第8話 笑顔 > 1100円

 え、マジで。本物の渚波じゃん。


 最近、この偶然はいったいどうしたというのだろう。


 神様、もしかして俺にチャンスを与えている? それとも、俺のこと弄んでる?


 驚いて硬直する俺の存在に渚波は気付いておらず、めちゃくちゃ真剣に本を読んでいる。


 いや、睨んでいる。ものすごい顔で睨んでいる。あんな渚波、見たことない。


 たまに数学教師が出す激ムズ問題でさえ、リラックスした表情で解いている渚波があんな表情をするとは……。


 あんなに真剣に何読んでいるんだろ?


 気になるけど、声もかけずに相手の読む本を見てもいいのだろうか。


 こういうのって盗み見ってやつなんだろうな。良くないよなぁ。俺だって盗み見されたら嫌だ。


 ……………でも気になるよなぁ~。


 どうせ学年1位だから、『心理学概論』みたいな難しそうなものを読んでるんだろうなぁ。


 ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。頭文字だけ見るだけだから――――


『恋愛心理学 こうすれば、異性はあなたのことを好きになる』


 —―――えっ?


 マジで!? 


 渚波さん、本気ですか!?


 あなた、ただでさえ学校の人気ランキング1位なのにそんなものを読んで、いったいどこを目指しているんでしょうか!?


 渚波が立ち読みしているエリアの本には『異性の心を見透かす方法』、『ゲキヤバすぎる恋愛心理学』等、恋愛に関する本が並んでいた。


「うーん」


 渚波が首を傾げつつ、上記2冊の本も手に取ってパラパラとめくっている。


 その眼差しは獲物を狙う狼のように研ぎ澄まされていた。


 ……俺は見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。


 話しかけるべきか、それともそっと立ち去るべきか。


 —―――答えは出た。


 無言で回れ右して立ち去る。


 それが唯一にして、最善の選択肢。最適解。


 渚波がいったい何に悩んでいるのか、モテたことのない俺には皆目見当もつかないが、誰にだって気の迷いはある。


 俺は息子のエロ本を見つけてしまった時の母親のような慈しみ深い笑みを浮かべつつ、回れ右をしようとする。


「あ―――」


「あ」


 渚波と目が合った。


 …………………。


「えとえとえとそのそのっ」


 渚波は持っていた本をぱっと置き、バッと勢いよく背中を向けた。


「やばいやばいやばい、見られた見られた見られた」


 なんか、心の声漏れてるんすけど。


 軽く可愛い咳払いをして、笑顔でこちらを向いた。


「こ、こんにちは。藤木くん」


 アイドルもびっくりのとびきりスマイル。


 もう遅い。


 取り繕ったって、もうごまかせない。仕方ない。


「えっと、やぁ、渚波。今日1日良い天気だったよね。じゃまた学校で—――」


「ちょ、待って、待ってください!」


 渚波が俺の左腕の裾をつまんだ。


「いや、俺何も見てないから。本当に何も見てないから」


「そっ、それは見てる台詞ですよね!」


「ほんとに見てないって。ほんとほんと」


「違うんです! ちょっと説明させてください!」


 あまりにも切羽詰まっていたので、俺は渚波の方へ体を向けた。


「私、幼稚園の先生になりたくて、子どもの心理を知るために本を探していて、そしたら恋愛の本があって、なんとなく手に取っだけで……」


 話を聞きながらちらっと下に目線を向けると、渚波が慌てて手で本を隠した。


 やっぱり見られたくないらしい。


「大丈夫。わかってる。わかってる」


 全てを悟った顔で頷いた。


「それで、藤木くんは何を買いに? 藤木くんももしかして一緒?」


 おっと、今度は俺が攻められる番か。


「俺は――――」


 どうこ答えるべきか。


 正直に小説に関する本と答えるのは無しだ。


 渚波と同じって答えるか、それとも違うことを答えるか。


 3秒間迷った出した答えは、


「参考書を買いに来たかな」


 ごめん。なんか色々考えすぎて、中途半端な嘘ついちゃった。


「そうなんだ! どの教科を買いに来たか当ててあげる」


 この時点ですでにハズレなんだけどね。


「多分…………古典の参考書でしょ」


「アタリ」


 なるべく自然な口調で言い、親指を立てた。


「よしっ!」


 小さくガッツポーズした。


 優しい嘘で彼女の笑顔が見れるなら安いもんか。


「じゃあ、今すぐ買いに行きましょう!」


「え?」


「私、知ってますから! いい場所! 好きな場所!」


「いや、俺はべつにっ……あっ、ちょっと!?」


 渚波が俺の左の裾を強引に引っ張って参考書エリアに連れていく。


 辿り着いたところで、渚波が俺に薄い参考書を渡してくる。


 パラパラとめくるが、さほど興味がなかったため、内容が入ってこない。


「古文単語帳は、学校で使ってる本で十分だと思います」


「そうなんだ」


「うん」


 渚波がにっこり笑顔で言ってきた。


 うーん、いらない。マジでいらない。


 古典の参考書なんて全く欲しくないのだが、ああ言った手前買わないとそれはそれで何を買いに来たのって思われるよな。


 背表紙を見る。


 1100円か~。思った以上に高くはないが、ラノベ1.5冊買える。


 これ買うならラノベ買った方がマシだな。


 どうせ買っても解かないし読まないし売り飛ばす。

 

 やっぱり断ろう。


「――――っ」


 渚波がめっちゃ綺麗な瞳で見てくる。


 渚波の純粋な微笑みと参考書に記された値段を交互に見る。


 ♦♦♦


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 負けたよ、渚波には。


 あんなつぶらな瞳と透明感のある笑顔を見せられちゃ、買わないという選択肢は選べないよ。


 レジの出口で待つ渚波のもとへ向かう。


「渚波は何も買わなくてよかったのか?」


「あ、うん。もうちょっと吟味してからじゃないと」


 苦笑いを


「そうか」


「あのあの、藤木くん」


 渚波が頬と耳を真っ赤に染めて、もじもじしている。


「あのっ、こここっ、このあとは……空いて………たり?」


「空いて……たり?」


「空いてなかった……り?」


「あいてなかったり?」


「…………」


 俯いて黙ってしまった。


 意地悪だったかな。


「空いてるよ」


「あ、あの、もしよかったら、私と寄り道、しませんか?」

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