78 金魚 - ホノボノ -
物売りの太助が屋台で夜鳴き蕎麦を食べていると
一人の中年男性がやって来た。
その日はたまたま太助は遠出をしていた。
その帰り道に夜鳴き蕎麦の屋台を見て寄ったのだ。
「へい、いらっしゃい。」
その男は常連の様で
屋台の親父が声をかけるとさっと蕎麦が出て来た。
太助がちらとその男を見る。
その男は武士の様だった。
だが刀は下げておらず家着のような格好だ。
「お邪魔するよ。」
と武士はにこにこと笑いながら蕎麦をすすりだした。
ちらちらと太助が見ていると、
武士が太助に笑いかけた。
人懐っこい優しい顔だ。
太助も慌てて頭を下げる。
「兄さん、ここの蕎麦は美味いよな。」
武士が言った。
「あ、ああ、値段も安いし味も良いな。」
太助がそう答えると
屋台の親父は嬉しそうに二人を見た。
「兄さんはここは初めてかい?」
武士が聞く。
「ああ、今日はちょいと用事があって、
帰り道にここを見たから寄ったんだ。大当たりだ。」
「そうかい、また来ると良いぞ。」
と武士が言ってそばを食べてしまうと
お金を置いて行ってしまった。
太助も食べ終えて財布を出した。
「お代はもらってるよ。」
と屋台の親父が言う。
「え?」
「さっきのお武家さんが払ってくれたよ。」
太助は彼が行ってしまった方向を見た。
もう姿はない。
「あの人、どこの人だい?」
太助が親父に聞いた。
「すぐそこの屋敷のお武家さんだよ。
時々食べに来てくれる。」
「お大名かい?」
「いや、一人暮らしのやもめだよ。
あんまり景気は良くないみたいでな、
使用人もいないようで夕飯代わりに来てくれる。」
「なのに奢ってくれたのか?」
親父はふふと笑った。
「わしの蕎麦はそんなに高くないしな、
それでもあの人、藤村さんががそうしてくれるとまた客が来てくれる。
ありがたい人だよ。」
武士は藤村と言うらしい。
太助はしばらくしてまたその屋台に行った。
太助は物売りだ。
色々なものを町を回りながら売っている。
だがここのところあまり景気が良くない。
なので別の物を売る算段を立てるために
遠出をしているのだ。
「いらっしゃい。」
親父が言う。
するとすぐに蕎麦が出て来た。
しばらくすると藤村がやって来た。
「お、この前の兄さん。」
藤村がにこっと笑う。
太助は頭を下げた。
「太助と言います、この前はどうも。」
「いやいや、大した事無いし。それにここは美味いだろ?
客が続かなくてここに屋台が来なくなると私も飯に困るからな。」
藤村は親父を見た。親父がへへと笑う。
「ところで兄さん、何の仕事をしているのか?」
藤村が聞く。
「あっしは物売りでさ。
色んなものを下げて売ってんですよ。」
「ほう、最近は何を売ってるのかね?」
「野菜とか皿とかいろんなものでさ。
でも景気が悪くてねぇ。」
「そうだなあ、みんな苦しいよなあ。」
と藤村は蕎麦をすすった。
「で太助さん、次は何を売るのかな。」
「金魚を売ろうかなあと思ってんですよ。」
「金魚?」
藤村が少し驚いた顔になった。
「あっしは小皿とかも売ってるんで陶器屋にも行くんでさ、
それで大きな鉢が置いてあったんで何に使うのかと
聞いたんでさ。
そうしたらそこに金魚を入れて飼うらしいんです。」
「金魚を飼う話は聞いた事があるな。」
「それで金魚を仕入れてみようかと思ったんですが、
卸す所が少し遠くて。
ここから山の方に行った所ですがね。」
「金魚を育てるのは難しいのかね?」
「どうですかね、その卸している所は
どこかのお武家さんが育てた金魚を卸しているんでさ。
庭に池があるんでそこで育てているとか。」
藤村が少し考えこむ。
「なあ、太助さん。」
藤村が言った。
「私の家に池があるが育てられんかな?」
太助ははっとして藤村を見た。
「そのお武家さんも元々あった池で育ててると言ってましたよ。」
「一度家に来て池を見てくれるかな。」
太助と藤村は慌てて蕎麦を食べ始めた。
その日は太助が蕎麦代を出した。
藤村の家は蕎麦屋台の近くだ。
人気はなく真っ暗だった。
「すまんね、雇い人もいなくて。」
「それは構いませんが……、」
それなりに立派な屋敷だ。
藤村の身なりもそれほど悪くない。
独り身なのが太助には不思議だった。
「こっちに庭があるんだが、暗くて分かりにくいかな。」
と藤村は行燈の明かりを縁側に出した。
ぼんやりと庭が見える。
「池と言ってもいくつあるんですか?」
太助は驚いた。
庭には沢山の大小の池があった。
「そっちは亀だ。あちらはメダカ。
虫用の池もある。ヤゴやタガメとかいるな。
春には蛙も来るぞ。
大き目の池には釣って来た魚がいる。」
藤村はにこにこと嬉しそうに言った。
「こう言うの好きなんですか?」
太助はあっけにとられて言った。
「ああ、世話をするのが好きなんだよ、
でもそのおかげで女房には逃げられた。
虫が嫌いなんだと。」
と彼は照れくさそうに言った。
詳しく聞くと彼には奥方がいた。
だがろくに仕事もせずに魚や虫ばかり捕って来る夫に呆れて
実家に帰ってしまったらしい。
雇い人も何人かいたがいつの間にかいなくなっていたそうだ。
「でも流石に遊び回っていたら金が無くなって来てな、
仕事には行ってるが性に合わん。
それでも喰わなきゃ死んでしまうので
なにかしら別の方法で金儲けは出来んだろうかと思っていたんだ。」
この庭の様子を見ると藤村は生き物を育てるのには慣れているらしい。
「金魚は鮒が改良されたものだろう?
ここには鮒もいるから多分育てられると思うぞ。」
藤村はにこにことしている。
「藤村さん、」
太助はにやにやとして聞いた。
「藤村さんはただ金魚を育てたいだけなんじゃないですか?」
藤村は盛大ににっかりと笑った。
「そう!」
しばらくして仕入れた金魚を太助は藤村の家に持って来た。
庭には既に金魚用の池が用意してあった。
「いやあ、綺麗なもんだな。」
藤村がにこにこと金魚を見た。
「藤村さん、死なせないようにしてくださいよ。」
「分かってるよ。」
「金魚の代金は餌代とか世話代で帳消しですよ。」
「うんうん、分かってるよ。」
と藤村は聞いているかどうか分からない様子で
嬉しそうに金魚を見ていた。
「でね。藤村さん、最近は夏だけでなく
桃の節句にも金魚を飾るらしいっすよ。」
「桃の節句?」
「ええ、可愛くて綺麗だから女の子のお祝いの飾りで、
春も売るんでさ。」
「へー。」
「それで金魚の鉢もここに持って来ますから、
それも売りますよ。
そして金魚の世話の仕方や餌も生き物ですからね、
死なせるのは可哀想だから
藤村さん、お客さんに教えてくださいよ。」
「私がやるのか?」
「そうですよ、そこまでやって売り上げは半分ずつです。」
「太助さんは金魚の世話はしないんだろ?」
「しないけど売りに行きますから。
鉢も持って来ます。それも半々ですぜ。」
藤村はふふと笑った。
「しっかりしてるなあ。」
太助が腕組みをしてぎろりと藤村を見た。
「そりゃそうですよ、藤村さんはのんびりしすぎですぜ。」
「そうかなあ。」
と二人は目を合わせてははと笑った。
金魚の養殖はそれなりに軌道に乗った。
いつの間にか太助は藤村の屋敷に住むようになり、
家のこまごまとした世話をするようになった。
「なんであっしが飯の準備……、」
「いやあ、太助さんの飯は美味いからなあ。」
売り上げは半々の話だったが
いつの間にか藤村は何も言わなくなった。
要するに生き物の世話が出来れば金など
どうでも良かったらしい。
「ほんとしょうがねえなあ、藤村さんは。」
放って置けばものも食べず生き物の世話をしている
藤村を見かねて太助は
ぶつぶつと呟きながら彼の身の回りを整えた。
藤村の武士仲間でも金魚を育てるのが流行りとなり、
この屋敷に買いに来た。
藤村が育てる立派な金魚は見栄えがして
一緒に大きな鉢もいくつも売れた。
客足は絶えない。
そして屋台の蕎麦はいつの間にか
藤村の屋敷の門近くで商売をしていた。
その軒には小さな金魚の提灯がぶら下がっていた。
「どうして金魚かって?
このお屋敷には金魚がたくさんいるからよ。
金魚のそばの蕎麦屋だ。」
蕎麦屋の親父は少し瘦せたがとても元気だ。
「でもおやっさん、金魚にはかんけぇねえだろ。」
蕎麦をすすりながら最近常連になったらしい
町人が言った。
「それが関係あるんだ。
このお屋敷で金魚を育てる話はわしの屋台でしたんだよ。
それが今はこの様子だろ、縁起の良い蕎麦屋だぜ。」
と親父は得意げに鼻を鳴らせた。
「金魚なだけに立身出世、金運上がりまくりで
龍になれるぞ。」
「おやっさん、それは鯉だろ。」
「あ、そうか?まあどちらも魚だし一緒だ。」
こちらも客足は絶えなかった。
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