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 昼のフードコート内。大河がハンバーガーにかぶりつくと、

「映画、面白かったね」

 愛想良く微笑む雫。先程見終えたばかりの映画の感想に同意を求めているとおぼしき言葉の連なりに大河は小さく頷く。実のところ、あまり内容をおぼえていなかった。

「いいよね。幼なじみ同士の恋愛って。少年も憧れない?」

「いや、別に」

「もう。少年は面白くないなぁ」

 手元に置いたポテトを乱暴に齧る雫。年上の女性を注意深く見守りつつ、先程提唱された状況を頭に思い浮かべ、一笑に付す。

 憧れもなにも、ほとんど現実になってるしな。

 目の前にいる実質的な幼なじみとの付き合い方自体が、件の憧れそのものである。実現している以上は、それ以上を求めようとも思えないし、直面している現実もさほど楽しくないのだから憧れもなにもあったもんじゃない、というのが大河の正直な気持ちだった。

「いいじゃん、綺麗な恋愛。それに人の恋愛は見てるだけで楽しいからね」

「そんなもんか」

「そうそう。あっ」

 なにかに気付いたように顔をあげた雫は、唐突になにかに気付いたようにニヤつきはじめる。

「なんだよ、気持ち悪い」

「ひっどいなぁ。それはいいんだけど……ねえ、少年」

「だから、なんだよ」

 ぞんざいに応じると、雫はより笑みを深めた。ろくでもないことを言い出しそうだ、と大河は思う。

「もちろん、映画の恋愛より、現実の恋愛の方が楽しいよ」

 唐突に紡ぎだされた言の葉に、大河は呆気にとられる。なにを言い出すんだ、しー姉ちゃんは。そんなことを考える年下の男に対して、年上の女は満足げに白いセーター越しに自らの胸をどんと叩き、

「だから、心配しないで良いよ。私の一番は少年だから」

 どこからどう聞いてもこっ恥ずかしい台詞を吐き出してみせた。思わず周囲が気になりかけたが、下手をすれば雫の気分を害しかねないと判断し、右掌で顔を覆う。

「なにを勘違いしたか知らないが、そんなこと気にしてないって」

「そうなの? ってことは疑うまでもなく、少年も楽しいってことだね」

 いやいや良かった良かった。一人で満足げに微笑んだ雫は、紙カップの蓋をとってミルクティーに息を吹きかける。猫舌だけに、なにかと気を付けているのだろう。

 ふと、雫が大河に視線を合わせてくると、なにかを思いついたようにいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「少年。冷ましてくれない?」

「自分でできるだろ」

 年上の女性の要求を否定しつつも、さほど珍しい頼みでもなかったため、大河としても戸惑いはほとんどない。

「いいじゃん。やってやって」

 駄々をこねる女の前で、大河は微かに溜め息を吐いたあと、手を差し出す。途端に雫の顔が明るくなる。

「ありがと。いやぁ、持つべきものは少年だねぇ」

 機嫌がよくなる女の姿に、現金だな、という感想を持ちつつ、カップを受けとる。そして、ミルクで肌色に染まった水面に息を吹きかけはじめた。

 頬杖をつく年上の女。その満面の笑みに、俺の唾とか入るかもしれないのに気にならんのだろうか、などと毎度のごとく浮上する疑問が大河の頭をかすめたものの、淡々と作業のようにしてこなしていく。雫は一人で何度も満足げに頷いていた。

「今って、そんなに楽しいか?」

 作業を終え口を離した大河が、微かな声で漏らした一言。雫の表情を見ての思いつきではあったが、はっきりと本人に向けたわけでもない言の葉の連なり。

「うん、楽しいよ」

 しかし、曖昧な言葉だったからだろうか。年上の女性は自らへの問いかけだととらえたらしく、はっきりと断言した。

「なになに、少年は楽しくないの」

 デートの最中にそれは失礼じゃないかな、それ。笑みを崩さないまま聞き返してくる雫。

「そうは言ってないだろ」

「でも、ものすごく楽しいってわけではないんだよね」

 詰め寄ってくる女。心を読まれているような感覚。長年の付き合いの賜物かと、舌打ちをする。それでいて、同じ長さの付き合いをしているはずの大河の方には、今の雫の内心がさっぱりわからなかった。

「それ。もういいかな」

 急に話題が変わる。なんの話だ、と戸惑う大河の手元を、雫は指差す。先程まで冷ましていたコップだった。

「ああ、うん」

 なんだ、これか。拍子抜けしながら、手渡す大河に、雫は、ありがとね、と目を細めてから、

「少年。ちょっと、周りを見てみてくれない?」

 などとよくわからないことを言い出す。指示に従い、きょろきょろしはじめる。

 休日の昼飯時ということもあり、フードコート内はそれなりの賑わいを見せていた。トレイの上にフライドポテトを広げぺちゃくちゃ喋る高校生と思しき私服の少女たち。満足そうにラーメンを啜るお一人様の中年男性。なんだかよくわからない話題でぎゃははと笑っている老人たちの集まり。駄々を捏ねる子供に顰め面を見せつつ滔々と諭す父親とスマホを弄る母親。とにもかくにも、色んな人たちがいる。

 正面に視線を戻すと、どうだった、とニヤつく雫。

「どうだったと言われてもな……」

「色んな人がいたでしょ」

「それは、まあ」

 それがどうしたというんだろう? よくわからないままの大河に雫は、ここにあるのはね、と前置きをしてから、

「当たり前の日常ってやつが、あるの」

 またわかるようなわからないような言葉を口にする。

「それって、とてもとってもいいことじゃない」

「そんなもんか?」

 言ったあと、いやたしかに、などという考えが大河の中で膨らんでいく。

 周りから聞こえるざわめき。その裏側にあるものや思いを大河は知らない。知らないからこそ、とりたてて感情移入するでもなくありふれた一幕として解する。おそらく、雫がいいと言ってるものは、その当たり前の日常そのものということ。

 そこまでの理解がおよんだところで、雫は、ふふふ、と嬉しそうにする。

「私はね。少年とこうして当たり前にいられるだけで幸せなの。ねっ」

 軽やかな言葉は、それでいてとても切実なものとして大河の中に染みいってくる。

 響きが体に入り込みきらないうちに、大河は辺りを見回す。どこもかしこも、老若男女とざわめきに満ち溢れていた。すぐそばからは女のおかしげ笑い声が聞こえてきている。

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