第2話 春風来る

無事に朝のホームルームに間に合った桃馬たちであったが、一方、妹のエルゼを一年棟の教室まで送り届けたジェルドは、息を切らせながらグッタリと席に着いていた。


桃馬「流石はジェルド、学年随一の俊足しゅんそくは伊達ではないな。」


ジェルド「はぁはぁ、とは言っても…、流石に一年棟の往復ダッシュはきついよ。」


憲明「まあ、学園の敷地内とは言え意外と距離があるからな。でも、エルゼちゃんを送り届けるのは今日だけ何だろ?」


ジェルド「う、うーん。それは、エルゼ次第かな。」


憲明「妹思いなお兄ちゃんだこと……。でもまあ、気持ちは分かるかもな。」


桃馬「うんうん。俺の見立てだと、エルゼちゃんの性格は、"大人しくて優しい子"の様だし、ジェルドが心配するのも無理もないよな。」


ジェルド「…あぁ。桃馬の言う通りだ。エルゼは良い子過ぎる余り、不安になると"おどおど"してしまうからな。」


憲明「とうといな。」


桃馬「うん、尊い。」


ジェルドが語る不安の種に賛同する桃馬と憲明は、首を縦に上下しながら頷いた。



一方、小頼はと言うと、走り疲れたジェルドをねぎらうどころか、垂れ下がった元気のない尻尾を抱き締めていた。



小頼「ふへぇ~、モコモコ尻尾~♪」


ジェルド「……わふぅ~。」


最初の頃は、"きゃふん"と可愛い声で鳴いていたジェルドであったが、ここ最近は慣れてしまったのか、可愛い声で鳴く機会が減っていた。


まだ少しだけ肌寒いと感じるこの頃。


暖かそうにもふる小頼の姿に桃馬と憲明も便乗し、ジェルドの"ふわふわ"な耳に触る。


ジェルド「くぅーん♪」


獣人族の弱点である耳と尻尾を同時にもふられたジェルドは、幸せそうな声で鳴き始めた。


それはまるで、黒目多めのハスキーの様であった。


桃馬「うーん、やっぱり大きい状態だと違和感があるな。」


憲明「確かにな。おいジェルド、今日も小さくなれよ?」


ジェルド「小さくならねぇよ。黙ってあぅ…そ、そこをもっと……。」


憲明「ここか?ここがいいのか??」


ジェルド「わ、わふぅ…。」


もふもふに飢えた三人にもふられるジェルドの姿は、自分が孤高の狼であることを忘れ、骨抜きにされた犬その物であった。



四人が朝の日課を楽しんでいるとそこへ、二年一組の担任である三条美香先生が教室に入って来た。


※普通の人が見たら小学生だと思ってしまう程であるが、これでも一人の子を持つ人妻である。


三条「えっと、佐渡君はいますか?」



三条先生の呼び出しされる桃馬であるが、可愛いジェルドに気を取られていたため、呼ばれている事に気づいていなかった。


そのため、見兼ねた同級生から伝達式で声をかけられる。


男子生徒「おぉーい、桃馬~。ろり…三条先生が呼んでるぞ?」


桃馬「ん?あ、えっ?俺??」


三条「あ、いいのよ♪今日居る事が分かればそれで♪」


桃馬「えっ?」


三条「あ、いいのよ、いいのよ♪今日学校に居るって事が分かればね♪」


桃馬「えっ?」


突然、意味の分からない出席確認を受け、思わず首をかしげた桃馬は、身に覚えのないお叱りを受けるかと思い込み、一瞬だけ緊張が走った。


少し考えて見れば、今日のホームルームは、"校長"先生に呼び出されていた三条先生の代わりに、副担任が進行していたため、何かを言われる可能性は十分にあった。


しかし、教室に桃馬が居る事を確認した三条先生は、いつもと変わらない明るい笑みを浮かべながら教室へ入って来た。



三条「こほん、皆さん?ちょっと、新学期早々だけど編入生を紹介しますね♪」


三条先生の意外な一言に、クラスの全員が一斉に注目した。


男子生徒「へ、編入生って、まだ新学期が始まってから三日しか経ってませんよ?」


男子生徒「へぇ〜、このタイミングで編入して来る人が居るんだ〜。」


男子生徒「せ、先生!その編入生は女の子ですか!?」


三条「ふふっ、男子諸君、安心して静まりなさい。編入生は女の子ですよ♪」


期待通りの発表に多くの男子生徒たちが、込み上げる思いを押し殺す中、一方の女子生徒たちはと言うと、期待の眼差しを向けていた。


三条「こほん、"柿崎"さん入ってどうぞ。」


三条先生の呼び出しを合図に、再び教室の扉が開いた。


すると、暖かな風と共に桜の様な美しいピンク髪をなびかせた少女が現れた。


その風貌に男子生徒たちを始め、女子生徒たちまでもが、その編入生の美しさと可愛さに見蕩れた。


桜華「クスッ、皆さんご機嫌よう♪私の名前は"柿崎桜華かきざきおうか"と言います。これからよろしくお願いしますね♪」


簡単な挨拶ではあったが、美女からの挨拶が終わるとすぐに大歓声が響き渡った。


二年一組の突然の騒ぎに、何事かと思った二学年の生徒たちが、隣の二組を始め、三組、四組と様子を伺いに来るまでであった。


これをきっかけに、柿崎桜華の存在は、あっという間に二学年全土へ知れ渡る事になる。


桃馬「まるで桜を擬人化させた様な人だな。」


憲明「桃馬!これはチャンスだぞ!」


桃馬「チャンスってなんだよ?生憎あいにく、レベル高すぎて釣り合わねぇよ?」


桃馬自身も心の中では、彼女にしたいと思っているが、少し冷静に彼女の事を考えれば、全く釣り合わないと感じていた。


憲明「そんな悠長な事を言っている場合かよ。ここで動かなかったら、ずっと彼女ができないまま、あっという間に学園生活が終わるぞ!?」


桃馬「だ、だけどよ…ん?」


背中を無作為むさくいに押して来る憲明と駄弁だべっていた桃馬であったが、するとそこへ、桜の様に美しい髪をなびかせた"柿崎桜華"が桃馬の目の前まで歩み寄って来た。


これに対して桃馬は、思わず辺りを見渡しながら空いている席を確認するも、そもそも都合良く余分な机が置かれていない教室に、そもそも空席などは無かった。


そのため気のせいだろうか、モテない男子生徒たちから険悪けんあくな眼差しを向けられている様な気がした。


突然の事に脳内処理が追い付かない桃馬は、後ろを振り向くなり憲明に助けを求めるも、対して憲明は、首を横に振って何が起きてるのか分からない様子であった。


そのため桃馬は、恐る恐る目の前の美女に声をかけた。


桃馬「あ、あの?な、何か?」


桜華「クスッ、あなたが佐渡桃馬ね?」


桃馬「え、えぇ、どうして俺の名前を?」


桜華「知っていますよ♪だって、私の彼氏さんですからね♪」


彼女の一言に、一瞬でその場の時が止まった。


桃馬も突然の彼女宣言に思考が停止した。


"彼女?こんな可愛い子が俺の??"


"あれ?会った事ないよな??"



数秒の沈黙後。


二年一組と廊下で様子を見ていた同級生たちは、一斉に驚愕の声を響き渡らせた。


憲明「と、とと、桃馬!ま、まさかお前、こ、こんなに可愛い子を隠してたのか!?」


小頼「なんだ~♪桃馬も隅に置けないね~♪」


ジェルド「‥‥。」


桃馬「し、知らんよ!?てか、今日会ったばかりの初対面だよ!?あ、あの柿崎さん?誰かと間違えてるのでは……。」


桜華「いいえ、間違いありません♪」


否定しない桜華の証言に、モテない外野からは凄まじい殺気が放たれに、桃馬に対して低評価の声が響いた。


季節は春だと言うのに、桃馬の元に来たのは、冬に訪れる爆弾低気圧であった。


立場的にも危うい桃馬のピンチに、そこへジェルドが助け船として間に入り込んだ。


ジェルド「いい加減にしろお前ら!今まで彼女なしの桃馬に彼女が出来たんだ。これは実に喜ばしい事だろ?」


桃馬「かはっ!」


庇われた代償か…。


桃馬の心に会心の一撃が襲う。


ジェルドの一喝に、罵詈雑言を放っていた外野たちが静まり返ると、そのまま桃馬に謝罪した。


するとここで、本来なら真っ先に静止させるべき立場であった三条先生が、何を思っているのか、ニコニコしながら微笑んでいた。


三条「いやはや~♪青春だね~♪でも、そろそろ授業が始まるから早く席に着きなさい。廊下にいる皆さんも、そろそろ授業が始まりますので各自教室へ戻りなさい。」


静まったタイミングを利用した三条先生は、早々に生徒たちを解散させるべく授業開始を促した。



三条「それじゃあ、えーっと、柿崎さんは……、うーん、席がないわね。」


桜華「ふふっ、大丈夫ですよ♪私は、ここで十分ですから♪」


涼し気な笑みを浮かべながら腰を下ろした桜華は、なんと桃馬の膝上に座り込んだ。


すると再び、まわりからの冷たい視線が桃馬に向けられる。


予想を越えた桜華の行動に、桃馬の理性はクラッシュ寸前である。


柔らかなお尻の感触と爽やかな花の様な香りが、本能をくすぐり我を失いかけるも、なんとか正気を保つ。


桃馬「ちょっ!?な、何してるんだ!?」


桜華「えっ?も、もしかして重かったですか?」


桃馬「っ、そ、その〜、重くはないですけど……。」


突然見知らぬ美少女が、桃馬の膝上に座り始めた事により、美女に耐性の無い桃馬は、下半身を気にしながら動揺していた。


三条「えーっと、佐渡君?悪いけど一限だけ我慢してもらえるかしら?」


桃馬「せ、先生!?こ、これでは授業に支障が出ますよ!?」


授業もそうだが……、もしここで、膝上に乗っている桜華に、下半身の一件がバレたりすれば、それこそ幻滅どころの騒ぎではない。


そのため、桃馬は無駄な抵抗として担任の三条先生に助けを求めた。


しかし、三条先生の返答は、今の桃馬に取って火に油を注ぐ様なものであった。


三条「ムラムラして、胸を揉んじゃダメよ?」


桃馬「うぐっ。(だ、だめだこのロリ教師……、早く何とかしないと……。)」


クラスメイトからの罵詈雑言に続いて、底の見えないツッコミ祭り。


未だに周囲から向けられる視線も痛く、今日の桃馬は朝から多忙であった。


そもそも、"柿崎桜華"とは何者なんだろうか。


今は多くの種族が共存し合っている時代。


見た目は人に見える"柿崎桜華"であっても、亜人族、または魔族である可能性は十分にあった。


とは言え、柿崎桜華を膝上に乗せながらの授業は、ノートも書けない上に教科書も見れない。


更には、下半身への注意もしないといけないため、色々と厳しい展開である。


しかし、幸い一限目の授業は、担任の三条先生が担当をしている国語のため、豆粒程度ながらも安心感はあった。



こうして何事も無かったかの様に授業が始まると、桃馬は一つの疑問に気づいた。


桃馬「あ、あの、お、柿崎さん?教科書はないの?」


桜華「教科書?あぁ~♪その類いは、後で支給してくれるようですね。」


桃馬「そ、そうなのですか。うぅ、えっと、よかったらどうぞ……。」


教材すら無いまま授業を受けている桜華に対して、桃馬は"スっと"教科書を差し出した。


桜華「い、いいのですか?」


桃馬「え、えぇ、初日の授業で黙って話を聞いてるのは、流石に暇でしょうしね。」


桜華「…ふふっ、ありがとうございます♪」


その後、教科書を桜華と共有しながら授業を受けた桃馬であったが、授業よりも桜華から漂う誘惑との戦いのせいで、一切授業に身が入らなかった。



こうして、何とも慌ただしい一限が終わると、早速桜華は女子たちに連れ去られるなり、一方の桃馬は、多くの男子たちに詰め寄られていた。


憲明「と、桃馬?初めて女子から尻で踏まれた感じはどうだった?」


男子生徒「そ、そうだ!か、柿崎さんのお尻の感触はどんな感じだった!?」


男子生徒「ま、間近で匂いを嗅いでどうだった!?」


桃馬「……お前らな。授業中に痛い視線を浴びせたくせに、よくもそんな感想を求められるな。」



桃馬はチラリと桜華の方へ視線を送ると、桜華は女子生徒たちと楽しそうに話していた。


変な事を言っていないといいけど……。


憲明「それより桃馬?柿崎さんとはどこで知り合ったんだよ?」


桃馬「だから初対面だって……。」


男子生徒「初対面にしては距離が近いと思うが?」


桃馬「俺が知りたいよ……。」


ジェルド「クンクン……。」


桃馬「おい、ジェルド何してる?」


ジェルド「うーん、桃馬の言う通りの様だな……。あの柿崎って言うめすの匂いは、俺も初めて嗅ぐ匂いだ。」


憲明「じゃあ、本当に知らないのか?」


桃馬「憲明~♪いい加減に信じてくれないと、ぶちのめすよ?」


憲明「っ、わ、わりぃ。」


男子生徒「じゃあ、柿崎さんは一体何者なんだろう?」


男子生徒「見た目は人間みたいだけど……、人種に近い種族かもしれないしな…。」


男子生徒「うーん、なあ桃馬?今から聞いて来いよ?」


桃馬「はぁ?何で俺が……。」


男子生徒「それはもちろん"かれ"……。」


桃馬「"彼氏"とか抜かしたら…ぶちのめすよ?」


男子生徒「っ、こ、こほん、ご、ごめん。」


先に台詞を読まれた男子生徒は、咳払いをしながら謝った。


憲明「ま、まあ、何はともあれ無事に彼女ができて、ようやく桃馬にも春が来た訳だ。」


桃馬「……彼女ができる事って、こんなにも複雑な感じなのか?」


一同「いや、それはないな。」


桃馬「お、お前らな……。」


何ともどんよりとした春の兆し。


今まで"学園生活の春"を長く待ち焦がれていた桃馬に取って、突如訪れた春の到来は、全く実感を得られない悲しいものであった。


春風や

来たが北風

敵増やし

犬に救われ

事風払う

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