72 猫が言った



ある時一緒に住んでいる猫が言った。


「海に行かないか?」


僕は猫が喋ったので驚いたが、

猫は一生のうち一度は人の言葉を喋ると聞いた事がある。

多分それなのだろうと思った。


「海か、行った事ないのか。」


僕が聞くと猫が頷いた。

なのでボロボロのスクーターで海に向かった。


僕の背中に猫が張り付いて周りをきょろきょろと見ている。

スクーターはとても古いので人が走るぐらいのスピードだ。

周りの景色はまるで時が止まったようだ。

静かで穏やかだ。


やがて何時間もかかって海に着いた。


僕の肩に顔を乗せている猫の目が丸くなり

海をじっと見ていた。

岸辺には砂しかない。

所々に石が落ちているぐらいだ。


太陽が赤く光っている。


「綺麗なもんだな。」


猫が呟くように言うとゴロゴロと喉を鳴らした。

さざ波とその音が僕の心を穏やかにしていく。

僕は手の伸ばして猫の頭を撫でた。


「なあ。」


猫が言った。


「そろそろオレ、死ぬよ。」


僕はその言葉にぎょっとした。


「し、死ぬってどういう事だよ。」

「どう言う事ってそう言う事だよ。もう時間なんだよ。」


猫はゆっくりと瞬きをした。


「オレはお前が好きだ。

だからずっと一緒にいたけどもう限界らしい。

だからここに来たんだよ。」


猫は手で顔を洗うと周りを見渡した。


「もうどこにも生き物はいない。

この星は死んでるんだ。」


猫は黄色い綺麗な瞳で僕を見た。


「オレ達は死んでるんだ。もう魂だけの存在だ。

100年前に大戦争が起きた。

それでこの星の生き物は死に絶えた。

新しい生き物ももう生まれない。」


僕は呆然とする。


「なら、僕達はどうして今まで……、」


猫は再びゆっくりと瞬きをする。


「お前が死んだ事に気が付いていないからさ。

オレはお前に飼われていた猫だ。

だがお前を一人にしたくなくて魂になってもここにいた。

だがもうタイムアウトだ。

オレは消える。」


猫はぐっと伸びをすると僕の肩からぴょんと降りた。


「じゃあな、お前も早く気が付いて

こっちに来いよ。」


と言うと猫の姿がすうと薄くなった。


僕はあっけにとられて猫が消えた所を見ていた。

そしてはっとする。


足元の砂浜を見た。

海だ。

貝殻などが落ちていても不思議ではない。

だがそこにあるのは砂だけだ。

砂漠の様に生き物の気配は全然無かった。


どうしてだ。


僕は乗って来たスクーターを見た。

すごく時間が経った後のように

タイヤは無く赤錆びて砂に埋もれていた。

とても乗れるものじゃない。


僕はこれに乗って来たのか?

ここに来てそれを見て乗って来た気がしたのか?

第一僕は運転免許を持っていない。

ずっと家に閉じこもっていたからだ。


僕は思い出す。

世の中には人は沢山いたはずだ。

外に出れば誰かと必ず会う。

何かしらのトラブルに巻き込まれる。


僕は外に出るのが怖かった。

心の許せる生き物はあの猫だけだった。


『ついに世界大戦が始まったようです。

各国からミサイルが発射されてしまいました。

皆さん、終わりです、

さようなら、さようなら……、』


と叫ぶようなアナウンサーの声がテレビから流れた。

それを聞いて僕は拍手をしたんだ。

終わるんだと。


だがそれはいけない事だったのだろう。


死を喜んだ罰が当たったんだ。

僕が死ぬだけじゃなくみんな死んでしまうのだから。


だから僕は死を自覚出来なかったのだ。

哀れな存在だ。

本当なら身勝手な僕は魂になっても

遺された世界を見て一人で懺悔しなければいけなかったのだ。


だがあの猫は僕を憐れんでずっと近くにいた。


「……ごめん、僕が勝手過ぎた。

みんなが死んでしまったのを悲しまなくてはいけなかったんだ。」


僕の目がぼうっとする。

涙が流れる。

赤い太陽が滲んだ。


大戦の後にこの星は汚染された。

だから太陽はずっと赤い。

命をはぐくむ恒星ではなくなったのだ。

太陽のせいではない、星を壊した人のせいだ。


その時ふうと猫が現れた。

僕は驚いた。


「いなくなったんじゃ……、」

「だってお前、今ごめんって言っただろ?」


僕は涙を拭った。


「言った。」

「自分が悪かったって分かったんなら良いんだよ。」


猫はにやりと笑った。


「じゃあ行こうぜ。」

「えっ、どこへ。」

「分かんね、でもオレはお前と行きたいんだよ。」


猫は再び僕の肩に乗った。

そして僕の頭に顔を擦り付けた。


「ずっと一緒だ。」


猫はゴロゴロ喉を鳴らしながら言った。

僕は猫の頭を撫でた。


そして終わった事を知った。





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