2 そうだ、生徒相談部に入ろう
二日後、蒼生は職員室に呼び出されていた。
クラス担任の机の横に立っていると、鋭利な視線を感じる。
チラッと横目で確認すれば、土器についてペラペラ喋っていた教師が、いい気味だと言いたげに顎を上げていた。
それもひとりだけではない。他の教師たちも、顔に出していたり隠していたり違いはあるものの、好意的でない視線を注いでいた。
そんなアウェー感漂う空間で、蒼生は、目の前で回転椅子に腰掛けたまま腕を組んで唸っている担任教師―――
「ったくぅ、担任ってだけでこの仕打ちかよぉ……」
困り果てた様子で溜息混じりにひとり呟くと、千鶴は、ボサボサな髪を掻きながら蒼生に尋ねる。
「長雨ぇ、もうちょいどうにかなんない?」
「どうにかってなにが?」
「授業態度だよ。教科書もノートも開かずに居眠りばっかしてるって苦情が殺到してるんだよ」
「別に、無視すりゃいいのにアイツらが勝手に目くじら立ててるだけだろ」
「無視したくても看過できないんだよ。ほら、寝てる時に耳元で蚊が飛び回ってたら誰だってイライラするだろ? それと同じさ」
「蚊て……」
自らの耳元に人差し指を近づけ、宙を描くジェスチャーをする千鶴に、蒼生は不快感を露わにする。
いくら例え話とはいえ、自分の生徒を蚊呼ばわりするのは変化球が過ぎるのでは? ……訴えてやろうかこの野郎。
思わず眉をひそめる蒼生。感情が浮き彫りになったその様子を見て、千鶴はニヤリとする。
「ほら怒った。どう? 馬鹿にされた気分は?」
「……生徒を蚊呼ばわりするとか、普通にクビ案件だろ」
「まあまあ、本気で言ってるわけじゃないから。でもさ、先生たちももれなく人間なんだから、自分の授業に居眠りしてる生徒が視界に入ったらいい気はしないよね」
「ふんっ、そんなの知ったこっちゃないね」
「自己中極まりない発言……。はぁ、こんな奴でも優等生扱いされるんだから世も末だよな……」
「今度はストレート投げてきたぞこの教師」
二撃目を食らってますます表情を歪ませる蒼生をさておき、千鶴は肩を落として落胆する。
机の上に置かれるコーヒー入りのマグカップを手に取ると、気を紛らわすようにそれを口に含んだ。
「はぁ……将来有望な天才がひしめくこの学園に突然現れ、校内考査では常に一位を保持。なのに授業は真面目に受けず努力もせず、周りを見下しながら居眠りに勤しむ……いやぁ~かっこいいねぇ」
「う、うるさいな……」
皮肉交じりな罵倒を一息つくついでに言われて不快感が沸き立つものの、抑え込むように口を噤む。
授業を聞く気がなかったり他人と深く馴れ合う気概がなかったりと、ある程度図星だったから。
確かに、蒼生は学年一位の秀才だ。
国内有数の名門校である英怜学園に特待生として外部入学を果たし、常に一位をキープしている。成績面だけを考慮すれば、確実にこの学園を代表する逸材である。
ただ、優秀なのは成績だけで、人間性に関しては擁護すらできない。授業態度は最悪、教師の神経を逆なでする、協調性皆無などなど……実力主義の当学園でなければ奨学生になることすら叶わなかっただろう。
「これがうちの特待生か」と千鶴がコーヒーを啜りながら愚痴を溢す。
上下ともにスーツ姿で、ストレートロングの黒髪は節々手入れが行き届いていないボサボサな印象を受ける。女っけを全く感じさせないとは、まさにこのことだろう。
「こんな三十路にはなりたくないな」と仕返しするように心中でぼやいていると、マグカップを机の上に戻した千鶴が、くだけた口調で本音を溢した。
「ほんとお前って捻くれ者だよなぁ。そんなんだから友達できないんだぞ?」
「うるさい。余計なお世話だ」
「クラスでも浮いてるみたいだし。同級生と仲良くした方が色々とメリットがあると思うけどな~」
「俺から言わせれば、他人と親しくなるなんてデメリットしかないね。自分の時間が減るし、行動を縛られるし、怠いし」
「うわ、めんどくさ……」
「なんか言った?」
「イエ、ナニモナイデスヨ?」
カタコトではぐらかし……ふと閃いたように千鶴が顔を明るくして、へそを曲げている蒼生に向き直した。
「そうだ。長雨、生徒相談部に入ろう」
「は? なんでいきなり?」
「いや私、その部の顧問になるよう頼まれたんだけどさ、部員がその子しかいなくて、このままだと創設できないんだよ。しかも募集かけても誰も来なくてさ」
「いや、だからってなんで俺が……」
「罰ゲームだよ罰ゲーム。自分勝手に私を困らせてきたんだから、ちょっとは貢献してよ」
「お願い!」と手を合わせて千鶴は懇願するが、蒼生の顔はちっとも明るくならない。むしろ眉を歪めてあからさまに拒絶の意思を示しており、応じる姿勢を見せなかった。
「千鶴ちゃん、そんなメリットのない話に俺が応じるとでも思った?」
「校内でちゃん付けするな。……まあ無理だな。お願いしてすぐに応じてくれるなら職員室で問題児呼ばわりされてないだろうし」
「そんなディスられたら余計入りたくないんだが……」
「まあまあ逸るなって。罰ゲームって言ったけど、こっちだってちゃんと相応の対価を出すつもりだからさ」
「対価?」
蒼生の眉がピクリと上がると、千鶴は内心ほくそ笑む。自らにメリットがないと、この問題児は興味を抱かないのだ。
手に持つマグカップを机の上に戻すと、下へと視線を移して引き出しからある紙を取り出す。そして几帳面に並んだ文面を上にして、蒼生にひけらかした。
「これな~んだ?」
「……英怜学園特別給付型奨学金のお知らせ?」
「正解っ! つまりぃ、本来なら担任教師から品行方正だと認められた生徒じゃないと認可が下りない給付金を……なんと今回! 応じてくれるだけで! 特別に認めちゃいます!」
「いや、通販番組のノリかよ……」
不愛想にそう言い放つ蒼生だったが、その瞳は明らかに揺れ動いている。マネーという絶対的な支配者を前にして、プライドと欲との狭間でせめぎ合っているようだった。
担任だからというのもそうだが、千鶴は蒼生の内情についてある程度把握していた。
ここから徒歩十分のところにあるアパートでひとり暮らしをしており、放課後は学園沿いにあるファミレスでアルバイトして生計を立てている。俗にいう苦学生だ。
学費免除の特待生枠で入学し、成績優秀者として得た給付金で施設費、教材等を賄ってきたものの、実生活に関するやりくりはアルバイトで稼いだ分でしか賄えない。少ない手取りでうまく立ち回っているが、砂上の楼閣に等しい生き方ではいずれ綻びが生まれるだろう。
だからこそ、唐突に舞い込んできた甘い汁に蒼生は揺らいでいて、そんな彼を見て千鶴はほくそ笑んでいた。
「ほれほれ~。担任からのお墨付きなんて今の長雨じゃ貰えないんだから、またとないチャンスだぞぉ?」
「ぐぅっ……だ、だが、この程度の脅しに屈するわけには……」
「いやいや脅しじゃないって。生徒相談部なんて大層な名前が付いてるけど、要は生徒の相談にのるだけの簡単な活動だし。部の運営が安定的に確保できる条件さえ満たせばオッケーなんだから、ただ在籍してくれるだけでいい」
「在籍してるだけ……い、いやでもなぁ……」
腕を組んで唸る蒼生。
確かにうまい話ではあるのだが……どうしても裏があるのではないかと勘繰ってしまうのは、流石に天邪鬼が過ぎるだろうか?
しかしそれだけで奨学金が貰えるなら、取るべき選択肢はひとつしかない。……心にしこりが残るけど。
「……分かった。呑むよ」
「おおそうか! いや~話が分かる奴でよかったよかった~」
結局要求に応じることに。蒼生がようやく屈すると、商談が上手くいったからだろう、高らかに笑う千鶴の顔には安堵と弛緩が混ざり合って浮かんでいた。
(あ、なんか急に面倒になってきた……)
さっきまで確かにやる気が出ていたというのに、頷いた途端これだ。要求を呑んでしまった過去の行いに、今更後悔してしまう。
でも頷いてしまった以上はやるしかないわけで、途中で投げ出すのは……色々とダサい。
「……まっ、仕事と割り切ればいいか」
感情で割り切れないなら合理的に割り切るまでのこと。蒼生はそう独り言ちると、引き出しから手続用書類を探している千鶴をよそに、行く末に思いを馳せた。
でも、ここまでは予期していなかった。
翌日の放課後、「挨拶くらいはしとかないとね」と千鶴に言われて指定の部室に赴くと、蒼生は思わず目を見開いた。
「マジかよ……」
相手は、あの一色天香だった。
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