4 いや、それただの八つ当たりじゃん

 代わり映えのしない授業が億劫なのは相変わらずだが、それ以上に、腹の奥底で芽吹く悩みの種が、蒼生に煩わしさを感じさせる。

 昨日の今日ともなれば記憶も鮮明で、絡みついてくる苛立ちが思考を縛り、より不機嫌にさせていた。居眠りもせずに頬杖を突いてへそを曲げているのが、何よりの証拠である。


「はぁ……」


 昨日は散々だった。

 担任にいきなり部室に呼び出されて仕方なく赴いたというのに、そこで出会った一色天香という人気者から敵意を向けられるという始末。こっちは千鶴の言う通りにしただけなのに。

 訳が分からないまま牙を剥かれて、完全に時間を無駄にした気分だ。


(ったく、俺なんも悪いことしてないだろ。いやマジで)


 こちらの不注意で相手を傷つけてしまったならまだしも、今回は思い当たる節がない。千鶴が部室に来るまでは平穏そのものだったし、その後も特に失礼な態度は取っていなかったはずだ。

 自己紹介だってそうだ。当たり障りのない形式的な方法、というかアイツのやり方を真似てやったのだから、礼儀作法的な部分で問題はなかった。

 ……となれば、やはり自分自身が問題なのだろう。それまで無表情だったのに、名前を知った途端に態度が豹変した。知らず知らずのうちに天香の癪に触るようなことをしたのかもしれない。


(でもマジで知らないんだよなぁ。アイツと関わったことなんて一度もないし、ってか昨日が初対面だし)


 頭の中で記憶の断片を探るものの、やはりアイツとの記憶はない。昨日会ったのが確実に初対面だ。

 だというのにあの態度。余程のことがなければ、あそこまで恨まれない、気がする。

 ならいつ恨まれるようなことをした? どうして恨んでるのか? ……どれだけ考えてもキリがない。


(ああ……ったく、これだから人間関係ってやつは……)

 

 思わず唇を噛み、不満を露わにする蒼生。こんな目に遭うって分かってたら、名前を貸すつもりなんて微塵もなかったのに。

 というか、名前貸してやったのにあの態度は失礼だろ。

 

 周りが騒がしくなっているのに気づいてふと顔を上げると、教壇に立っていた教師の姿はなく、端然と座っていたクラスメイトらは疎らに散っていた。いつの間にか授業が終わっていたらしい。

 それを認めると、食堂に向かうために蒼生も立ち上がる。今朝は軽く寝坊してしまい、登校途中にご贔屓のパン屋に立ち寄る余裕がなかったのだ。


「席まだ空いてっかな……?」


 そう独り言ち、蒼生は食堂へと続く生徒らの流れに乗った。




 食堂に着くと、案の定、大勢の生徒で賑わっていた。

 うちの学園にはコンビニが設置されているため生徒の分散がある程度なされているが、それでも食堂には行列ができていて、蒼生がようやく食券機に着いた頃には昼休みが半ばまで終了してしまった。

 蒼生は小盛りのカレーを選ぶ。メニューの中で最も安価かつ腹持ちがいいので、合理的な判断だった。

 食券を受け取ると、そのまま指定の場所へ移動し、厨房のおばちゃんへと手渡しする。その場で少し待てば、香辛料の風味漂うそれが乗ったトレーを手渡された。


「うぉ、どこも満席だな……」


 席を探してひとり歩くも、どこもかしこも埋まっていて座れそうにない。何度か空席を見つけて足早に向かったものの、直前で別方向からやって来た生徒に取られる始末。とんだ椅子取り合戦だ。

 このままではせっかくのカレーも冷めてしまう。心なしか、既に匂いも薄くなっている気がした。

 

(もういっそのこと立ち食いでもするか? いやでもそれは色々とマズイ気が……ん?)


 人としての尊厳か一時の感情に身を任せるかの狭間で悩んでいたところ、偶然前方の席に座っていた二人の女子生徒が、トレーを持ってそのまま去っていく。まさかの奇跡が起きた。

 この機を逃すまいと、蒼生は慌てて駆け寄る。幸いにも数メートル先だったので、すぐに席に辿り着くことができた。

 ホッと胸を撫でおろし、両手で持っていたトレーを机の上に置く―――同時に、視界の外からもうひとつのトレーが滑り込んできて、蒼生は思わず顔を上げた。


「「あ」」


 知ってる人だった。それも鮮明に。

 丁度さっきまで思い浮かべていた相手―――一色天香が、こちらを見て驚いた顔をしていた。


 目を見開かせたまま……しかし次第にキリッと鋭い目つきへと変わると、天香は冷徹な声を放つ。


「ねえ、私の方が先だったんだけど。割り込まないでくれない?」

「割り込んできたのはそっちだろ。それにこっちのトレーの方が面積確保してるんだから、優先権は俺にある」

「後からズラしておいて何言ってんのよ。そんなのズルじゃない」

「なんだよ? ズラしてるって証拠あるのかよ―――って、ああ!? おい今! 明らかにズラしたろ!?」

「元の位置に戻しただけでいちいちうるさいわね」

「余分に陣取ってんじゃねえよ! もう二三センチそっちだろ!」

「あちょっと! 勝手に押し付けないでよ!」


 机の上に置いたトレーをこちらへと寄せて、少しでも領地を確保しようとしてくる天香に、蒼生は同じく応戦する。……て、てかこいつ思ってたより力強えぇっ!?

 だがここで負けてしまえば自尊心が崩れ去るというもの。絶対に負けられない戦いに身を投じ……と、そこで背中から突き刺さるような視線を感じた。

 手を止めて振り返れば、周囲の生徒から怪訝な眼差しを向けられている。どうやら悪目立ちしていたらしい。


「こ、こほんっ」


 天香も気づいたようで。込めていた両手の力を抜くと、握り締めた片手を口に添えて、恥ずかしそうに咳ばらいをした。

 トレーを持ち上げて、天香は逃げるように踵を返す。


「どこ行くんだよ?」

「他を探すわ。ああ、その席は譲ってあげる」


 上から目線で言われてつい眉をひそめる蒼生。こっちが先に取ったんだから、譲られる謂れは毛頭ないんだがな。

 とはいえ、これでようやくカレーにありつける。言い返したくなる気持ちを抑えつつ席に着くと、蒼生は、目の前の通路で立ち尽くす天香を尻目にカレーを食べようと、食べ、ようと……


(……ったく、面倒くせぇな)


 しかしそうはせず、後頭部を掻きながら立ち上がると、蒼生は彼女に声を掛けた。


「あぁまあ、あれだ、相席でもいいなら俺は構わないけど」

「なによいきなり。情けでも掛けてるつもり?」

「違えって。目の前でウロチョロされたらこっちも食べにくいんだよ」

「ウロチョロて……」


 蒼生の言葉にムッとする天香だったが、周囲を見渡しても空席がないのを悟り、ついに諦めたように溜息をついた。


「……仕方ないわね」


 そう言って両手に持つトレーを机の上に置くと、蒼生と向かい合うようにして腰を下ろした。

 

「おいなんだアイツ、なごみ姫と相席してるぞ」

「うわ~超羨ましい~」

「あぁ爆ぜて消えてくれぇ……」


 周囲から妬みや僻みが飛んでくるが、そんなの知ったこっちゃない。ついに冷めてしまったカレーをスプーンで掬い取り、それを頬張った。

 口に入れた途端、鼻先で楽しむより遥かに刺激的な香辛料の風味がいっぱいに広がる。柔らかく煮込まれたサイコロ状の牛肉は甘噛みするだけで溶けていき、呑み込むのが勿体なくて永遠に味わい続けてしまう。

 こんなにちゃんとしたカレーを食べたのは何週間ぶりだろうか。野菜の甘味や牛肉の旨味がスパイスと共に煮込みに煮込まれ、ルーの絶妙なとろみ加減によってそれが見事に昇華されている。冷めていなければもっと美味かったろうに。

 このクオリティで二百円なのだから、コスパがあまりに良すぎる。決して、蒼生が貧乏舌というオチではない。


(金欠じゃなきゃ毎日食べられるのになぁ)


 閑古鳥が鳴く財布の中を恨めしく思いながら、蒼生は再びスプーンを口に含む。

 その途中、なんとなく前方へと顔をやると、天香は黙々と野菜炒め定食を食べていた。白米と味噌汁、副菜にひじきの煮物と青菜のおひたしが付いている、多少値段の張るやつだ。

 箸をもって、香ばしく炒められた野菜を口元に届ける。その一連の所作はもはや芸術の域に達していて、一瞬だけ高級レストランにいるのかと錯覚してしまった。実際はただ食堂の一角で普通の学食を食べているだけなのに。


 その様式美に目を奪われ、ついスプーンを持つ手が止まってしまい……ふと彼女と目が合った。


「なによ?」

「ん? あ~いや、なんか美味そうだなと思って」

「あんまり見ないでもらえる? せっかくの定食が粗末になるわ」

「あ、そう……」


 ぶっきらぼうに言われ、蒼生の脳内血管は破裂寸前になる。見てるだけで味が変わるわけないじゃろがい。

 しかし、そんな蒼生を意に介さず目も合わせず、天香は澄ました顔で箸を動かしている。正面に座る男子生徒をいないものとして扱い、食材との対話に興味を注いでいた。


(ここまで人から嫌われるのは初めてだな)


 イライラしながらも、蒼生はさっき抱いた疑問に再び思いを巡らしていた。

 どうして恨みを買っているのかは知らないし、今後も関わるわけじゃないのだから知る必要もないと思う。授業で会うことも廊下ですれ違うことも恐らくないだろうから、知らないままでも問題はない。

 ただ、嫌われるのには必ず理由があるわけで、その理由を知らない限りこの胸のもやもやは晴れてくれそうにない。

 もうすぐで食べ終えて別れてしまうその前に、どうしても尋ねてみたくなった。


「なあ、ひとついいか?」

「……話しかけるならいいって解釈は短絡的じゃないの?」

「そんなつもりじゃねえって。ちょっと聞きたくてさ……俺、なんか恨まれるようなことした? 昨日が初対面だったはずだし、全く心当たりがないんだが」


 本当に心当たりがなく、純粋に質問を投げたつもりだった。

 だがその無自覚な態度が癇に触ったようで。天香は箸の手を止めて憤りを露わにした。


「そう……初めから眼中にないと……」

「眼中? いや、だから何のこと―――」

「とぼけないでよ! 校内テストで一位を取ったくせに、二位は雑魚って言いたいの!?」

「は、はぁ?」


 いきなり騒ぎ出したかと思えば、校内テスト? 二位は雑魚? ……え、何を言ってるんだこいつは?


 訳が分からず蒼生は混乱し……ふと思い出す。そういえばこの前、夏休み明けテストの結果が掲示板に張り出された時に、その名前を隣に見た。それだけではない。よくよく思い返してみれば、入学してから行われた校内テスト全てでもだ。

 なぜ嫌われているのかと思っていたが、どうやらそういうことらしい。


(え、そんなことで?)


 蒼生が思わず拍子抜けしていると、まくし立てるように天香は続ける。


「小学部の頃からずっと一位を保持してきたの。先生の授業もちゃんと受けて、分からないことがあったら全部聞いて、努力を惜しまずに頑張ってきた。……なのに、あなたが入学してきてから二位に甘んじてるなんて……こんなのっ、こんなのおかしいじゃない!」

「いやそれってただの八つ当た―――」

「努力してる人に負けるなら文句なんて言わないわよ。私の努力が足りなかったって認めれば納得できるから。……でもあなたは違う。噂で聞いたわ。あなた、授業中に居眠りする不真面目な人なんでしょう? なのにあっさり一位が取れちゃうなんて……そんな人に負けたなんて断じて認められないわ!」


 そう言い終えると、天香は「ふしゅぅ~」と頭部から蒸気が溢れんばかりの憤りを宿した顔で睨んでくる。積年の恨みが籠った瞳で、蒼生をこれでもかと敵視していた。

 ただ、そんな彼女を目の当たりにして、対する蒼生が何を思ったかというと……


(しょ、しょうもねえ理由だった……)


 こちらの不注意で一方的に傷つけてしまったのなら、蒼生としても謝ろうと思っていた。が、あまりにも八つ当たり過ぎる理由で、もやが晴れるどころかムカムカしてしょうがない。

 てかなんだこいつ? 外見だけが取柄の性悪女じゃねえか。中身最悪のマスコットキャラクターとか詐欺じゃん詐欺。


「俺、お前のこと嫌いだわ」

「ふんっ、お生憎様、あなたに好かれるなんて死んでもごめんよ」


 正直な感想を打ち明ける蒼生だったが、対する天香も包み隠さず毒を吐く。しかめっ面のまま、嫌悪の籠った眼差しを気にする素振りなく白米を頬張っていた。

 その所作は心なしか雑になっている印象を受けた。が、この際どうでもいい。視線をカレーへと直すと、小皿に残ったものを全て平らげ、トレーを持って立ち上がった。


「じゃ、俺行くから」

「逐一報告しなくても見れば分かるわよ」

「こんっの減らず口が……」


 さっきから言いたい放題言いやがって、と蒼生は表情を歪ませる。言われっぱなしは性分に合わなかった。

 

(つってもこいつ佇まい完璧人間だしなぁ。何か揚げ足でも取れる方法があれ、ば……?)


 なんでもいいから言い返せないかと天香の方を向いて……ふと見えてしまったに、蒼生は目を奪われる。

 少しの間魅入り、次第にニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべると、自らの頬に人差し指を当てて言った。

 

「米粒ついてるけど?」

「んな!?」


 慌てて自らの頬に触れ、指先に掬い取られたそれを見るや否や、天香の顔は瞬く間に赤くなる。

 あまりに面白い反応をするものだから、蒼生の意地悪はとどまるところを知らなかった。 


「ちょっと頼むよ~? 子供じゃないんだからもっとお行儀良くしてもらわないとさ~」

「ち、ちがっ! これは―――」

「いやぁ~俺だったら恥ずかし過ぎて誰とも目合わせられないわ~」

「ぐ、ぬぅっ……!」


 顔をプルプルとさせて悶えている天香を見て満足すると、蒼生は意気揚々と立ち去る。途中、背中越しに「バカ! 大嫌い!」と負け惜しみを放たれたが、ノーダメージだった。

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