異世界ライフに幸せを! 私は何度死んでも諦めない〜35歳独身男性が"死に戻り"しながら優雅な早期リタイア生活を目指し異世界でヴァンパイアの奴隷から成り上がります〜

しば犬部隊

第1話 YOU DIED I wanted to She it



 冬の日だった。クリスマスイブに腹を包丁で刺された。内蔵までグッさりと。



「……人生はやはり、クソだ」



 歩行者天国となった主要道路の真ん中で、千海立人ちうみたてひとは毒づいた。



「ああ、おじさん、おじさん! ダメ、ダメだよ! 血が、止まんない、やだ、ヤダヤダ! 止まって、止まってよ! おじさん! おじさん! 大丈夫!? 声、聞こえる!?」



「……嫌になるな……長川は既に二児のパパ……亀木も昨年、結婚し、藤崎も子どもが、もう中学生……げぼッ……みんな、大人になっ……て」



 人生はクソだ。特に大人になれなかった者にとっては本当に。



「私だけ……はは、ああ、クソ。あの頃は完璧、だったのになあ」


 千海立人は、大人になれなかった。みんなのように、歳を重ねても、自分よりも大切なものを見つけることなんかなかった。



「だが……それはそんな悪いことか? 私は、それなりに必死で生きて……たのしく……いや、待て……私は、何を考えている……、はは、なんの話だ、まったく……」




「ちょっと、おじさん! しっかり! しっかりして! お願い、起きて!」



 仰向けのまま、うわ言を漏らす千海に少女が声をかける。



 蕩けそうな瞳孔を開き、千海が自分に縋りよる少女を眺めた。



「……ああ、君、無事……だったのか、怪我はない、かい?」



 何度も、何度もナイフで刺された腹の傷。


 もう血は止まらない。傷口を抑えながら、意外と冷たい自分の血の感触に、千海は笑う。どんどん、自分の中身が少なくなっていく。


「ない! ないです! おじさんが守ってくれたから、ないよ! 誰か! 誰か! お願い、救急車を呼んで!」



 ぺちゃ。


 千海の右手を掴みながらボロボロと涙を流す少女、白い制服が血に汚れるのも厭わず、傷口をハンカチで覆ってくれたり、手を握ってくれたり。



「……い、い奴だな、君は。よかった、よ。善人が目の前で死ぬのを見なくて済んだ。最悪のクリスマスイブにならなくて、よかった……1人で過ごすのは、慣れている……が、人を見殺しにして過ごす夜は、きついだろう、からな」



「いや、いや! 何言ってるんですか! あな、あなたが、あなたが死にかけちゃったら、ダメじゃん!」



 言いながら千海は後悔する。



 今日、出かけなければよかった。純黒限界リーマン生活の中、3年振りに取れた3連休に、はしゃいで出かけたりしなければ良かった。


 千海の数少ない趣味、ある古物の鑑賞。


 金物屋に研ぎに出していたアレを取りにいかなければ良かった。


 いや、この時間、この場所だけを避けていれば今頃、旅行雑誌を読みながら、ピカピカに研がれたアレを眺め、時折コーヒーを舐めながらゆっくりと孤独なクリスマス連休の初日を……。



「ああ、くそ、早期リタイアしたい……もう働きたくない、電車も、上司も、社会もうんざりだ、ああ、待てよ、このまま死ねば、問答無用でリタイア、か、ふ、ふふふ」



「だめ、おじさん、喋っちゃだめ! 救急車、まだ? まだなの? なんで!? あの、すみません! そこの人、助けて、助けてください!」




 ざわざわ。


 辺りに集う野次馬。歩行者天国には年末の雰囲気に浮かれる沢山の人が。でも、少女以外、誰も千海に近づくことすらしない。



「おい。おまえいけよ」

「いや。血やばいじゃん」

「ほら、すぐ警察くるって」

「あんま素人が触ったらダメだろ」

「やばいって、あれ死んでない? 首が……」

「刀? 日本刀じゃね? あそこに落ちてるの」

「てかあの子可愛くね」

「待って! あれ、セイじゃない!? モデルとアイドルの!」

「え、やば、本物じゃん。あのおじさんなにしたの?」

「ほんとだ、セイだ、写真」

「そろそろ行こうよ、次、どこのお店にする?」


 ぱしゃり、パシャパシャ。スマホのカメラが瞬く。間抜けな音だけが千海と少女に向けられる。


「な、んで、写真ばっか、なんで誰も……」


 少女がきっと、目つきを険しくーー


「きみ……いいんだ」


「おじさん! だから、あなたは喋っちゃダメって! すぐ、救急車くるから! ね! お願い! 死なないで!」



「すまない、ひとつ、きいて、もらえるかな」



「な、なに? なんですか!? 私に出来ることなら、なんでも!」



「私の……あるかな。近くに、あれば、手元に持たせて、くれないか?」




「かた、な……あ」



 少女の視線が、ゆっくり、ゆっくり。



 千海が倒れて、そこから5歩ほど離れた場所にそれはある。



 黒い握り、無骨な鍔。鈍色の刃。



 刀。



「たい、せつな、ものなんだ。昔、振られた日に店で見つけて、そのまま買って。今日は、研ぎに出してね、とても、いいものなんだ、ああ、待てよ、そうか、デートの最中にアレを買ったから振られたんだっけ。はは、走馬灯か? ……手元、に置いておきたい……頼む、よ」


「あ、う……」


 血海の血や傷に怯えずにいた少女が千海の言葉に戸惑う。


 何故か。簡単だ。



「………………」


 その刀の横たわるすぐ隣に、身体が落ちている。千海ではない。



 でっぷり太った身体に、黄ばんだシャツの身体。


 血まみれの、身体。



「ひ、う。わ、かり、ました」


 少女の目線がゆっくりと順番に。千海、刀、でっぷりな身体、そして。



 生首。


 醜く肥え、そして驚愕の表情のまま、絶命した瞬間のままの顔を遺した首。



「すま、ない。……恐ろしいと思うが、君にしか頼めないんだ」



 通り魔。少女を狙った通り魔の首と胴体はつながっていない。


 千海立人が、斬り飛ばしたから。



「は、い……!」



 ぱちゃ。


 少女が四つん這いで、腰を引きながら、アスファルトをゆっくり進む。生首を見ないように片目を瞑って、それから刀を掴んだ。



「お、じさん! 拾ってきました、ここにあります! あなたの、刀!」




「ああ、ありがとう……」



 千海の視界がどんどん暗くなる。



 手に触る冷たい柄の感触。数年前に古物商で一目惚れして購入した刀は、やはり良いものだった。


 初めて刀を振るった千海でも、容易に人間の首を断つことが出来た。



「あ、あくそ……死にたく、ないな……せっかく……」



 千海はしかし、孤独でも置いていかれてもそれなりに人生を楽しく生きるコツを知っていた。




「せ、っかくまた、新しい楽しそうなことを見つけた、のに」

 


 通り魔から少女を庇い、腹をナイフで刺された瞬間、無意識に刀を取り出し、奴の首めがけて振るった瞬間ーー。



 あれはーー



「すかっと、した……」


 よかった。とても。


 金物屋に、研ぎに出したのがよかったのだろうか。ただ、とても、心地よかった。



 すぽーんと、飛ぶ首。見開かれた汚い眼。


 千海は、初めてその時、知ったのだ。


 ムカつく奴をぶった斬るのは、とてもーー。



「くは。気持ちよかったなあ」



 千海は笑う。


 大人になれなくても別にそれはそれで1人でも楽しいことはある。


 千海は新しい楽しいことを今際の際に見つけかけていた。


 でもーー。




 暗い、暗い。


 視界が一気に暗く、狭く。


 死。これが、死。


 千海はごつごつ、ざらざらした刀の鍔、柄を撫でながらゆっくりと死んでいく。



「ーーーー……」


 少女が何かを言っている。


 だが、少女の声も聞こえない。


 ふと、ほんとうに、ふと。


 千海の視界がそれを写した。


 最後に自分の刀を見つめていたいと思ってみひらいた、目がそれを捉えた。



《がんばれよ》



 刀の刃、そこから垂れた血が、地面に文字を描いて。



 血文字?



「なん、だ、それは……」




 千海立人は、そのまま意識を手放した。



 この日から1ヶ月ほど全国をセンセーショナルなニュースが騒がせる。


 "35歳独身男性、通り魔から有名女子高生アイドルを庇い、死亡"



 庇われた少女が、今、売り出し中の芸能人だったこと、通り魔がここ最近起きていた未解決殺人事件の容疑者であったこと、そして、何より。



 その通り魔と刺し違える形で、男性が死亡したこと。


 以上のことからこの事件は年末年始の間、お茶の間を賑わせる。



 だが、いつしかニュースは日常へと溶けていく。家族のいない千海のことを覚えている人間は1人、また1人少なくなっていき。



 いつしかニュースは2月最初の祝日を超えた辺りから、そんな事件のことなど初めからなかったかのように話題に上げることはなくなった。





 千海立人は死亡した。

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