娘のトリック・オア・トリートには敵わない件

桜枕

第1話

「トリック・オア・トリート!」


「なにそれ?」


「知らないの? ハロウィンの日にはこう言うんだよ。言われた方はお菓子をあげるか、いたずらをされるか選ぶの」


 小学4年生の時に転校してきた彼の家のチャイムを鳴らすと、携帯ゲーム機を持ったまま気怠そうに玄関から出てきた。


「お菓子なんて用意してねーよ」


 早くゲームの続きをやりたいのか彼は家の中へと帰って行こうとする。


「うわっ! なんだよ急に」


 わたしは後ろから彼の肩を軽く叩いて、振り返った時にほっぺたを指でつついた。


「お菓子くれないからいたずらしちゃうよ。じゃあ、また明日ね」


 鳩が豆鉄砲を食ったように自分の頬を押える彼の反応が面白くて次の年も同じように家を訪れた。


「トリック・オア・トリート!」


「今年も来たのかよ」


「お菓子はくれないの? じゃあ、いたずらね」


 わたしは彼の脇腹を全力でくすぐった。


「おまっ、やめろ! くすぐったいだろ!」


 弱点を見つけたわたしは楽しくなって来年も自宅に突撃した。


「トリック・オア・トリート!」


「お前も飽きない奴だな。もう中学生だぞ」


「ハロウィンに年齢制限はありませんー。お菓子ちょうだい」


「今、金欠なんだよ」


「あっそ。6組の木下さんが土谷のこと好きだって言ってたよ」


「え!? マジで!?」


「嘘に決まってんじゃん。鼻の下伸ばして、やらしー」


「お、お前な。……絶対に言うなよ」


「なにをよ?」


「俺がその……木下さんを……その、あれだよ」


 はいはい。

 いちいち言わなくてもあんたの好きな人なんて分かるっての。


「トリック・オア・トリート!」


「中三の受験前に何やってんだよ」


「わたしは誰かさんと違って志望校余裕なので。で、お菓子は?」


「食べかけのスナック菓子ならあるけど」


 そう言って、のり塩味の袋を差し出された。


「分かってないなー。こういう時はゴディベなんだよ」


「なんだよそれ。そんなもん家にねぇよ」


「だから用意しといてよ。……来年の今頃は別々の高校か」


「ゴディベってクソ高いじゃねぇか! こんなもん用意できるかよ!」


 スマホでの検索に夢中で聞こえなかったのかな。まぁ、いいか。


「期待しないで待ってるよ。じゃあね、裕也」


 初めて彼の名前を呼んだ。

 これはいたずらだから、本気じゃない。

 わたしの頬が赤いのは夕焼けのせいに違いないし、彼もきっとそうだ。

 でも、そうじゃなかったらいいな。


「トリック・オア・トリート!」


「……マジかよ」


「ん? なにが?」


「いや。全然、連絡してこないから今年は来ないと思ってた」


「連絡してこないから? ふーん。そんなにわたしと話したいなら自分から電話してきなさいよ」


「はぁ!? 誰もそんなこと言ってないだろ!」


「あっそ。で、お菓子は?」


「太るぞ」


「うざっ。この体を見て、どの口が言うのかしらね」


 わたしは彼の頬をつねりながら、スカートから伸びる素足を見せつけた。


「……ないもふぇって(なにもねぇって)」


「わたし、彼氏できた」


「……は? マジで?」


 嘘だと思ってるかな。それとも本気だと思ってるかな。

 どっちの方がいいと思ってるんだろう。


「ま、まぁ。そうだよな。高校生にもなったら恋人の一人や二人いるもんだよな」


「む。そうだね。同級生からも先輩からも告白されるようになるもんねー?」


 そっか。彼女いるのか……。

 やばい、ちょっと泣きそう。


「じゃあな。腹減ったし帰るわ。お前も気をつけて帰れよ」


 自転車を置いた彼が玄関へと向かう。

 そんなあっさりでいいの?

 次に会えるのは来年の10月31日なんだよ?


 そんなことは絶対に言えないけど、そう思ったときには駆け出していた。


「うおっ!?」


「うっそー! 焦ったでしょー!」


 彼の背中に飛び乗ると意外にもわたしが落ちないようにふとももを支えてくれた。


「お前なぁ、いつもこんなことやってるのかよ」


「……してるわけないじゃん」


「は? 彼氏以外の男にこんなことするなよ」


「あんたも彼女以外の女に背中取られてるんじゃないわよ」


「うっせ。俺に彼女なんかいねぇよ」


 なんだ。彼も嘘をついていたのか。

 今年は二つのいたずらを終えて、モヤモヤの晴れたわたしは意気揚々と帰路につく。

 さて来年はどうやってからかってやろうかな。


「トリック・オア・トリート!」


「だから、受験前に来るんじゃねぇって!」


「だから、わたしは志望校余裕なんだってば」


「知らねぇよ! 明日、試験なんだよ」


「そうなの? 早くない?」


「俺、推薦入試なんだよ」


「へぇ。それでいつになく余裕がない顔してるんだ。ま、大丈夫じゃない」


 この状況でお菓子を要求することも、いたずらをすることもできないか。

 

「はい、これ」


 わたしは鞄の中から取り出したチョコレート菓子を彼の頬に押しつけた。


「お前が物をくれるなんて珍しいな。てか、手どけろよ」


「それ食べて頑張りなさい」


 個包装の後ろ側に設けられた空欄には『いつも通りでね』とだけ書いておいた。


「トリック・オア・トリート!」


「……いつまで続けるつもりだよ」


「さぁ? やめた方がいい?」


「別にどっちでもいい。お前のおかげで受験に受かった。ありがとな」


「おっそ! 一年ぶりにお礼とか信じらんない。合否くらいすぐに連絡してきなさいよね」


「お、おう。悪い。大学生活はどうだ?」


「別にふつー。あ、バイト始めたー」


「俺もバイトしてるんだ」


 雑談に夢中になっていて、いたずらを忘れてた。

 今年は何にしようかな。まぁ、もういいか。


「じゃあね」


「あ、おい」


 彼は何か言おうとしていたけど、その後の言葉は聞かなかった。


 そして今年、わたしは彼の家に行かなかった。

 小学生のときから毎年続けていたけど、もう大学三年生で進路も考えないといけない。

 彼もいい加減ウザいだろうし、もういいかな。


 そう思っていたとき、家のチャイムが鳴った。

 こんな夜に誰だろ。お母さんがネットで何か注文したのかな?

 

 リビングでスマホをいじっていたわたしに向かってお母さんがニヤニヤしながら手招きしている。


「なに?」


 いいから来なさい、と背中を押されて玄関に行くと彼が立っていた。

 急に顔が熱くなりお母さんをリビングに押し入れて外に出る。


「あんたが家に来たの初めてじゃない?」


「お前が来ないからだろ」


 へぇ。明日は雪でも降るのかな。


「ほら」


 ぶっきらぼうに差し出された紙袋の中には小さな箱が入っていた。

 紙袋を小脇に抱え、街灯の下で箱の包装紙を見ると小さな声が漏れた。


「お前がそれがいいって言ったんだぞ」


 中身はゴディベのチョコレートだった。

 わたしはトリュフを一つ摘まみ、口の中に放り込む。

 濃厚でとろけるようなくちどけのチョコレートだからかな。わたしの胸はいっぱいになってしまった。


「じゃあな」


 照れくさそうに背を向けた彼の肩を掴み、一気にたぐり寄せる。

 驚いてよろけた彼の頭を押さえ込み、わたしは唇を重ねた。


「なっ!? ちょっ、おまっ!?」


「今年の分ね」


「な、な、なんで!? お菓子もらったんだから、いたずらはなしだろ!」


「そんなルール、誰が決めたわけ?」


「そ、それに、そんな。軽はずみにするもんじゃねーって!」


「軽はずみじゃない。初めてだよ」


「え、マジで?」


「なによ。あんたは経験豊富かもしれないけどね、わたしは本当に好きな人としかこういうことをしないのよ」


「……いや、俺も初めてなんだ。俺は初恋の相手としかしないって決めてたからよ」


 そう言って、彼は唇を押しつけた。

 ちからつよ。

 

 一気に体温が上昇し、頭から煙が出そうになる。

 この時、今年のいたずら内容が決定した。

 わたしはお母さんに『今日は泊まる。心配しないで』とだけメッセージを送り、二人とも無言で歩き出した。

 そして――。



「トリック・オア・トリート!」


 そんな過去のことを思い出しているとわたしたちの愛娘がカボチャの被り物を頭に乗せて突撃してきた。


「まいったなぁ。今日も良い子だったひとー」


「はーい!」


「よぉし。じゃあ、お菓子をあげよう」


 あ、また今年もか。

 わたしは10年以上かけて彼からお菓子を貰ったのになぁ……。

 でも、可愛いんだよなぁ。


「はい、これ」


 昔と違って面と向かって渡された紙袋を受け取る。

 中身は今年もゴディべの新作だった。


「今夜もいたずらするからね」


「ぶっ!? おまっ!」


 今年のハロウィンの様子もばっちり動画に収めたわたしは『娘のトリック・オア・トリートには敵わない件』というタイトルのフォルダにデータを保存してから寝室へと向かった。

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娘のトリック・オア・トリートには敵わない件 桜枕 @sakuramakura

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