第2話 奴隷reスタート


「おい、こんな奴いたか? リストを確認しろ」



「んー? 先輩、こいつは商会の納品リストにはいないっすよ。どうします? バラしときます?」



「あー、まあいいや、リストは関係ない。あの方たちの晩餐会だ。血はいくらあってもいいだろ」



「了解ース、それにしてもこいつの服装なんすかね? 首都でも見たことがないっす」


「さあな、北方の新しい流行りとかじゃねえのか?」


「へー、じゃああれっすかね? 割と裕福な人間だったのかも。いいなあ、血も美味いんでしょうね」




声で、目が覚めた。



「なんだ……?」



千海立人は、自分が座り込んでいることにようやく気付く。


深い眠りから覚めた時と同じふわふわした感覚の中、千海がまず感じたのは手元の違和感。



「手錠?」


白い金属、鎖と輪っか。THE手錠が自分の手首に。



「なんだ、ここは?」




暗い場所。ぱちぱちと音を立てる松明がだいだい色に辺りを照らしている。茶色のレンガの壁に床。そして目の前には。




「鉄格子……? 牢屋?」



炎が照らすのは無骨な鉄格子。手錠に鉄格子。千海は気づくと暗い牢屋の中にいた。



何かがおかしい。自分はいったいどうなったのだろう。


記憶を探る。



ーーやだ! 放して! 放してください!


ーー一緒に、死ねよ! 責任取れ! アイドルのくせに恋愛なんかしやがって!


ーーお、おい、君、何をしているんだ? あ?




少女に絡んでいる大柄の男、それを止めようとして少女と男の間に入った瞬間、男の隠し持っていた包丁が自分の腹に突き立つ感覚。



ーーあ、やっちゃった。



ーーえ



ーークソめ。



腹を刺された瞬間、無意識に、自分が持っていた刀を抜いて男の首めがけてそれを振る感覚。



それから。血と冷たさと暖かさーー



「あ……」



身体が震える。千海は思い出した。




「……私は、私は死んで……」



自分が死んだこと。はっきりと思い出した。そしてその瞬間、大きすぎる疑問が頭に広がる。



「いや、待て待て待て待て。……ここは、どこだ?」



ここはあの冬の日の歩行者天国ではない。自分が救った少女も、自分が殺し、殺された通り魔も、ムカつくスマホのカメラたちもいない。



「ろ、牢屋……い、意味がわからない……」



死んだら人はどこに行くのか、人類共通の謎の答えは牢屋行き、らしい。



「……まあ、これはこれで詩的ではあるな。人が死ぬと最後には牢屋に閉じ込められる、か。ふ、はははは。会社、労働に囚われていたと思えば最後は牢屋か……」



千海が、壁に体を預けて力を抜く。死んだ後も自分が着ているのはスーツで、革靴。骨身の底から社畜が刻まれているらしい。



その滑稽さに、千海は噴き出した。



「ーーははははは、これはいい! 笑い話だ。なんだ、ははは! 過重労働の末、通り魔に殺され、行き着いた先は牢屋か! 私の人生は、なんと、笑える……ははは……」



力なく崩れ落ちる、冷たい壁によりかかり項垂れた。



「ちゅちゅ? ちゅー?」



ふと座り込み、投げ出した足の回りを小さなふわふわした奴が蠢く。



「……ハムスター。綺麗な齧歯類だな」


「ちゅ?」



 ネズミじゃない。そこにいたのは白毛のハムスター。松明の揺らめきが白い毛並みを輝かせる。




「なんだ? 腹を空かせているのか? あいにく私はひまわりの種は持っていない。……ああ、いやだが、待てよ、ああ、あった」



「ちゅ?」



「ミックスナッツだ。血圧のことを考えて無塩のものをいつも買っていた。少しならお前も食べれるだろう?」


千海がジャケットの内ポケットから小分け袋のおやつを取り出す、社畜にとって小さな行動食は基本携行アイテムだ。



「ちゅー!」


もそもそと、手のひらにためたミックスナッツをハムスターが頬張り始める。



「……人は死んだ後、牢屋に入れられ、ハムスターに餌付けする、か。宗教を信じている連中はこんなシュールな死後の世界を信じられるのか?」



「ちゅ!」



暗い牢屋の中で、白いハムスターはまるで白く灯る燈のようだ。



それが、てとてと、牢屋の中を歩き出す。



「ん?」



そのハムスターを目で追うと、千海はあることに気付いた。



「人……?」



千海がハムスターが去った右手側に視線を。



暗がりに、人影がいくつも見えた。人数はかなり多い。この牢屋は、かなり広いらしい。



みんな千海とは違い、直立している。



声をかけてみるべきか少し悩んだが、意を決してーー



「あ、あの、す、すみません。あなたたちは……」



「「「「…………………」」」」



無反応。


松明の炎に照らされる人々の顔はよくみると何が様子がおかしい。



白い清潔な布のローブ姿の男女たちはみな、一様にぼーっと天井を見上げている。顔色が皆悪く、よだれを垂らしている者もいる。




「だ、大丈夫、ですか? ええっと、その顔色が皆さん良くないようですが……」



「……」


やはり、反応はない。



「まずい、何かが変だ……、なんなんだ、ここは。人は死んだら牢獄に入れられ、ハムスターに餌付けして、その牢屋には顔色のヤバいおともだちが沢山いる? 頭がおかしくなりそうだ、クソっ!」




千海が、シュールすぎる状況に焦り始める。寝起き直後のぼんやりした感覚は徐々に薄まり、今、自分の置かれた状況のおかしさに気づき始めた。



「なんだ? 妙にうるせえ奴がいるな? "魅了"が緩んだか? ブルーム、黙らせて来い、そろそろ末妹様がいらっしゃる頃だ」



「ういーす」



その時だった。


牢屋の外、鉄格子の向こう側から声が響いた。


「よ、よかった、人、人がいるのか?」


ぎいい。鉄格子が開く。牢屋の中に人が、まともに会話が出来そうな人が入ってくる。



思わず、千海が駆け寄ってーー




「あ、す、すみません! 気付いたらここに、入ってしまってて。喋れ、ますか? あなた、こ、ここがどこか知ってーーギャッ!?」




鼻面、衝撃。


人間、意図しない暴力に襲われた時の悲鳴は汚いものだ。



千海は突如、顔面にぶつけられた衝撃に体を仰け反らせ、尻餅をつく。



「はーい、静かにしようなー。他の大人しくしている人たちに迷惑だからよー。ん? アンタ本当に変な服装してるっすねー! 先輩! 本当にこいつ、そのままにしていいんすか? なんか服装、生地とか高そうなんですけど! お姫様達のオキニじゃないっすよね!」



「あー? まあ、どちらにせよあのお方たちの軽食は、末妹様が見繕う。その時わかるんじゃね?」



「えー、俺もう殴っちゃったっすよ。もー、後輩にこういう汚れ仕事ばっかやらせるんすからさー」




「く、ぐ、くそ。な、なんなんだ、く、鼻血が……、そ、それに痛い? なんで、だ? 死んでも、痛覚があるのか? いや、私は今、何に殴られた?」



今、自分が何に殴られたかもわからない。ただ、突然、衝撃だけが顔面に飛んできた。



ぽたり。


混乱の中、千海の鼻から垂れるのは真っ赤な血。


鼻血が、レンガの床にぽたり。染み込んで。




「くんくん……な、んだ? この匂い……」



鉄格子のすぐ向こう側、千海が駆け寄ろうとしたその軽薄そうな声の男が、ぼそりと呟いた。



「……めちゃくちゃいい匂いだ。……お前か?」



男の声が一気に低くなる。炎に照らされた彼の目、赤い光が漏れているような。




男がふらり、鉄格子ににじりよってくる。


その瞬間、千海の頭から爪先にかけて、嫌な悪寒がひた走った。



「ヒッ、な、んだ、その目は……よ、よせ! な、何なんだ!? 私に、私に近寄るな!」



「おい! ブルーム、どうした? ダメだぞ、つまみ食いは。それは貴血の皆様の食事ーー……なん、だ、この匂い……」



鉄格子の向こう側、男がまた1人現れる。そして、鼻を蠢かせ、立ち止まって。



「う、まそう」


「いい、香り……」



赤い目が、四つ。男たちの視線が千海に向けられて。



「ヒッ、や、やめろ! なんだ、お前たち!? お、おい! そこのアンタ達! ここは、何かヤバい! 誰か説明してくれ! 私は、私は、なんで、こんな所に! 私はーー」



同じ牢屋のお友達、白いローブの虚な集団は何も答えてくれない。



「お、おい! 聞こえてないのか!? 誰か、誰か! なんなんだ、これは? 私は何に巻き込まれてーー」



パニックに陥った千海が尻餅をついたまま、あとずさる。



視界、ブレる。鉄格子、松明、白いローブの虚な集団、白いハムスターはもういない。そして、鉄格子を今にも開けようとしている男達。



そしてーー



《血を多く流せ》



赤く、輝く文字。



「は?」



天井に、それはあった。



炎の光が届かないはずの牢屋の天井にそれは書かれてある。ちょうど尻餅をついた千海が見上げる形で視界におさまる位置に。




《ここではまだ死ぬな。ルートが狂う》



「な、んだ、これ、血文字……!?」



《助けを呼べ、私の美しい刀を》



意味不明な血の文字に、千海の脳みそは混乱する。



「うま、そう」



「少しだけ、少しだけならーー」



そうしている間にも、何か不穏なことを呟く男たちがゆらり、ゆらり、鉄格子を開けて、牢屋の中へ。



《刀に血を吸わせろ。強欲の城を駆け上り、自由になりたいのなら》



「ひ、刀? な、何を言ってーー」



すとん。


千海の手首を纏めていた手錠が落ちる。


まるで、何かに斬り落とされたように。


からん、からん。



「は?」


ぞっと、した。


。ありえない、さっきまでは何もなかったはずなのに。




「なん、で、ここに……いや、そもそも私はーー」



千海はそれがなんなのか知っている。慄きながらも、指先は無意識にそのざらざらした柄を撫でている。



《思い出せ、あの時と同じだ》




《ムカつく奴をーー》



血文字はそこで途切れる。訳がわからない。千海は混乱した頭の中必死に考える。



なんで、私は生きている? 私は今、どこにいる? 目の前の奴ら、そしてこの牢屋にいる連中は何者だ?



様々な疑問と意味不明の状況、考えたところで何一つ理解出来ることなどなかった。



だが、一つ分かる。



「お前、美味そうだ……」



「あ、ああ、だめ、なのに。お前らはあの方達の餌なのによー」



目の前の連中はまともな存在ではない。あの通り魔と同じ、人間の理屈が通用する相手じゃないことは、理解出来た。



「ーー私に」



手を伸ばせば、届く位置にそれはあった。



最期の瞬間まで離すことのなかった千海立人の宝物。



それを握る、握ればどうなるかーー。




「「あ?」」



「ーー私に近寄るなァァァァァァ!!」




ずりん。


拾い、鞘から、抜く。


蓮の形の鍔、黒い持ち手に、鈍色の刃。



日本刀。



振り方は適当。だが、千海は知っている。この刀は、一度握ればーー。




「あ? 剣? お前、そんなもんどこかっーーら?」



ずん。


鈍色の刃が、軌跡を描く。



千海立人は知っている、この刃の凄まじさを。大凡鍛錬などしたことのない自分でも、握って、振るえばーー




「あ?」



ぼとん。



男の1人、千海に触れようとして牢に入っていた男の首が取れた。



あの時と、同じ。


通り魔にしたのと同じように、千海立人の振るった刃が人間の首を落とした。



奇妙な感覚だ。刀を握ると、自分の身体が軽く、まるで刀に引っ張られるように勝手に動いたかのような。



「あれ、先ぱーーィ?」



ごとん。


また一つ。首が落ちる。



千海が、無言で、息を荒くしつつも残る1人の首を斜め下から掬い上げるように斬り飛ばす。



「はあ、ハァ、ハァッ……!」



振り方もデタラメ、刃の立て方も出来ていない。だが、それでも千海の一撃は確かに人体を的確に殺した。



鈍色の刃、赤い血の伝うそれのなんと恐ろしい切れ味。



「は、はは……や、やってしまった、は、こ、これは正当防衛になるのか? いや、私は……」



からんからん。



千海が尻餅をつく、刀を手からこぼした。


転がった首2つ、首を失った身体2つ。


赤い血が牢屋の床に染み込んでいく。



「あ!」



まずい、見られた。人を殺す所を。



千海が慌てて、同じ牢屋に押し込まれている連中を確認する。だがーー



「「「「……」」」」



やはり、なにも、反応はない。


ぼんやりと、どこかを眺めて呆けているような顔で、男も女も身動きすらとらない。



「な、なんなんだ、こいつらも。全部、全部、意味がわからない……くそ、最悪だ」



千海が自分の髪の毛を掻きむしりながらぼやく。



とにかく今は、ここを離れなければーー



「っあー……痛っー、うわ、おいおいおい、ズッパリやられたな。ひっしぶりに死んじまったぜ」



「まじそれっす。びっくりしたー、あんまりにも美味そうな血ィだったから油断しちまったっすよー」




「……………………は?」




生首。


千海が斬り、断首したそれ。



それが。



「まあ、アレだ。"祝福"された武器じゃねえ。ラッキー、ラッキー」



「いやー、教会の武器だったら滅んでたっすねー、よかったー、1回死亡で済んで」




死体が喋っていた。


胴体と泣き別れになったはずの首がヘラヘラと世間話を初めてーー。

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