8 あの猫、どんだけ自分のこと偉いと思ってんだよ

「ヴェルサイユ二世! こんな高い木の上にどうやって登ったの?」


 後ろから合流してきた来実が、目を丸くして驚きの声を上げる。

 それもそうだろう。蒼生らでも手が届かないほど高い位置にいるのに、あの小さい身体ではどう考えても登れるとは思えない。


 しかし、蒼生はふと思い出す。野生の猫には木登りをする習性があるという話を。

 ストレス発散だったり外敵から身がを守るためというのが主な理由らしい。が、その習性がヴェルサイユ二世にも当てはまるなら……


「なあ、ひとついいか?」

「ヴェル―――え、なんですか?」

「そいつってさ、普段からカーテン登ってたりしない?」

「はい、そうなんですよ。高いところが好きみたいで、家にあるカーテンなんてもう全部引っ搔き傷がついちゃってて……え、まさか登ったっていうんですか? あそこまで?」

「多分な」


 ケージの鍵穴にあった細かいひっかき傷。あれほど正確にピッキングできるということは、爪の扱いに長けているということ。つまり、日常的に使い馴らしているということだ。

 飼い主の反応を見るに、ここまで高い場所に登れるとは予期していなかったのだろう。だが家の中には天井がある。高さに制限がある分これまでは力を抑えざるを得なかったが、本来はあの位置まで登れる資質を持ち合わせていたらしい。

 能ある鷹は爪を隠すというやつか。成程、確かに賢いやつだが……


(めっちゃ見下してくるな、あの猫)


 主枝の上に座っているヴェルサイユ二世は、下にいる蒼生ら……いや愚民共を蔑むようにして見ている。見当違いなところを探していた人間達を、心底馬鹿にしたような眼差しだ。


(いや確かに探し損じてたのは俺達だけどな? ……でもさ、探してもらってる身であの態度はどう考えてもおかしいだろ。なんだあの目? 飼われてるくせに人間を下に見やがって……教育という名の調教をもって徹底的に分からせてやろうか? んん?)


 たかが猫に対して対抗心を燃やす蒼生。

 しかし、飼い主である来実はそうではなく、ようやく見つけることができた愛猫を見て安堵の表情を浮かべていた。

 学園の中だけでも探すのが大変だというのに、校門から敷地外に出てたら時間がいくらあっても足りない。それに、もし道路に出て車に轢かれてたらと思うと不安で仕方なかったはずだ。


 焦燥感から解放された彼女を見ていると、あんな猫でも探した甲斐があったと思えてくる。


(当たり前のように傍にいたはずの愛猫がある日突然どこかに消えていなくなったら、そりゃ怖いよな)

 

 そんなことを考えていると、隣に立つ天香が得意げな顔でボソッと囁いてきた。


「これでハッキリしたわね。私の方が見つけるのが早かったんだから、勝負は私の勝ちよ」

「勝ちって……俺が呼ばなかったらそもそも居場所すら分からなかったろ」

「そうかもね。でも私の方が先に見つけた、この事実は変わらないわ」

「視認したのが早かっただけだろ。俺が呼んで鳴き声が聞こえたなら、論理的には見つけたのは俺だ」

「そんなのズルいわ。ただの屁理屈じゃない」

「お前だって似たもんだろ。こっちは恥ずかしい思いまでして呼んだってのにさ……勝ち馬に乗ってるだけの卑怯者には何も言われたくないね」

「へえ、卑怯者に卑怯者って言われるとは思わなかったわね」


 来実を差し置いて水面下で密かに繰り広げられるいざこざは、次第にデッドヒートする。

 しばらくの間二人は睨み合い……ふと蒼生が溜息とともに視線を落とし、「あぁやめだやめ」と投げやり気味に遮った。


「こんな不毛な争いなんてやめようぜ? どっちも折れないんじゃ埒が明かねえよ」

「ふんっ、あなたが折れれば話が済む話よ」


 お前が折れればいいんだよ、と言おうとして直前で堪える。ここで再び言い返してしまえば無限ループだ。

 せっかく依頼を達成できて、依頼人も喜んでくれているというのに、こんな下らない喧嘩で空気を壊してはいけないと思った。……壊してる張本人が言える立場ではないのだが。

 天香も冷静になったらしく、胸の下で腕を組んで口を噤んでいる。蒼生に対する不満を依然として抱えている様子だが、この場では一応我慢してくれているようだ。こちらとしても有難い。


 後頭部を掻きながら、蒼生は申しわけなさそうに来実に声を掛けた。


「まあ……あれだ。今度からはちゃんとした鍵のケースに入れないとな。あっ、勿論、学園に持ち込むのは駄目だけど」

「分かってます。身に染みて痛感しましたから。……でも本当は友達にも見せたかったなぁ」

「なら自宅に招いてみればいいんじゃないかしら? 家の中なら行方をくらますこともなくて安全だと思うし」

「あ、確かに! 次はそうしてみます」


 天香が代案を示すと、来実は晴れ晴れとした返事と共に花咲くような笑顔を浮かべる。

 それはまるでひまわりのようで。しがらみから解き放たれた笑顔に蒼生がつい口元を綻ばせていると……天香は顔をキョトンとさせながらこちらを覗き込んでいた。


「な、なんだよ?」

「いえ、なんか意外だと思って……長雨くんでもそんな顔するのね」

「そんな顔ってなんだよ? 俺のことバカにし過ぎだろ」

「そういう意味じゃ……ただ、穏やかに笑ったところなんて今まで見たことなかったから……」


 天香は申しわけなさそうに視線を落とす。いつもの態度とは打って変わって素直なので、蒼生はどう返事すればいいか分からなくなった。

 「あっそ」とぶっきらぼうに返すが、それも空返事に近い。覚束ない返事になってしまったと自分でも思うし、それに……自分が無意識にをしていたのだと指摘されたせいで、少しだけ動揺が隠せなかった。


(微笑んでた? 俺が? なんで?)


 何度も自問自答するが、依然として答えは出てこない。疑問は疑問のまま脳裏に浮かんだままで、気持ちは晴れない。……ってか面白くもないのに笑うとか、キモいだろ。

 そんな自分を嫌悪し、なんとなくどこか居心地の悪さを覚えてしまって、蒼生は誤魔化すように木の上で未だに座っている猫に視線を仰ぎ……


「てか、全然降りてこなくね?」


 ふと気になった。見つけてから随分と時間が経つというのに、ヴェルサイユ二世は体勢を一切変えずに下にいる蒼生らを眺めている。 


「そういえば確かに……いつもなら満足したら自分で降りてくるのに」


 これには来実も気になったようで、不思議そうな顔でヴェルサイユ二世を見上げていた。


「お~い! 偉そうに横になってないで早く降りて来いよ~!」


 試しに蒼生が大声で呼びかけるが、ヴェルサイユ二世は全く反応を示さない。

 何度呼んでも相変わらずで、蒼生らがいる下をまじまじと見たまま、ピタリとその場を動かずに座り込んで……


「……アイツ、降りられないんじゃね?」


 猫の習性で、もうひとつ思い出した。

 猫は木登りが得意だが、爪の構造上降りるのには適しておらず、ジャンプして飛び降りる勇気がない猫は木の上で縮こまってしまうといった話だ。


(いや、けど! あんな人間を小バカにしたような態度でいるか普通!? どんだけ自分を偉いと思ってんだよ!}


 テレビを見ながら横になる人みたいな体勢をしている畜生猫に、蒼生が思わず内心でツッコんでいると、天香はハッとした様子を見せ、次第に企みを含んだ笑みを浮かべた。


「長雨くん。さっきの勝負だけど、ちゃんと飼い主の元まで返すのが誠意の籠った人助けだと思わない?」

「は? いきなりなにを……? っ! お前、まさか……」

「流石は一位、察しが良いわね。つまり……こういうこと、よ!」


 そう言い終えると、啖呵を切ったように職員室に走り出す天香。蒼生よりも早く倉庫の鍵を借りて、ステンレス製のはしごを持ってくるつもりだ。

 走りづらい制服だというのにそれを意に介さない足の速さ。おそらく運動が得意なのだろう、気づけばあっという間に背中が小さくなった。


(全力疾走とか、どんだけ負けず嫌いなんだよ!)


 と、こんなことをしてる場合じゃない。

 ハッと現実に帰ると、蒼生は慌てて来実に尋ねた。


「なあ佐々木って中三なんだろ? なら用務員がいつもどこにいるか知ってるんじゃないか?」

「二年以上通ってますしある程度なら……でも確かかと言われるとちょっと……」

「間違っててもいい! とにかく教えてくれ!」

「えっと、この時間帯なら校舎裏で花壇の手入れをしてる、かも?」

「助かる!」


 急いで感謝を述べると、蒼生は校舎裏へと走る。

 職員室に行けば、教師同伴にはなるが、確実に倉庫の鍵を手に入れてはしごを持ち出すことができるだろう。しかしその手は既に天香に奪われている。

 となれば、蒼生にできるのは、倉庫を直接管理している用務員を見つけ出して協力を仰ぐという手段だけだった。

 来実の証言通りなら、幸いにもこの時間帯は校舎裏にいるという。職員室が入る本館は中庭から少し遠い位置にあるため、この賭けに勝てば蒼生の勝利は揺るがないものとなる。


(頼む! いてくれよ……!)


 神に祈るようにそう念じながら、蒼生は息を切らしながら走る。天香とは対照的に、蒼生は運動弱者だった。

 重くなる足を無理やり上げる。喉元に詰まる空気をなんとか奥へと呑み込ませる。その繰り返しを経て蒼生が校舎裏に近づくと、遠くに薄緑色の作業着を身に着けた実年の温厚そうな男性が花壇の手入れをしていた。来実の言う通りだった。


 賭けに勝った。そう思い蒼生は思わず安堵し……刹那、細々と泣く声が耳に届いて、蒼生はそっちを見た。


「あれって……初等部の生徒か?」


 見たところ八歳前後の少年だ。

 一瞬学園に迷い込んでしまった迷子から思ったが、初等部の制服を着ていることからその考えを捨てる。入学してから何度か見たことがあったので、オーバーオールで統一された制服ですぐにうちの生徒だと分かった。

 だが様子がおかしい。校舎間を繋ぐ渡り廊下で小さくうずくまり、両手で目を覆いながらひとり孤独に泣いていた。


(こんなところに初等部の生徒がいるなんて珍しい)


 蒼生が今立っている場所は高等部の校舎前。初等部の校舎は遠くにあるので、目の先にいる少年がこの場所にいるのは不自然だ。

 誰か付き添いの人がいるのかと周囲を見渡すが、担任教師や友人らしき生徒はいない。いたとしても高中等部の生徒。蒼生同様、泣いている少年を遠巻きに眺めているだけだった。

 つまるところ、迷子というわけだ。


「…………」


 だからといって、蒼生が手を差し伸べる必要はない。

 この異常事態に気づいている人は他にもいるし、なにより、蒼生には勝負という差し迫った問題がある。損得勘定で考えれば、どちらを優先すべきかなんて自明だ。

 

(そうだ。別に俺がやらなくても誰かがやってくれる。俺にはちゃんと急いでる理由があるんだから、外から見てるだけのあいつらが手を差し伸べてやればいい)


 助けたところでメリットなんてひとつもない。

 感謝されるだけの行為になんの意味もない。 

 対価がなければ、人は裏切るのに。


「……誰かが手を差し伸べてくれるさ」


 そう独り言ち、止めていた足取りを再開させようと、蒼生は少年にゆっくりと背を向け―――


「誰か助けて……」


 あまりに小さく、情けない心の叫び。

 零れ落ちたその痛切な言葉を聞いて、胸が締め付けられて、自分を重ねてしまって、思わず立ち止まった。


「それは……ズルいだろ」


 せっかく御託を並べたというのに、その言葉を聞いてしまったら無視なんてできないだろうに。

 溜息をつくと、蒼生は踵を返して少年の元へと歩いた。

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