A(past)

「見て見て、あそこら辺が私らの家かな!」

「いやいや、見えないって」

 コイン式の双眼鏡越しに、秋の夕日に彩られた町を見下ろす雫のはしゃぎっぷりをたしなめつつも、大河の気持ちもどことなく浮かれ気分であった。

「あっ、そっかごめんごめん」

 照れくさそうに笑いながら、少女は双眼鏡の横にずれる。

「どうぞ」

「ありがと」

 一つ年上の少女の気遣いに感謝してから、双眼鏡の時間が切れてしまう前にとレンズを覗きこむ。途端に拡大されたのは、小さく見えるそれなりに栄えた町だった。そして、さほど時を置かないまま自らと隣にいる幼なじみの少女が住む少し古びたマンションらしき建物を確認し、頬を弛める。直後にガチャンという音とともに、目の前が真っ暗になった。

 双眼鏡から目を離した大河は、穏やかに微笑む雫に頭を下げる。

「悪い。時間が切れた」

「いいよ。もう、私は充分堪能したし。それに、双眼鏡がなくても、景色は綺麗だしね」

 少女の言葉通り、分厚いガラス越しには景色を見下ろせた。二人がいるタワーの周りにある紅葉した森林地帯に囲まれた動物園、その脇に隣接された遊園地。更には園外にある自然豊かな大学などをみつけられる。屋外ではないため気持ちいい風こそ遮られていたものの、とりわけ木々の並びを目にするのは、ちょっとした紅葉狩りの気分になれた。

「いい日に来たよね」

 特に衒うでもなく発せられたとおぼしき雫の言葉に頷いてから目を細める。

 広いな。単純化された感想は、視界に収まる範囲の遠さゆえに縮小化された景色を見た際の、ただただ率直な感覚だった。同時に、少しだけ心細くもなる。

 この大きな世界の中にただただぽつんといるのか。急に意識に浮上してきた認識は、大河にとっては少々耐え難いものでもあった。

 ぽん、と肩に温かさ。振り向けば、穏やかに微笑む年上の少女の姿。

「しー姉?」

「なんか、さみしそうだったから」

 違ったかな。小さく首を傾げる雫。すべてお見通しかと溜め息が漏れそうになる。

 傍で支えなければ。どこかドジっぽい年上の少女に対して抱いていた思い上がりにも似た気持ち。そろそろあらためるべきかもしれない、と大河は心の中で呟く。

「もしもーし? やっぱり、違った?」

 少しばかり心配そうに尋ね返してくる少女。大河は答ええずに、軽く抱き寄せる。

「えっと、たーくん」

「嫌だったか?」

「嫌じゃないし……っていうより、好ましいかも」

 軽やかな少女の吐息が耳元を撫ぜる。人がいる。そう思った。

「今日さ。家族同士で会うことになってるじゃん」

「うん。なんか、昨日いきなり、鍋パーティーだとか言い出して。お父さんも急だよね」

 なだらかな雫の言の葉を耳にしつつ、心臓がわずかに高鳴る。

「ちょうどいいし。報告しないか?」

「報告って?」

「俺らのこと」

 息を呑む気配。大河もまた、唾を飲み、唇を引き締めた。沈黙。目線は相も変わらずガラス越しの紅葉を眺めている。やがて、

「いいね」

 色の見えない声音。

「すごくいい」

 今度は明確に喜びの混じった声。ほっと、胸を撫で下ろした大河の体を、少女がより強く抱きしめ返してくる。

「今日は、すごくいい日だね」

「ああ」

 同意を示しながら、やや視線をあげれば、淡い太陽の光が目に入る。寂しくない。そう思った。

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