6 「ひゃあっ」だってさ……っ

「……で、なんであなたがいるのよ?」

「知るか。俺だって呼ばれたんだよ」


 放課後、言われた通り天香は部室に赴いたところ、なぜかそこに蒼生がいた。

 窓際奥の席に腰掛け、机に突っ伏していつでも居眠りできる体勢で呆けている。いやもしかしたらさっきまで本当に居眠りしていたのかもしれない。

 が、天香には関係ない。それよりも大事なのは、蒼生が今座っている位置。そこは、いつも天香が座っているお気に入りの場所だった。


 それに気づくと、天香は冷たい視線とともに蒼生に歩み寄った。


「そこ、私の席なんだけど?」

「いいじゃん別に。ってか仮屋なんだから誰のもんでもないだろ」

「仮屋でも生徒相談部の部室よ。なら私に優先権はあるわ」

「いちいち細かいな。席なら他に空いてんだからいいじゃん」


 片腕を曲げて枕代わりと言わんばかりに頭をもたれ掛からせる蒼生。

 眠たげな眼差し、しかし口元には笑みが浮かんでいて、どこか天香を嘲っているように見えて……天香の神経をこれでもかと逆撫でしてきた。


(二度と会いたくなかったのにぃ……ああもうっ、見てるだけでムカつく!)


 一度でも隙を見せてしまえばどうなるか、その答えが今の状況だろう。

 舐め腐った態度を取られ、下手にものを言えず、後手に回らざるを得なくなる。完璧な佇まいを保持していれば防げただけに、この失態は大きい。

 少しでも反撃して、その嘲笑う仮面を剥いでやりたい。でも倍にして返されるビジョンが脳裏を過ぎり、天香は屈辱を押し殺すようにして口元を結んだ。


「……そうね。まあでも? この部室自体まだ数回しか利用してないから別にって感じだし? そもそ座る席で逐一目くじらを立てるなんて浅はかよね」

「おっと、負け惜しみか?」

「ばっ! ……バカにしないでよ。私はこの程度でイライラするような浅はかな人間じゃないわ」


 そうよ、この程度の誘い文句に引っかかるなんて子供じゃないんだから。全然、別に、全くイライラしてないし。して、ないし。

 自らに言い聞かせるように、天香は腕を胸の前で組んで何度も頷く。その様子を見つつ、蒼生は「はぁ、そっすか」と煩わしそうに呟くと、天香の後方を指さした。


「まあどっちでもいいけどさ……取り敢えず座んね? 後ろつっかえてるから」

「え?」


 素っ頓狂なことを言われ、天香は一瞬当惑し……直後、後ろから突然声を掛けられる。


「あのぉ……」

「ひゃあっっ!?」

「あ、やっと気づいてくれた」


 肩を大きく震わせて、悲鳴を発してしまう天香。驚きのあまり腰を抜かし、無作法にも後方にあった机に勢いよくもたれてしまった。


「なっ、なんで逢瀬先生、いつの間に……」

「ずっと前からいたよ? 天香が考え事しててなかなか気づいてくれなかったけど」

「だからって後ろから脅かさないでください! ビックリするじゃないですか!」

「え、いやそんなつもりじゃ……だってこんな驚かれるとは思ってなかったんだもん」


 肩を窄めて落ち込む千鶴に、天香は「ぐぬぬぅっ」と睨みを利かせ……ハッとするや、空いているもう一方の手で慌てて口元を隠した。

 そしてゆっくりと後ろへと視線をやる。……多分大丈夫。あの一瞬、場の意識は逢瀬先生へと向いていたから、あの情けない悲鳴がどちらから発せられたか分からないはずだ。いや、もしかしたら逢瀬先生と奇跡的に勘違いしてるかもしれない。


 僅かな望みをかけて天香はその顔を窺い……すぐに淡い希望は潰えた。

 目が合った途端、蒼生はニヤニヤと口端を上げる。明らかに含みをもった笑みだった。


(バレ、てるぅっ……!)


 怒涛の勢いで羞恥が込み上がってきて、天香の顔は瞬く間に真っ赤になった。


「ていうか長雨、気づいてたなら早く天香にも教えてあげてよ。私怒られちゃったじゃん」

「ん? あぁいや、千手観音ごっこしてる千鶴ちゃんの邪魔しちゃ悪いかなって」

「話しかけても反応がないから右往左往してただけだが!?」

「まあまあ、どっちでもいいじゃん。それよりも……」


 思わずツッコミを入れる千鶴に対してケタケタと小さく笑う蒼生だったが、一旦千鶴へと向けていた視線を元に戻すと、再びニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべる。

 そして、心底バカにするような声で、ひとり呟いた。

 

「『ひゃあっ』だって、さ……っ」

「~~~……っっっ!」


 最後は堪えきれず失笑する蒼生に、ただでさえ赤くなっていた天香の顔はこれ以上ないほどに紅潮した。


「くふっ、な、んだよあの情けない悲鳴……」

「あ、あんなの、誰だってビックリするじゃない! 他の人でもあんな風になるに決まってるわ!」

「にしては驚きすぎだろ……ぷふっ、お前絶対ビビりじゃんっ……ぷっ、あっはははっ!」

「ち、違っ! そんな、んじゃ……~~~っ! ね、ねえっ! そんなに笑わなくてもいいじゃない……っ!」


 ついにはバカ笑いを始める蒼生。それは屈辱以外のなにものでもなくて、でも何も言い返せなくて、天香にできたのは、その姿を涙の溜まった目で睨みつけることだけだった。

 

「ちょいちょい長雨、あんまり天香をイジメないでやってよ」


 気の毒に思った千鶴が割り込むように助け舟を出し、ようやく騒ぎは静まる。が、二人の間に漂う空気は険悪そのもので、一触即発の瀬戸際と言っていい。

 薄ら笑う蒼生と悔しさを露わにする天香。どうみても二人の関係は悪化していた。


(食堂で相席してるって噂で聞いた時は仲直りしてくれたのかと思ってたんだけど。結局こうなるのか……)


 どうしたものかと千鶴が後頭部を掻いていると、蒼生が千鶴の方を振り向いて尋ねてきた。


「てか千鶴ちゃん、何の用で呼び出したんだよ? 言われた通り来たんだから早く教えてほしいんだけど」

「ん? ああごめんごめん」


 いつまでも本題に入らずに教師ぶる千鶴の態度が気に食わなかったらしい。不愉快そうな眼差しを向けてくる蒼生に口先だけでそう謝ると、千鶴は本題とばかりに話を切り出した。


「実は二人にヴェルサイユ二世の捜索を依頼したいんだよ」

「え、貴人?」

「いや猫」

「キラキラすぎるネーミングだな。……ん? てか待って。なんで猫の捜索を? 生徒関係なくね?」

「いやいや、ちゃんと生徒からの相談だよ。お昼に職員室に飼い主の女子生徒が来て、学園に連れてきた猫がいなくなっちゃったって言うから、じゃあ生徒相談部で探してあげるよって流れになって」

「そんな面倒そうな案件を引き受けるなよ……」

「学年主任なんだから仕方ないだろ? こういう仕事でも引き受けないと上の輩がギャアギャアうるさくてね……ああ、学年主任なんてやるもんじゃないよ」

「いや、心底怠そうにしてるけどさ……」


 結局その雑用をこちらに押し付けてるんだから、あんたも同じ穴の狢だからな? 被害者ぶってんじゃねえぞこの万年独身女。

 蒼生がそんな下衆な文句を言ってやろうと口を開いたその時、先程まで揶揄っていた相手が慌てた様子で遮ってきた。


「ま、待ってください! なんで勝手に話が進んで……というか、なんで長雨くんと一緒に活動することになってるんですか!?」

「え、ダメ?」

「ダメに決まってます! この男の助けなんていらないと、昨日に言ったばかりじゃないですか!」

「え~でもさ、長雨が在籍してくれないと部が創設できないんだよ?」

「……長雨くんじゃないといけない理由はありません。まだ声掛けしていない生徒もいますから、これからも勧誘活動を続けて入部してくれる生徒を探します。それに、長雨くんを入れたいのは先生の都合じゃないですか?」

「そりゃそうだよ。天香が顧問引き受けてほしいって言うから、部を創設するために手解きしてあげたのに。それを無下にするっていうなら、顧問引き受けるって話はなかったことにするよ?」

「そ、れは、大人としてどうなんですか……」

「だって私、善人じゃないも~ん」


 千鶴の大人げない無邪気な一言に、天香は表情を歪ませる。

 担任の無責任さはよく知っていたので、さっきまで非道の数々をしてきた蒼生でも、今の天香には流石に同情せざるを得なかった。


「……分かりました」


 だがあっさりと、天香は小さい声で了承する。

 奨学金が掛かっている我が身としては喜ばしい事態に、蒼生の顔にも安堵の相が浮かび……次の瞬間、天香は「但し条件があります」と付け加えた。


「条件?」

「はい。このまま一方的に受け入れるのは不公平ですし、私自身納得できません。だから……」


 天香は蒼生へと振り返ると、口端を小さく上げて言った。


「どちらが先にヴェルサイユ三世を見つけられるか、勝負といきましょう?」

「二世な」

「うぐっ……に、二世も三世も大して変わらないわよ。……とにかく、私が勝てばあなたを部に入れないし、先生には私ひとりで創部できるよう許可していただきます。逆にあなたが勝てば部に入れてあげる。どう? これなら公平でしょ?」

「随分と上から目線だな……まあ俺としては奨学金さえ貰えれば十分なんだが」

「え、奨学金?」

「あ、言い忘れてた。長雨を入部させる対価で、奨学金を給付するって話になってるんだよね」

「成程、道理で……なら尚更、あなたを入れるわけにはいかないわ」


 警戒色を含んだ冷徹な瞳で、蒼生は天香に見下ろされる。

 正直その愛くるしい容姿のせいで怖さが全く伝わってこないが、他人から見下されるのは単純に気に食わない。蒼生は立ち上がり、今度はこちらから見下ろしてやった。


「合意ってことでいいのかしら?」

「もらえる金が受け取れないのは損だからな。喧嘩くらい買ってやるよ」


 二人の間には火花が散るかの如く。特に天香としては、蒼生に勝って傷つけられた自尊心を元通りにしたいという思惑もあった。


「逢瀬先生も。それで問題ないですよね?」

「ん~分かったけどさ、ほんと怪我だけはしないでよキミら?」


 渋々了承する千鶴だが二人の耳には届かず、翌日、ヴェルサイユ二世の捜索という名の戦いが始まった。

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