同じく仲睦まじそうに。
「ご心配なく、ステラ。教会の定める人間規定から外れた方達をお呼び立てしています。それでいて、厳選された美しい血の持ち主だけを招いていますので」
銀髪ボーイッシュの女はそれの調停役のようだ。
「まあ、まあまあまあ、さすがは"強欲"。フフ、"傲慢"のお姉様の薫陶のたまものかしら。そういえば、今日は彼女はーー」
「姉様は今宵はお部屋でお休みです。ほら、新月ですので」
「ああ、たしかに。美しい夜だけど何か物足りないと思えば月の光が届かないのね。フフ、まあ、それも一興かあ」
「足りるを知る、永い人生においては大事なことですね。こほん、それではお集まりの皆様、いと貴き、夜に君臨する7大貴族の長達。今宵の晩餐会はまだまだ続きます、ご歓談を、と、言いたい所ですが、新たな贄が来たことです。ここで一つ余興などはいかがでしょうか?」
彼女の透き通る声が広間に届く。
千海はただ、呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
「余興……? ふん、またそうやってどん臭い私をネタにするつもりかい? 妬ましいな、その自信が」
「いえ、ジエラシー、嫉妬の席の貴女よ。僕はただ、貴女達に愉しんで頂きたいだけです。貴血の席に座り始めたこの若輩者に、皆様の古く強い吸血鬼の素晴らしき夜の力を見せつけて頂きたく」
黒髪の少女に、朗らかな笑みを向ける銀髪ボーイッシュ。
小さく唸ったあと、黒髪の少女が頷く。陽キャに簡単に宥められる強気な陰キャみたいな光景だ。
「アハ! 面白そうね! いいわ、良い吸血鬼は若輩に力を見せつけてあげるものよ! 余興の内容が、なんであれ、"憤怒の席"のこのアタシ! "スーラ・ヴィ・フランケンシュタイン"は強欲の余興に乗ったげるわ!」
「あはー! メンドー! だけど、"怠惰の席"、"スロウ・ラヴィ・ホルムウッド"も、憤怒の怒りを買いたくないからのったげるよー!」
「妬ましい……けど、いいよ。"嫉妬の席"、"ジエラシー・スカラ・レヴィアタン"。強欲、楽しませて、くれるんだよね?」
「あら、フフ、ジエラシーが楽しんでくれるなら。"色欲の席"、"ステラ・バル・サーキーバース"。何をしたらいいのかしら、強欲さん」
「皆様のお言葉ありがたく。僕、新たなる"強欲の席"、"レート・ヴァン・ウェステンラ"から皆さまに、
7つの貴い血を司る高位種族の中でも最上位の存在が愉悦の予感に嗤う。
血に親しみ、血を嗜み、血を蓄える。
彼女達は、人間の捕食者。この星において、人間よりも上の階層に存在する生物。
「ここに集いし7つの貴血の皆様。夜の貴種を統べる皆さまが一同に会すことなど早々あったことではありません。どうでしょう? 余興として、ゲームとしてここに新たに補充した贄達を使い、"魅了比べ"などは?」
吸血鬼は、みんなゲームが大好き。己の能力をひけらかすことこそが快感。
「へえ! 魅了比べ! アハ! なっつかしい! 子供のときに何度かやったわね!」
「あー、やったねー、めんどくさかったけど!」
「ここに新たに用意した贄は51人。そして、今ここに座す偉大なる古き7つの貴血の賓客の皆様は4人。もちろん余興には僕も参加させて頂きますので、10人を魅了して山分けしても……おや?」
悪戯っぽく、銀髪ボーイッシュが笑って。
「あら、フフ。1人余る計算になりますね」
「……あー、そーゆーこと。妬ましいなあ、その自信。なに? こういうので優劣をつけようってわけ? 強者の自信だ、さすが、"傲慢"の妹なだけはあるよ」
「褒め言葉と受け止めさせて頂きます。ジエラシー」
「まどろっこしいことは辞めましょ! 面白いじゃない! 誓約によりあたし達は争うことはできないけど、ゲームなら話は別よね! スロー、本気でやりなさいよね!」
「えー、めんどくさい! でも、スーラが怒るともっとめんどくさいから、いいよ!」
そのタイミングで、ちょうど計算されていたかのように、それが解けた。
「な。なんだ、何が始まるんだ?」
「こここ、どこ? 私は」
「い、いいいみがわからない、なんで、こんな」
「ひ!? 嘘だ、嘘だぁ!? 7女神様ァ!! 嘘だあ! なんで、ここは!?」
「ど、こ? お母さん? お父さん? 私、なんで?」
千海と同じく連れてこられた人々たちがようやく正気に戻ったらしい。
だが、もう全て遅い。
生け造りの食材と同じだ。もう、人間たちは食卓に並べられている。
「おや、トルテの魅了がちょうど溶けましたね。では、7つの貴血の皆様。ゲームを始めましょう。ルールは単純、より多くの血の贄を魅了した者の勝ちということで」
「勝者は何を得られるのかしら、強欲さん」
「あは、他の吸血鬼よりも優れているという"名誉"、それ以上のモノがご必要ですか?」
吸血鬼は、名誉を尊ぶ。夜の世界に貴族として君臨する彼女たちはなによりも洗練さと高貴さと有能さを求める。
「あら、そうね、それはたしかに」
ぺろり。赤い舌が美しい唇から覗いた。
「……いやな予感がする」
「ひ! き、吸血鬼!?」
「う、嘘だぁ、じゃあ、ここはーー」
「いやだ、血、血を吸われる!?」
「に、逃げないと、逃げないと!」
「あああ、神様……嘘でしょ」
正気を取り戻したらしい人々が一気に喚き出す。ある者は泣き出し、ある者はその場に這いつくばり、ある者はその場から逃げ出し、ある者は祈り出す。
玉座にそれぞれ座る美しい女たちは、ただ、一様に赤い目をそれぞれニヤニヤと歪めたまま。
「ゲーム、スタート」
銀髪ボーイッシュの声が響き。
そして、それが始まった。
「「「「「
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