69 常夏の国 - ホラー -




その店は居抜きとして紹介された。


「半年ぐらいで逃げちゃったんですよ。」


と不動産の営業マンが言う。


「飲食店なんでそのまんまです。

ただ色々なものが置きっぱなしなんで

買われたらいらない物は片付けなくちゃなりませんが、

残っている物は結構きれいなんですよ。

電化製品もありますよ。」


私は軽食も出す喫茶店を開く予定だった。


「もしかしたら冷蔵庫もそのままなの?」


そう言うと営業マンが苦笑いする。


「一応中は出しましたがね……。」


私は首を振る。


「怪しいわね、飲食店だから不潔なのはNG。」

「もし決まったら新しい業務用の冷蔵庫、

どうにかしますよ。」


少しばかり私は反応する。


「キッチンも汚いんでしょ?」

「ああ、それも大丈夫です。建築されて5年程でしたから。

トイレも綺麗なもんですよ。

それに二階は居住空間ですよ。」


条件はかなりいい。


「夜逃げと言う瑕疵物件ですから、

その分かなりお値打ちにしますよ、

でもそこで人が死んだわけじゃありませんよ。

物があるのである程度片付けなくてはいけませんが。

その時は片付け専用の業者も紹介しますよ。」


営業マンはすがるように私を見た。

ともかく誰かに一回貸してかつての傷を消したいのだろう。


「じゃあとりあえず一度見せてもらいましょうか。」


見るだけはタダだ。


「ありがとうございます、今からでも大丈夫ですか?」


彼はほっとした顔で私を見た。




その店は車の通りがそこそこある道沿いにあった。

駐車場も広い。

ただ周りは畑ばかりだ。

外の眺めと日当たりは良いだろう。

私と営業マンは中に入った。

むっとした空気が出て来る。


店内はこれから営業だと言うような様子だった。


カウンターにはコーヒーメーカーがあり、

いくつかカップが置いてある。

その奥の棚には様々なカップが並んでいた。


「前はコーヒー中心の純喫茶だったんですよ。」

「思ったより整理整頓されているわね。」

「ええ、経営も悪くなかったようですが、

いきなり失踪されてしまって。」

「今でも行方は分からないの?」

「そうなんですよ、男性で結婚はされてなくて

定年退職後にこの店を開いたようですが、

親戚の方もどこに行ったか分からないらしくて。」


私は様々なカップを見た。

品の良いものばかりだ。

私がもしここで店を開いたらそのまま使えそうだった。


「そのいなくなった方がここを建てたの?」


すると営業マンが少し口ごもる。


「あの、違うんですよ。」

「出来たのは5年前でしょ?」

「そうなんですが、建てた方は別の人で……、」


まだ何か隠しているのだろう。


「はっきり言ってくれないと私も決められないわよ。

隠しても碌な事ないわよ。」


私は少し怒ったように言った。

すると営業マンが目線をそらしてため息をつく。


「ですよね。」

「そうよ。」


彼は私を見た。


「建てた方を含めて3人いなくなっています。」

「えっ?」


それはただ事じゃない。


「そんないわくつきの店は怖くて借りられないわよ。」

「いやいや、そんな事言わないで。

今まで独身の男性ばかりでしたから、

女性なら大丈夫でしょ?」


彼はキッチンの方に歩いて行った。


「ほらキッチンはとても綺麗ですよ。」


と彼はその下を覗き込んだ。

そして急に動かなくなる。


私は不思議に思い彼に近寄り、そこを覗いた。

そこには古い小さなポスターが貼ってあった。

海岸で水着の女性がビールを持ってにっこりと笑っている。

何人もの男性がその後ろで笑いながらビールを飲んでいた。

今時なら苦情が来そうなポスターだ。


「ちょっとどうしたのよ。」


営業マンははっとした顔で私を見た。


「あ、あの、」


私は呆れて彼を見た。


「はっきり言うけどここは絶対に借りないわよ。

帰りましょう。」


私が怒ったように言うと

彼はぽかんとした顔で私を見た。

魂が抜けてしまったような表情だ。

そして私と彼は営業所に戻った。




その夜だ。

不動産の営業所から電話がかかって来た。


『今日同行した営業マンですが

そちらに伺っていませんか?』

「いえ、営業所に戻ってそのままですけど。」

『そうですか、失礼しました。』


それだけの会話だ。

だが私はなぜか気になったので

翌日営業所に行くと所長が青い顔をして出て来た。


「ご家族から連絡があって帰っていないと。

ここの営業車も彼が乗って行ったようで戻っていないんです。」


営業と言う仕事はストレスもあるだろう。

万が一を心配しているのかもしれない。

私は昨日の彼の様子を思い出した。

彼に結構強く断ったのだ。少しばかり罪悪感が湧く。


「そう言えば居抜きの店に行った時に

少しぼんやりしていたような……。」


所長はすぐにそこに向かった。

私も様子を見るために同行した。

するとその店の前に営業車が停まっている。

店の扉には鍵がかかっていなかった。

私と所長は恐る恐る店内に入る。


「昨日キッチン辺りで急にぼんやりしたんです。」


所長がそちらに向かい、私も後ろから着いて行った。

だが何もない。


「キッチンの下を見ていました。ポスターがある所です。」


所長がそこを覗いた。

私は彼の肩越しにそれを見た。


ビール片手に海辺で妖艶な微笑を浮かべて

豊満な肢体に小さなビキニを付けて微笑む女性。

男性なら目を惹かれる姿だろう。


そしてその後ろにいる男性達。


「あれ?」


私は男性の数を数えた。


昨日は3人だった。

そして今は4人だ。

ネクタイを締めた若い男性が増えていて

皆がビールを飲んでいる。


「増えてる。」


私は思わず呟いた。

そして所長が震える声で言った。


「あいつにそっくりだ……。」


私は所長と顔を合わせた。

彼の顔から血の気が失せていた。

多分私もそうだろう。


私と所長は無言のまま慌てて店を出た。




それからしばらくした頃、

私は再びその営業所に行った。所長から電話があったのだ。


「お呼びたてして申し訳ありません。」


彼は頭を下げた。

少しばかり憔悴している。


「あの人は見つかったのですか?」


彼は首を振った。


「一応ご家族は失踪届を出したようです。

でもあいつは戻らないかもしれない。」


私は背筋がぞっとする。


「あの店はどうなったのですか?」

「然るべき所に依頼して壊すことになりました。」


私はため息をつく。

少しばかりあのカップが惜しい気がしたが、

あのような所のものを手に入れたら

どんな目に遭うか分からない。


「あれは何だったのでしょうか。」


私は小さな声で言った。

所長はちらと私を見る。


「分かりません。

仕事柄不可思議な話はまれにありますよ。

しかし、こんな事は初めてです。

詳しい方からはもうどうにもならないと言われました。」


彼はため息をついた。


「取り壊した後、お祓いはします。

でももう何も建てられないでしょうね。」


彼にとっては悲しい話だろう。

部下がいなくなってしまったからだ。


「でも所長さんは何ともないんですか?」

「……私は痩せた女性が好きなんです。」


私は一瞬ぽかんとした。


「あいつはグラマーな女の人が好きだったからなあ……。」


彼は遠い目をした。




あのポスターが何であったのか私には分からない。

だがある意味男性の夢の世界なのかもしれない。


今では見る事もない水着の女性が

微笑ながらお酒を勧めるポスターはずっと昔の流行だ。

今ではほとんど見る事がない。


あの女性は男性を誘うのだ。

その魅力で。

ある意味淋しい女性だったのだろうか。

一人で微笑み続けるのに飽きたのだろう。


そしてそれに魅入られた男は

永遠の常夏の国の住人となるのだ。


世俗の全てを忘れて。





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