1 この学園には“なごみ姫”と呼ばれる美少女がいるらしい

 澄み切った秋空が地平線まで続いている。

 雲ひとつない快晴の元、中庭には広葉樹が軒並び、穏やかな陽気に中てられた葉っぱが紅葉を始めている。夏色だった風景は薄れ、季節は赤く染まろうとしていた。

 それでも、枝元では蝉が残火を絶やし続ける。限られた命を燃やして、いくら拭っても纏わりつく不快感を、聞く人全てに思い出させようとしてくる。

 そんな煩わしい鳴き声が教室に届くと、窓際に座る男子生徒は思わず眉をひそめる。

 彼の名前は長雨蒼生ながめそうせい、ものぐさな高校一年生である。


(鬱陶しいな……)


 左腕を曲げて頬杖をついたまま、蒼生は内心不快感を吐露する。

 しかし、彼を悩ませるのは窓の向こうからの煩わしさだけではない。視線の先―――赤いラインが入ったジャージを身につけた体育会系の教師が、これまた熱心に土器文化について熱弁していた。


「いいかお前ら! この火焔型土器は国宝にも指定されてる、縄文土器の中でも大変素晴らしいものなんだ、が……特にこのフォルム! 燃えたぎるような炎を模っているところがなんともセクシーで―――」


 一言で言えば、つまらない。

 資料集の該当箇所を指して暑苦しく熱弁しているが、自分語りもいいとこだというのが正直な感想だった。


 退屈を紛らわそうと覇気のない目で周囲を見渡す。

 クラスの生徒らは注意深く話を聞いていて、教師の放つ言葉をノートに写している。テスト範囲とは一切関係ない、ただの自己語りにもかかわらずだ。


 真面目な奴らだ、と蒼生は冷ややかな視線を送る。

 同時に、この英怜学園に入った以上は仕方のないことなのだとも自身に言い聞かせる。面倒な環境だが、国内屈指の名門校への進学を選んだ判断を今更変えることはできないのだ。


 英怜学園が政財界と太いパイプを持っている、というのは蒼生でも知っている話だ。

 下は小学校から上は大学までの一貫校かつ国内屈指の偏差値を誇るという特異な性質なのもそうだが、過去数十年、卒業生の大半が大学を経て政治家や財閥系の一流企業への就職を既定路線としているのが主な理由だ。

 現在活躍している政治家や社長のほとんどが英怜学園出身であり、有望な人材を輩出する名門校としてブランドイメージが確立していた。

 そのためだろう、入試という壮絶な椅子取り合戦を勝ち抜いたクラスメイト達は、親の期待を一身に背負い、こうして日々勉学に励んでいた。


(相変わらずご苦労なこった)

 

 周囲に鼻を鳴らし、蒼生はいつも通り居眠りする。

 こんな授業を真面目に受けても意味なんてないし、それなら睡眠に時間を割いた方がずっといい。教卓から視線を感じるが、蒼生は変わらず机に突っ伏して居眠りに勤しんだ。


 しばらくして授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、教師が号令の合図をクラス委員に送る。

 受け取った生徒が号令を掛けると、ただひとりを除いて一礼を終え、教師が教室を後にした。昼休みだ。


「っしゃ! 早く食堂行こうぜ!」

「うぉおおお今日も席取り合戦じゃあああ!」

「天気良いし、中庭で食べようよ」

「賛成~」


 食堂に向かう者、中庭で食べる者、教室で机を囲って食べる者。

 和気あいあいとした雰囲気が教室に漂う中、ようやく目覚めた蒼生がなにをしているかというと、今度はパン耳を齧っていた。


 ほんのりとバターが練り込まれたスティック状のそれを、矢筒から矢を取り出すように手に取ると、口の中へと放り投げる。近所のパン屋で廃棄される予定のものを毎朝分けて貰っているので、出来立て新鮮だ。


「長雨、ちょっといいか?」


 丁度食べ終えた頃、声を掛けられたので頭を上げると、ひとりの生徒が名簿を片手に立っていた。


「なに?」

「その、さ……勉強会に参加する件、考えてくれた?」

「勉強会?」

「この前のホームルームで吉良きらがクラスに呼び掛けてたじゃん。来月の中間考査を乗り切るために皆で勉強しようぜって」

「……ああ」


 そういえばそんな話が出ていた気がする。如何せん居眠りしていたので殆ど聞いていなかったが。

 

「ほら、うちのテストって激ムズじゃん? だから皆で力を合わせてこの修羅場を乗り切ろうぜってことで話進めてるんだけど、やっぱ頭いい奴がいないと成立しないからさ。学年一位の長雨が参加してくれたら百人力なんだよ」


 その生徒は愛想良い笑みとともにそう言ってきた。

 チラッと見えた名簿には、参加するクラスメイトにチェックが付いている。見えた範囲でしか判断できないが、どうやらクラス全体の半数以上が勉強会に参加するらしい。

 

「まあ勉強会っていっても堅苦しい感じじゃないよ。それにまだ半年程度の付き合いなんだし、今回は親睦会も兼ねて気楽に、さ」


 渋る蒼生を見て、不安に感じていると捉えたらしい。少しでも参加してもらえるようにと敷居を下げるような言葉を掛ける。

 まるで手を差し伸べるように。普通なら「じゃあ参加してみようかな」と頷くのかもしれないが……蒼生はその手を払いのけた。


「遠慮しとく。勉強会なら勝手にやってくれ」

「え、でも―――」

「面倒なんだよ、そういうの」

「そ、そうか……邪魔して悪かったな」


 一瞬狼狽えるものの、その生徒はその場を去って行く。明らかに何か言いたげな様子だったが、不機嫌な表情を垣間見せられ、その言葉を仕方なく呑み込んだようにも見えた。


 しかしそんなことなどつゆ知らず、食欲を満たし、睡魔に襲われていた蒼生は、再び居眠りしようとしたのだが……


「(前々から思ってたけど、長雨くんって、なんかとっつきにくいな……)」

「(いっつも寝てるし。起きてても誰とも話さないし。何考えてるんだろ)」

「(学年一位の優等生だからっていい気になってんじゃねえの? 知らんけど)」


 周囲のコソコソ話が耳に入ってくる。横目で覗けば、先程の会話を耳にしていたクラスメイトが盗み見るようにこちらを覗き込んでいた。

 蒼生は思わず下唇を突き出す。この半年で慣れたとはいえ、人から悪く思われるのはやはり気が滅入ってしまう。


(別に、お前らと馴れ合うつもりは毛頭ないっての)


 心中でそう呟き、蒼生はスルーして机に突っ伏す。

 人間関係なんて面倒事の積み重ねでしかないし、なにより、簡単に他人を信用するのは馬鹿の一つ覚えだろうに。

 むしろどうして他人と親しくなろうと思えるのか。いつかは裏切られるかもしれないのに。


(……もう寝よう)

 

 そんな折だった。目を瞑って本格的に昼寝しようとしたところ、近くにいた男子グループの雑談が偶然耳に入ってくる。


「そういや今朝さ、登校途中の“なごみ姫”に会ったぜ?」

「は? 超絶激レアイベントじゃんか。ズッリぃ」

「へへっ、いいだろ~。朝から学園一の美少女を間近で見れるとか、百回連続で占い一位なる方が可能性高いっての」

「うわ、自慢ウゼ~。どうせ緊張して話しかけられずに縮こまってたくせに」

「うぐっ、だ、だって仕方ねえだろ? あんな美少女目の当たりにしたら誰だって臆するっての……」


 どうやら“なごみ姫”について話しているらしい。その三人組はクラスでも陽キャ寄りに位置する男子だったが、そんな彼らでも、彼女を前にして身分不相応を感じている様子だった。


(なごみ姫、か) 


 この学園に籍を置いて半年、飽きるほどその呼び名を聞いた。

 正確には「狷介孤高けんかいここうのなごみ姫」であり、英怜学園高等部一年一組に在籍している女子生徒―――一色天香いっしきあまかをそう呼んでいるらしい。如何せん実物を目の当たりにしたことがないので詳細は分からないが、周囲の反応を見る限り、相当の人気者であることだけは窺える。

 が、なんというか……崇拝されているのかバカにされているのやらよく分からない呼び名だ。

 

「てかさ、あの人って囲い多いじゃん? 夏休み前に一回だけ試しに内部生の教室があるフロアに行ってみたんだけどさ……着いた途端ビックリ、廊下に人だかりができてたんよ」

「マジか。見物人がぞろぞろ押し寄せるって、最早アイドルじゃん」

「いやでも実際そうじゃね? 雰囲気っつうかオーラ? みたいなのあってさ。もう神々し過ぎて直視できんわ」

「分かるわ~。でも見たら見たらで可愛すぎる。やっばい、あれは心持ってかれる」

「あの人に釣り合う男とか、もう芸能界くらいにしかいねぇよ」


 会話が盛り上がる男子グループ。しかし蒼生はそれ以上構わず、次第に小さく寝息を立て始める。

 他人に対して興味を抱かない彼にとって、一色天香の話題は、耳に入れども心に留める程度のものではなかった。

 今まで一度も関わったことがない、そしてこれからも関わることがない相手に、どうして意識を削がなければならないのか。合理的に考えれば無駄だろうと、蒼生は薄れゆく意識の中でそう思った。

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