第4話 末妹・トルテと独身男性



「ダメだぞ? キミたち。私だって、我慢してるんだ。なんで、キミたちがお姉様の晩餐会の人間さんを食べようとしてるんだ?」



 牢屋の外からこちらを眺めているソレが、声を鳴らした。



「す、末妹様……」



「……は? う、ウミウシ……?」



 ソレは人ではない。ブヨブヨしてなめらかで、夜闇の中で青白く輝いて。



「お、おい! バカ! それはウミウシじゃなくてーー」




「む、私のシアはウミウシではない。ベジタリアンだからアメフラシなんだぞ、人間さん」





「……アメフラシが、喋った?」



 馬鹿でかいウミウシ、ジャンボアメフラシがしゃべっている。


 軽自動車くらいのサイズがありそうな、障子の声で喋るアメフラシ。



 なんだ、これ。千海が状況を忘れてあんぐり口を開く。




「シアは喋れないぞ? アメフラシなんだから。ああ、そうか。今、私がシアの中にいるからか。そこの2人」



「「は、はい!」」



 喋るジャンボアメフラシの言葉に、吸血鬼の男達がびしりと背筋を伸ばして。




「残念だけど、キミ達は悪いことをした。お姉様の食べ物を横取りするなんて許されない。だから、ごめんね」



 アメフラシの口から触手が現れる、夜の闇に透き通る青さ白いそれは、花が咲いているようにも見えて。



「い、いや、待っーー末妹さ、ま、ギャァ!?」



「先輩!? ックソ! 血術ーーっ、ア!? ガア!?」




 それらが音もなく、吸血鬼たちを絡めとる。抵抗むなしく、触手に捕らえられた彼らがアメフラシの口元に運ばれて。



「イタダキマス」



 パクリ。



 もぐ、もぐ、むしゃむしゃ、ぽきん、ぽきん。



 アメフラシのぶよぶよした身体がぶりんぶりんと蠢く。



「……悪夢か?」




 千海は尻餅をついたままその光景を眺めることしかできない。


 そのまま、ぼーっと酷い悪夢のような光景を眺め続けた。



「ふう、ご馳走様。シア、彼らの服は食べていいぞ。私はいらないから。さて、シア、少し外に出るよ」




「ぴゅー、ぷー」



 食事は終わったらしい。アメフラシの中から聞こえる少女の声に、アメフラシが気の抜ける鳴き声で返事をして。



「ぴゅー」




「な、んだ?」



 アメフラシが、口から青白い霧を吐き出した。


 月のない夜に、淡く輝くその霧が、ゆっくり、ゆっくり、ヒトの形を模っていく。



「フウッ……、やあ、人間さん。こんばんは。いい夜だね。ごめんよ、あの2人が怖がらせてしまって」



 霧が、人に、少女に変わった。


 月のない夜でも、それ自体が月光を編んで作られたような腰まである長い白金の髪。


 しなやかな長駆、にょきりと白い陶磁器のような手足が黒いワンピースから伸びている。


 人形のような小さくて精巧な顔、ゆっくりと開かれたその瞳は血の色をしていた。



「き、みは、誰だ?」




「私か? うん、トルテ。だぞ?」



 にこりと微笑む長身の少女、彼女の口元から牙がちらりと。



「いや、名前ではなく」



「うん? お名前以外に何が気になるんだ? あ! 家名だな!」 



「いや、だからだな」


 ペースが掴めない。牢屋の中に入ってきた少女がニコニコしながら、千海と視線を合わせるようにしゃがみ込み。




「うん。私はトルテ。トルテ・ヴァン・ウェステンラ」



 にへら、と微笑む。千海は少女の造形の良さに驚きつつも平静を意識する。



「……人の話を聞かない子だな。だが、私は、君に助けられた、のか?」



「うん。すまなかった。普段は"騎士団"の人達は餓えに負けたりはしないはずなんだが。でも、うん、安心してくれ。牙癖の悪い騎士団さんは今シアの中で反省中だ。命を20個くらい減らせばいい反省になるだろう」



「命を? いや、まて、その……巨大なウミウシ、いや、アメフラシは……」



 物騒な言葉を聞かなかったことにして、牢屋の前でふよふよと身体を揺らしているジャンボアメフラシを指差す。



「シア、だ。女の子なんだぞ、かわいいだろう?」



「ぷー。ぴゅー」



「ああ、うん……」



 説明してくれたのに、何も理解出来ない。



「ど、どうしたんだ、人間さん、あ、お腹が空いているんだな。うん、私もよくお腹が空くからわかるぞ、えーっと、あ、あった! ほら、人間さん、これを食べるといいぞ! お城にくる商人さんからもらったお菓子だ」



 長髪の美人が、千海に紙袋を差し出す。

 受け取って、中身を確認。香ばしい匂いがする。


「…………」


「……?」


 食べないのか? そういいたげに彼女がしなやかな躰をぐいーと傾ける。わずかにその表情が、不安そうに見えた。


 千海は意を決してそれを口に放り込む。



 さくっ。


 小麦粉の優しい香りに、舌に広がる緩やかな甘み。



「……美味い。クッキーか」


 千海が、一息。紅茶かコーヒーが有れば良いのに。そう思えるほどには美味しかった。


「良かった、元気になったみたいだな。人間さんはでも、どうして、目が覚めているんだ? 狩人のヒトたちの血術スペルが解けているんだな」



「……待て、その言いぶり、ああ、畜生、君も、なのか?」



「うん?」


 千海の言葉に、また彼女が首を傾げて。


「君も、奴らと同じ、――吸血鬼なのか?」



「うん、そうだぞ。”7つの貴血”のお姉さまと上姉さまの妹なんだぞ。だから、私も吸血鬼、だぞ」



「……はは、吸血鬼の名前にヴァンがつくのか? 皮肉のつもりかい?」



「うん? おお、お姉さまと同じことを言うのだな、人間さんは。面白い人だ、それにキミは不思議な匂いがするのだな」



「うおっ」


造形の良い顔が、すっと、躊躇いもなく35歳独身男性の胸元に。


トルテ、そう名乗る彼女からふわりと甘い柑橘のような香りがした。



「すんすん、うん、良い匂いだ。そしてどこか懐かしくて古い匂い。お月様と血の匂い、ううん、これは”死”の匂い? うーん、人間さんは、吸血鬼ではないのに? うーん? それに、ほんの少し、上姉様の匂いもする? なんでだ? 上姉様は新月だから今日はいないはずなのに」


 月にもし、姫がいればそれはきっと彼女のような容姿になるのだろう。



 赤い瞳、雪のように白い肌、そして頰に指す僅かな赤み。髪の毛は闇の中でも、ほのかに月明かりの如く輝いている。



 人間を顔だけで虜にしてしまう、そんな圧倒的な美貌がすぐ目の前に。



「すまない、少し離れてくれないか? 君のような可憐なお嬢さんがあまり私のようなのに無防備に近づくのは条例上よろしくない」



「うん? ジョーレー? ふふ、本当に不思議な人間さんだ。キミはなんていうか、普通なんだな。シアを見ても叫んだりしないし、私にも普通話してくれる。私が怖くないのか?」



「さっきの品のない男たちと比べればな。そこのウミ、いやジャンボアメフラシもよく見ていると愛嬌がある」



「ぴゅー」



「お、おお! そうだろう? そうだろう! はは、人間さんはいい人だな、シアを見てそう言ってくれたのは君が初めてだ! お姉様も上姉様もシアのことが苦手そうでな」



「ぴゅー」



アメフラシもどこか喜んでいるように見える。ぷよぷよと千海にアピールするかのようになんか、伸び縮みしていた。



「あ、ああ、まあユニークな姿だ。好き嫌いはあるかもだな。嫌いではないよ」




「そうか! ふふ、人間さんは変わっているんだな。どうしよう、もうすでに私はキミのことが気になっているぞ。……それだけに残念だ。キミがお姉様に気に入られ過ぎないように祈るよ」



「なに?」



「お姉様の晩餐会、血が足りないと言われてね。ここの牢屋の人間さん達みんな、来てもらわないといけないんだ。いいね?」


 彼女が、視線を牢屋のボケた人々に向ける。


 たったそれだけで、人間は。



「あ……」

「うう……」

「ああ、月の光……」

「あ、なんて、綺麗な紅い目……」

「夜の香り……ああ」



 虜となる。夜の貴族の力に定命の者はただ魅せられるだけ。



「……嫌な予感しかしないのだが、私も行かないといけないのかな、牢屋に人間、そして吸血鬼、ああ、クソ嫌な予感がしてきた。海外ドラマの見過ぎか?」



「……ごめんね、人間さん」



 彼女の瞳が、赤く輝く。申し訳なさそうに、すっと、トルテが千海に視線を向けた。


 その光が視界一杯に広がって。



「ーーちくしょう」



 千海の意識は簡単に途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る